細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

学生による論文(11) 「難工事だった鍋立山トンネルとそのストック効果」 副島 翔馬(2022年度の「土木史と文明」の講義より)

2022-10-21 04:48:31 | 教育のこと

「難工事だった鍋立山トンネルとそのストック効果」
副島 翔馬

 今回の講義を聞いて、私は鍋立山トンネルの話を思い出した。このトンネルは新潟県を走る北越急行ほくほく線の、ほくほく大島からまつだいに至るトンネルであり、一般的な知名度はほぼ皆無に等しいと思われる。その一方で、このトンネルはNATM工法さえも通用しなかった大変な難工事のトンネルとして一部に知られているのである。

 このトンネル周辺は泥炭質の土壌で極めて地質状況が悪く、また、内部には高圧の天然ガスを有していた。結果的に建設中に側壁や路盤が膨れてくる、掘っても地面の膨張により先端が押し返される、坑内にメタンガスが充満しておりダイナマイトを使用したところ誘爆するなどの被害に見舞われた。一部ではNATM工法を諦め手堀りに切り替えなければならぬ場面もあり、国鉄解体による第三セクター移管などのいざこざもあり、工事は中断期間を含め21年11か月、殉職者は5名に及んだ。

 これほどの犠牲を以てして、このトンネルを通した意義とは何か。そもそも、北越急行ほくほく線は国鉄直江津駅~六日町駅~越後湯沢駅を結ぶ国鉄北越北線として着工された経緯がある。しかしながら、この路線は俗に国鉄再建法と呼ばれる赤字路線廃止政策により、いったん建設の中止を余儀なくされたのである。それならば、わざわざ第三セクター化してまでこの路線の構想を復活し、再びこの山に挑んだのには相当な理由があるはずである。

 実際の所、これは当初は新潟出身の田中角栄による圧力であるところが大きかったようだ。だが、建設中の1988年、この路線を高速化しJRとの直通特急を走らせる構想が持ち上がり、この北越北線→ほくほく線には北陸新幹線が直江津以遠まで開業するまでの越後湯沢→直江津間の速達化という重要な使命が与えられることとなった。結果として東京~金沢間の所要時間はそれまでの長岡経由のおよそ15分短縮され、沿線の人口や観光客も増えたといわれる。結果的に北越急行は北陸新幹線開業までに130億円という第三セクターとしては莫大な留保を確保することができ、それが現在でも同社のしばらくの安定につながっている。近年は列車の一部スペースを活用した小規模貨物輸送なども行われており、日本海側の物流に貢献している。

 このように、知名度の低い地方の一インフラであっても、その効果は計り知れない例があるのである。先人の、この路線の重要性に気づき鍋立山トンネルを完成させた意地と知恵と根性には感服せざるを得ない。 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