よく晴れた朝だが、赤城山はうっすらとしか見えなかった。
△2083レ
EH200がコンテナを引っ張って下っていく。
△H7編成 39T運用
続いてH7編成が下っていく。
△ホリデー快速河口湖1号
今日は寒いが行楽日和。
しかし、やはり寒い。
△H4編成 73T運用
わずか15分の間にいろいろ撮れて効率がよい。
△H4編成 73T運用
H4編成は八王子駅で6分停車してすぐに引き返してきた。
トタSを通り抜けて東京へ。
△H7編成 39T運用
高尾から中央特快となりH4編成の後を追いかけて上っていった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
昨日買ったDJに中央線201系のことが書かれている。
ダイヤ改正後も引き続き運用が継続するようだが、どの程度のことなのだろうか。
△2083レ
EH200がコンテナを引っ張って下っていく。
△H7編成 39T運用
続いてH7編成が下っていく。
△ホリデー快速河口湖1号
今日は寒いが行楽日和。
しかし、やはり寒い。
△H4編成 73T運用
わずか15分の間にいろいろ撮れて効率がよい。
△H4編成 73T運用
H4編成は八王子駅で6分停車してすぐに引き返してきた。
トタSを通り抜けて東京へ。
△H7編成 39T運用
高尾から中央特快となりH4編成の後を追いかけて上っていった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
昨日買ったDJに中央線201系のことが書かれている。
ダイヤ改正後も引き続き運用が継続するようだが、どの程度のことなのだろうか。
7~8年前だったか、吾妻線に乗りに行ったが、長野原草津口までたどりついたところで急に草津温泉に行ってみたくなり、途中下車した。
草津温泉のあと、軽井沢に出たため大前までの区間が未乗のまま残っていた。
その後、関東地方で唯一の未乗区間となり、しばらく温存していたが、今春あたりどこかに異動になりそうな気がしないでもないので、行ってみることにした。
八王子6時32分発の八高線に乗車。
車内には中学受験に行くと思われる子供と親が何組おり、いつもの八高線と雰囲気が違った。
拝島からも何組か同様の親子が乗り込んできたが、隣に座った子は「みんな頭よさそうに見える」「なんだか緊張してきた」「パンが食べたい」「眠くなってきた」などと思ったことをそのまま言うので面白い。
しかし、テキストを見ながら「被爆国って何?」「キューバってどこ?」などと言うものだから、こちらもドキリとする。
政治経済までは手が回っていないのか。
高崎からは長野原草津口行きに乗車。
中之条で交換待ちの間に。
編成はクモハ115-1035+モハ114-1046+クハ115-1036。
さて、いよいよ渦中の現場へと進む。
今回は吾妻線完乗が目的だが、八ツ場ダムの騒ぎがなければ、今回行ったかどうかは怪しい。
吾妻線は、八ツ場ダム建設に伴い、岩島~長野原草津口間で付替えが行われるが、第一吾妻川橋梁が見えた。
日本一短いトンネルは一瞬で通過し、川原湯温泉駅へ。
そして、八ツ場ダム工事の象徴のようになってしまった橋が見えてきた。
政権交代直後はT字型だったが、桁が伸び、中央閉合まで進んだようだ。
上流側にもう一本大きな橋ができているが、この橋に至る取付け部はできていない。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
こちらは長野原草津口から徒歩数分のところにある、第三吾妻川橋梁。
この橋も吾妻線の付替えのために建設された鉄道橋だ。
こちらは同じ場所から反対側を見たところ。
もし、付替え路線が完成すれば、このあたりで在来区間に取り付けられるのだろう。
適当に歩いて踏切があったので、そこで185系特急「草津」を撮る。
普通電車を41km地点で。
このキロポストは将来移動するのか、このままなのか・・・。
第三吾妻川橋梁の下では工事用桟橋の片付けが行われていた。
この橋のすぐそばには立派な道路橋があるので、吾妻線の付替えが行われなければ、特段用途はなさそうである。
未成線となるのか・・・。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
長野原草津口付近の散策を終え、いよいよ大前へ。
ホームに行くと、回送の185系が休憩していた。
大前行きの電車が長野原草津口駅にやってきた。
編成はクモハ115-1566+モハ114-1030+クハ115-1094。
終点大前に到着。
これにて関東地方は、ケーブル・リフト除き、完乗。
終端部を見届けて引き返す。
長野原草津口駅の手前で長野原線の廃線跡らしきものが見えた。
野次馬ながら、複雑すぎる問題に思えた。
正直、人々の関心が薄らいで、放置されてしまいそうな予感がした。
高崎からは八高線で。
編成はキハ110-207+221+222。
草津温泉のあと、軽井沢に出たため大前までの区間が未乗のまま残っていた。
