ここ何年かの間で、
メールやブログをしている方と何人か、お会いした。
しかし、その「順番」は人により異なる。
最初、メールで知り合って、
のちにお会いした人。
逆に、日常の暮らしの中で出会って、
あとからメールをするようになった人。
この二通りに分かれる。
しかし、ほとんどの人に共通しているのが、
「会った時と、メールでのその人が、一致しない」
ということだ。
前者の、「先メール」の方達は、
実際お会いしてみると、そのイメージとの差が大きい。
良いにつけ失望につけ、
ギャップを感じる時がある。
こんなしっかりしたメールの人が、
こんな慌て者だったなんて・・。
いつも長いメールの人なのに、
お話する時は無口だな・・。
といったパターンである。
後者の「後メール」の方達は、
先に会った分、メールへの期待度も高くなる。
そこからの意外な一面を見たりする。
あんなおとなしい人だったのに、
ずいぶん過激なブログを書く人だな・・。
メール興味なさそうだったけど、
いつもコマメに返信をくれるなぁ・・。
明るい感じの人なのに、
なんでメールは、こんな落ち込む話ばかりなの・・?
というパターンだ。
会って、話をした時の顔が、
当然ながら、「その人」だと思っている。
メールやブログは、その人の「もう一つの顔」にすぎない。
本当の「その人」を見たいから、会いに行くわけだし。
でも・・
数年前、
前者の「先メール」で知り合った人とお会いした。
いつも、寂しがりのメールばかりだった人が、
会った時は、とても明るくよく笑う人で、
(あ、やっぱりこの姿がこの人なんだな)と思った。
しかし、後日その人からメールが届く。
『ごめんなさい。あの日は精一杯自分を作ってました』
メールが、自分の本当の姿だと言い切った。
それ以来、
どちらもが、その人なのだと納得するようになった。
メールで、仲がこじれたことも、何度かある。
私も、このブログをはじめ、メールでは、
「自分ではない自分」を出しているのかもしれない。
いや・・、
こちらが、本当の自分の「顔」だとしたら・・。
みんな、メールの顔を持っている。
それが、本当の顔かどうかは、
自分にしかわからないのではないか。
メールやブログをしている方と何人か、お会いした。
しかし、その「順番」は人により異なる。
最初、メールで知り合って、
のちにお会いした人。
逆に、日常の暮らしの中で出会って、
あとからメールをするようになった人。
この二通りに分かれる。
しかし、ほとんどの人に共通しているのが、
「会った時と、メールでのその人が、一致しない」
ということだ。
前者の、「先メール」の方達は、
実際お会いしてみると、そのイメージとの差が大きい。
良いにつけ失望につけ、
ギャップを感じる時がある。
こんなしっかりしたメールの人が、
こんな慌て者だったなんて・・。
いつも長いメールの人なのに、
お話する時は無口だな・・。
といったパターンである。
後者の「後メール」の方達は、
先に会った分、メールへの期待度も高くなる。
そこからの意外な一面を見たりする。
あんなおとなしい人だったのに、
ずいぶん過激なブログを書く人だな・・。
メール興味なさそうだったけど、
いつもコマメに返信をくれるなぁ・・。
明るい感じの人なのに、
なんでメールは、こんな落ち込む話ばかりなの・・?
というパターンだ。
会って、話をした時の顔が、
当然ながら、「その人」だと思っている。
メールやブログは、その人の「もう一つの顔」にすぎない。
本当の「その人」を見たいから、会いに行くわけだし。
でも・・
数年前、
前者の「先メール」で知り合った人とお会いした。
いつも、寂しがりのメールばかりだった人が、
会った時は、とても明るくよく笑う人で、
(あ、やっぱりこの姿がこの人なんだな)と思った。
しかし、後日その人からメールが届く。
『ごめんなさい。あの日は精一杯自分を作ってました』
メールが、自分の本当の姿だと言い切った。
それ以来、
どちらもが、その人なのだと納得するようになった。
メールで、仲がこじれたことも、何度かある。
私も、このブログをはじめ、メールでは、
「自分ではない自分」を出しているのかもしれない。
いや・・、
こちらが、本当の自分の「顔」だとしたら・・。
みんな、メールの顔を持っている。
それが、本当の顔かどうかは、
自分にしかわからないのではないか。