細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(53) 「ダブルスタンダードという印象への考察」 大木 陽介 (2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-11-11 05:51:11 | 教育のこと

「ダブルスタンダードという印象への考察」 大木 陽介

 今回の講義でも、先生のお話の中に幾つかの気になる点があった。その中でも大きな2つは、「自己中心的」への評価と、「環境破壊」の捉え方である。

 一つ目について、講義冒頭で(今までの講義でも度々言及されていたが)自己中心かつ短期的にしか考えられない人を「末人」として批判する文章を紹介し、その一方で中国やアメリカを日本と比較してその2国でインフラ整備がすさまじい速度で進んでいることを説明していた。しかし、その2カ国こそが目先の利益のために環境を破壊し、自国の利益のみを追求して他国を省みない国ではないのだろうか。

 現在の日本でインフラ整備が進んでいないことは確かである。それは都市集中が進む中で、「使われない」道路、路線の価値が十分に見出されていないためだろう。勿論、インフラ整備は必ず環境破壊をもたらす。車が通るようになればそれはそれで排煙等の問題も出てくるかもしれない。建設には大きな費用が掛かる。そうしたことを併せて評価した結果「合理的に」無くて良い、ということになっているのかもしれないが、利益の総和が最大になるように最適化された状態は時に脆く、歪である。故に日本がインフラにもっと力を入れるべきだということは、これまで講義を聞いていてよく分かった。だからと言って、中国、アメリカの2国のインフラ整備の状況に対し、それを止めるべき、というような批判的な言葉が出てこないのは何故なのだろうと思った。その後で、「中国がごみを大量に捨てているから、日本がいくら努力しても意味がない。それよりも中国にそれを止めさせるべき」と言っていたが、他国に注文を付けるには、まずは自国で十分な取り組みをしていなければまず相手を動かすことは出来ないはずである。他の環境保護への意識が高い国と日本が一緒になって世界に対し環境への配慮を求めるというのが望ましい図式だと思う。

 2つ目について、環境破壊については人間の損益が基準になっているように思われた。「環境破壊と言うが、水はきれいに、空気も汚れていない」と言うが、自然豊かなこの大学ではなく、大都会の真ん中ではどうだろうか。自動車交通の発達とともに発生した利益を土木に帰すならば、排ガス問題もまた土木に帰せられるはずである。加えて、野生動物と車の接触事故による被害もまた同様と言える。また、水そのものがきれいになっても、河川の工事によって失われた自然は無いのだろうか。「発展の段階において一度環境は破壊されるが、後に技術によって乗り越えられる」と言っていたが、やはり取り戻せないものはあるはずである。(「手つかずの自然」は言葉通りその最たる例と言える。)

 ただし、この2つ目については、自分が少し誤解をしていたことに気付いた。当初「空気や川の汚れはそんなにひどくない」という単純な断定から、「だから環境破壊は土木の責任ではない」と言っているような印象を受けた。誤解と気づくことが出来たのは、レポートのために反証を探し、破壊された環境の復興について調べるにつれて、かつての過ちへの十分な反省のもと研究が為されていること、そしてむしろ土木によって環境問題を改善できることが分かってきたためである。但し、反射的に先のような感想が浮かんでしまうということは、やはりまだまだかつての過ちの「呪い」は根深く、土木に携わる人間は発信に気を付けるべきなのではないかと思う。

参考
https://note.com/partonpantor/n/nf5ec1a8ec122
https://kyushu.env.go.jp/okinawa/press_00018.html
https://www.jstage.jst.go.jp/article/grj1925/45/3/45_3_231/_pdf/-char/en
https://core.ac.uk/download/pdf/39179891.pdf


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