ごく一部の読者は,今日,私がどのようなことを書くかを気にしておられるかと思います。
昨日の日曜日は,示方書勉強会とその懇親会でした。帰宅する頃にはあまり気分が晴れやかでなく,起床後ももやもやしたものが残っています。
あまり詳しくは書きませんが,私の感じていることを書いておきます。以下,懇親会での全体の雰囲気から私が感じたことです。
Visionとは,それに向かって皆が力を発揮でき,結果が良くなっていくためのものです。誰かが勝つとか,俺はすごいんだ,というような類のことはVisionとは言わない。
「否定すること」は重要ではあります。何でも肯定,では物事は進歩しないし,仮説が棄却されることが進歩の原動力ではあります。しかし,「基本的には」,「否定」からは何も生まれない。特に,人や,人の考え方を否定することから,何かが生まれるでしょうか。なぜ連携しようとしないのか,が私には分からない。真の連携の威力に気付いた人からすると,もはや否定する人には近づこうという気持ちも失せてしまいます。
「5年前と変わっていない」でよいのか。5年の間には,大震災も起こりました。私自身は5年前とは明らかに変化しています。私自身の考え方も変化したし,実践するやり方も,内容も変化しています。連携する仲間も変わりました。そもそも,5年前には山口県の取組みにも出会っていません。
大震災も経て,これからさらに大地震が襲ってくる可能性も高く,いまだにデフレから脱却できない混迷の社会において,コンクリートの研究者がコンクリートのことだけをやっていてよいとは思えない。もちろんコンクリートの研究は大事ですが,5年前と同じ考え方では,世の中から見てどう思われるでしょうか。世の中とは,例えば小学生です。小学生に自分たちのやっていることを魅力的に伝えられるでしょうか?小学生に伝わる,ということは,世の中にも理解される,ということです。「土木はすごいんだ」「コンクリートはすごいんだ」と威張っていても,世の中には理解してもらえないし,理解されないでは,その先の発展はありえません。
私自身も,自分自身の存在意義についても深く考え,大学に籍を置く人間として,何をなすべきかを常に考え,真剣に実践してきているつもりです。
基本的には,私のやり方は変えるつもりはありませんが,「目立ってくると」,批判,批難も増えてくるということも認識できて,その点では有意義でした。多少の批判や批難で自分自身の信念を変えることは絶対にありませんが,世の中にはそういう方々が大半であることを認識して,全体をどのように良くしていくか,が使命であると再認識しました。
私は,自分の良心,感性を信じて,世のために実践を重ねて行こうと思います。
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