その後、関東地方で唯一の未乗区間となり、しばらく温存していたが、今春あたりどこかに異動になりそうな気がしないでもないので、行ってみることにした。
八王子6時32分発の八高線に乗車。
車内には中学受験に行くと思われる子供と親が何組おり、いつもの八高線と雰囲気が違った。
拝島からも何組か同様の親子が乗り込んできたが、隣に座った子は「みんな頭よさそうに見える」「なんだか緊張してきた」「パンが食べたい」「眠くなってきた」などと思ったことをそのまま言うので面白い。
しかし、テキストを見ながら「被爆国って何?」「キューバってどこ?」などと言うものだから、こちらもドキリとする。
政治経済までは手が回っていないのか。
高崎からは長野原草津口行きに乗車。
中之条で交換待ちの間に。
編成はクモハ115-1035+モハ114-1046+クハ115-1036。
さて、いよいよ渦中の現場へと進む。
今回は吾妻線完乗が目的だが、八ツ場ダムの騒ぎがなければ、今回行ったかどうかは怪しい。
吾妻線は、八ツ場ダム建設に伴い、岩島~長野原草津口間で付替えが行われるが、第一吾妻川橋梁が見えた。
日本一短いトンネルは一瞬で通過し、川原湯温泉駅へ。
そして、八ツ場ダム工事の象徴のようになってしまった橋が見えてきた。
政権交代直後はT字型だったが、桁が伸び、中央閉合まで進んだようだ。
上流側にもう一本大きな橋ができているが、この橋に至る取付け部はできていない。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
こちらは長野原草津口から徒歩数分のところにある、第三吾妻川橋梁。
この橋も吾妻線の付替えのために建設された鉄道橋だ。
こちらは同じ場所から反対側を見たところ。
もし、付替え路線が完成すれば、このあたりで在来区間に取り付けられるのだろう。
適当に歩いて踏切があったので、そこで185系特急「草津」を撮る。
普通電車を41km地点で。
このキロポストは将来移動するのか、このままなのか・・・。
第三吾妻川橋梁の下では工事用桟橋の片付けが行われていた。
この橋のすぐそばには立派な道路橋があるので、吾妻線の付替えが行われなければ、特段用途はなさそうである。
未成線となるのか・・・。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
長野原草津口付近の散策を終え、いよいよ大前へ。
ホームに行くと、回送の185系が休憩していた。
大前行きの電車が長野原草津口駅にやってきた。
編成はクモハ115-1566+モハ114-1030+クハ115-1094。
終点大前に到着。
これにて関東地方は、ケーブル・リフト除き、完乗。
終端部を見届けて引き返す。
長野原草津口駅の手前で長野原線の廃線跡らしきものが見えた。
野次馬ながら、複雑すぎる問題に思えた。
正直、人々の関心が薄らいで、放置されてしまいそうな予感がした。
高崎からは八高線で。
編成はキハ110-207+221+222。
シュツットガルツHbfで45分ほど時間があったので、駅の中をウロウロして時間をつぶす。
時刻は14時半だったが、13時14分発のライプチヒ行きがディーゼル機関車の重連に曳かれて入線。
この列車、てっきりニュルンベルグあたりを経由するものだと思ったが、経由地を見て驚いた。
マンヘイム、ケルン、ドルトムント、ハノーファー・・・とは。
ずいぶんとかわいい機関車だ。
さて、フランクフルトまで乗車するICE596がやってきた。
コンパートメントが空いていたので、占領。
マンヘイムHbfの手前で車掌からお菓子が配られた。
フランクフルト(アムマイン)Hbfに到着。
もう少し見てまわりたかったが、時間切れにつき、今回の欧州鉄道旅行はこれにて終了。
コンスタンツでは、ボーデン湖畔を歩いてみたかったが、飛行機の時間があるので、駅に15分ほど滞在して、直ちにフランクフルトに向かう。
コンスタンツからフランクフルトまでは直通列車がないので、シンゲン、シュツットガルツで乗り継ぐ。
コンスタンツからシンゲンまでは、オッフェンブルグから乗った列車と同じ路を引返す。
ボーデン湖とはここでお別れ。
もう少し山に囲まれた感じの湖だと思っていたので、イメージが違った。
2階建て車両はこのような構造になっている。
かなりゆったりとしたレイアウトだ。
シンゲンには12時05分に到着したが、次に乗るチューリッヒHB発シュツットガルツHbf行きICE280は12時09分発。
ホームが違ったが、無事乗換できた。
こちらは1等車だが、このタイプは初めて見た。
近年、コンパートメントは減ってきているようだが、この程度の仕切りがあれば、十分独立した空間が確保できる。
そして勾配を上り、シュヴァルツヴァルツの中へと進んでいった。
Rottweil駅の構内には廃車が陳列してあった。
ICE3なので、前面展望ができる。
この路線は、チューリッヒ~シュツットガルツ間を運行するICEが2時間ヘッドで運行されている。
幹線とは言いがたい路線で単線区間もあり、交換待ちをすることもある。
