細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(87) 『希薄な地縁と自然災害』 中嶋 駿介 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-25 06:19:23 | 教育のこと

『希薄な地縁と自然災害』 中嶋 駿介 

 私は小学生時代を愛知県の名古屋で過ごした。愛知県から想起される自然災害問えば南海トラフ地震ではないだろうか。近い将来に必ず起こると言われ続けている南海トラフ地震。その当事者となる愛知県では、災害に対する意識が他県とは一味違うことを肌で感じた。その最たる例が避難訓練の質が極めて優れていることだ。小学校での避難訓練自体は全国どの学校でも行うだろうが、愛知県の避難訓練の優れている点はそれが抜き打ちに近い形で行われることだ。東京の学校では、「何日の何時から避難訓練を行います」と日時が指定して行われる。しかし、愛知の学校では「何日に避難訓練を行います」としかアナウンスされないのだ。訓練が実施される日付こそわかるものの、その日のうちどのタイミングで訓練が実施されるか分からない。このことには、訓練をより実践的にする効果がある。授業中に訓練が実施されることもあれば、教室を移動している最中に実施されることも、校庭で遊んでいるときに実施されることもある。このように実践的な環境で訓練が実施されるという点で愛知県の防災に対する意識は非常に優れていた。

 しかし、(地震に限らず)自然災害に対する不安が限りなくゼロに近い状態で生活できることこそが望ましいことなのではないだろうか。「大きな地震が来てもこの建物は大丈夫」「大雨が降ってもここは浸水しない」このような安心感を共有できる社会を目指すべきではないだろうか。先に挙げたような常日頃の訓練が重要であることは間違いない。だが、やりようによっては災害に対する不安を最小限に抑えて生活を送ることが可能だと私は考える。

 本当にそのようなことが可能なのであろうか。静岡県の試算をもとに考察してみよう。この試算は南海トラフ地震を対象として対策を施さなかった場合と施した場合の死者数を比較している。前者の場合は津波によって約96000人が死亡し、後者の場合は16000人が死亡するという。約80%も死者を減らすことができる試算だ。このように、現状のままでただ災害を迎えるのではなく、対策を打てば被害を格段に減らすことができる。すなわち、災害への不安を少しでも減らすことが可能なのである。

 それにもかかわらず、全国の防災インフラの整備は緩やかにしか進行していない。愛知県は日本最大の海抜ゼロ地帯である。南海トラフ地震による津波被害は甚大なものとなることが見込まれる。このようなリスクを抱えているにもかかわらず、木曽三川の河口部における耐震工事はいまだ完了していない。津波が発生した際にはこの河口を遡上する形で津波による被害が拡大することは間違いないだろう。

 では、なぜ防災インフラの整備は円滑に進展しないのだろうか。その一因として、国民が防災インフラの整備に無関心であることが挙げられると私は考える。要するに、防災インフラは「自分たちの自分たちによる自分たちのための」ものであるという意識が欠如しているのだ。「国民」と言ってしまうと主語があまりに大きすぎるかもしれないが、同様の問題はより身近なスケールでも見られる。新潟県の大河津分水路は、越後平野を洪水から守る偉大な防災インフラである。このインフラが2019年の台風19号の際に威力を発揮することとなった。台風によって信濃川の上流にもたらされた大雨は、時間差をもって大河津分水路を襲った。このとき、通水以来過去最高の水位を記録したという。一歩間違えれば越流、浸水という危機的な事態になったが、すぐそばの学校では避難するどころか運動会が行われていたそうだ。このエピソードからは、歴史的に重要な防災インフラを持つ地域の市民でさえも防災への意識が希薄になっている傾向が読み取れる。ましてや、都市部で暮らす多くの市民が防災インフラに無関心であるのは仕方がないことなのかもしれない。

 このような無関心を生み出してしまった一因は、私が以前のレポートで提唱した「地縁」の希薄化にあるのかも知れない。多くの人が生まれた地で一生を送っていた過去の時代とは違い、仕事などの都合で居住地を転々としながら生きる現代人。(私の家族もそうであった。)このような現代人にとって、自分に縁もゆかりもない土地の所有物、ましてや防災インフラに無知、無関心なのは仕方がないことなのかもしれない。しかし、この現状を容認できないことはこれまでに述べてきた。「自分たちの地域は防災インフラを所有しているのだ」という防災インフラへの意識を改革し、いずれは「防災インフラに投資をしよう」という社会を築いていくことが必要だ。そのために、インフラを管理する土木事務所が率先して地域の市民向けの交流会、見学会を開催するのは一つの手だろう。防災インフラと市民の距離を縮めようとする努力の蓄積によって社会を変え、自然災害に打ち勝つことができる社会になっていくと考える。

参考文献
静岡県危機管理部, 『静岡県地震・津波対策アクションプログラム2013』, http://www.pref.shizuoka.jp/bousai/seisaku/ap2013.html, 2022年11月18日閲覧

 


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