交換待ちの際に前方を見ていると、チューリッヒ行きのICE185がやってきた。
山間部をぬけると田園地帯となる。
シュツットガルツが近くなり、Sバーンと並走する。
駅が近くなり、前面展望写真を撮っていると、車掌がやってきて「ここは景色のいい路線だったでしょう。シュヴァルツヴァルツの中を走るからね」とニコニコしていた。
6番線に到着。
コンスタンツからフランクフルトまでは直通列車がないので、シンゲン、シュツットガルツで乗り継ぐ。
コンスタンツからシンゲンまでは、オッフェンブルグから乗った列車と同じ路を引返す。
ボーデン湖とはここでお別れ。
もう少し山に囲まれた感じの湖だと思っていたので、イメージが違った。
2階建て車両はこのような構造になっている。
かなりゆったりとしたレイアウトだ。
シンゲンには12時05分に到着したが、次に乗るチューリッヒHB発シュツットガルツHbf行きICE280は12時09分発。
ホームが違ったが、無事乗換できた。
こちらは1等車だが、このタイプは初めて見た。
近年、コンパートメントは減ってきているようだが、この程度の仕切りがあれば、十分独立した空間が確保できる。
そして勾配を上り、シュヴァルツヴァルツの中へと進んでいった。
Rottweil駅の構内には廃車が陳列してあった。
ICE3なので、前面展望ができる。
この路線は、チューリッヒ~シュツットガルツ間を運行するICEが2時間ヘッドで運行されている。
幹線とは言いがたい路線で単線区間もあり、交換待ちをすることもある。
交換待ちの際に前方を見ていると、チューリッヒ行きのICE185がやってきた。
山間部をぬけると田園地帯となる。
シュツットガルツが近くなり、Sバーンと並走する。
駅が近くなり、前面展望写真を撮っていると、車掌がやってきて「ここは景色のいい路線だったでしょう。シュヴァルツヴァルツの中を走るからね」とニコニコしていた。
6番線に到着。
この日はフランクフルトから帰国する日だが、成田行きの飛行機は20時45分なので、シュヴァルツヴァルツのローカル線をうろついてからフランクフルトに向かうことにした。
ストラスブールの駅に7時半頃に行き、窓口で切符を買い、ホームに上がるとボルドー行きのTGV5450が出発していった。
2年前に乗った列車だ。
本日最初の列車は、25番線から発車するオッフェンブルグ行き。
日本のゼロ番線のようなホームに、2両編成のディーゼルカーが停まっている。
ライン川を渡ると、シュヴァルツヴァルトの向こうに朝焼けが見えてきた。
浅川から見る、多摩丘陵の朝焼けを思い出した。
オッフェンブルグに到着してしばらくすると、バーゼルSBB行きのICEが到着。
出発して行くところを見送る。
こちらはフライブルグ行きのRE。
出発前、運転士はサンドイッチを食べ食事をしていた。
そして、コーヒーらしきものを飲み、私に手を振って出発していった。
日本では列車の運転士が飲食していたら大騒ぎになるが、あちらでは飲食行為はとやかく言われない。
入替え用機関車。
客車が2階建てばかりなので、余計小さく見える。
オッフェンブルグからシュヴァルツヴァルツに入るローカル線は、トマスクックの時刻表などで景色のいい路線として紹介されているが、さっそくこんな景色がはじまる。
山を越えると、ドナウ川の流域となる。
ボーデン湖湖畔のコンスタンツに到着。
スイスと国境を接する町である。
途中で、妙に車長の短い電車を数回見かけたが、正体はスイスの連接車だった。
田舎の小さな町だが、駅前はきれいな街並みだった。
国境を接しているだけあって、どこかスイスっぽい。
ストラスブールの駅に7時半頃に行き、窓口で切符を買い、ホームに上がるとボルドー行きのTGV5450が出発していった。
2年前に乗った列車だ。
本日最初の列車は、25番線から発車するオッフェンブルグ行き。
日本のゼロ番線のようなホームに、2両編成のディーゼルカーが停まっている。
ライン川を渡ると、シュヴァルツヴァルトの向こうに朝焼けが見えてきた。
浅川から見る、多摩丘陵の朝焼けを思い出した。
オッフェンブルグに到着してしばらくすると、バーゼルSBB行きのICEが到着。
出発して行くところを見送る。
こちらはフライブルグ行きのRE。
出発前、運転士はサンドイッチを食べ食事をしていた。
そして、コーヒーらしきものを飲み、私に手を振って出発していった。
日本では列車の運転士が飲食していたら大騒ぎになるが、あちらでは飲食行為はとやかく言われない。
入替え用機関車。
客車が2階建てばかりなので、余計小さく見える。
オッフェンブルグからシュヴァルツヴァルツに入るローカル線は、トマスクックの時刻表などで景色のいい路線として紹介されているが、さっそくこんな景色がはじまる。
山を越えると、ドナウ川の流域となる。
ボーデン湖湖畔のコンスタンツに到着。
スイスと国境を接する町である。
途中で、妙に車長の短い電車を数回見かけたが、正体はスイスの連接車だった。
田舎の小さな町だが、駅前はきれいな街並みだった。
国境を接しているだけあって、どこかスイスっぽい。