今回もまた、自分の人生を絶つ決断を決断をした少年がいます。インターネット上では「その少年の精神が弱すぎる」とか、「そのくらいのことで人生を絶つのは大げさ」とかいう無責任な論調もありました。
また、原因を「大きな声での叱責」に求めた、著名な教育評論家の意見もありました。
「生徒指導で一番大事なのは生徒を理解する、生徒の話をよく聞くこと。しっかり受け止めて心の叫びをつかまえることができれば、生徒は先生に信頼を寄せ始めます」 「でかい声を出すってことは、自分の思いとかをぶつけるってことなんです。恐怖ですよ」
問題はそこじゃないんですよ。中学生の未熟な気持ちを理解できていない教育者があまりにも多いということなんですよ。もっといえば、どんな生徒でも信頼を勝ち取ることのできる教育者なんか絶対にいないんです。そこが一番大きな問題点なんですよ。
「でかい声を出して叱責」されることで、自分の弱点に気づき克服していく生徒もいるでしょう。「生徒の話をしっかり聞く」ことで、その先生に信頼を寄せ、自分の思いを打ち明けてくれる生徒もいるでしょう。指導力が皆無な先生でも、できない自分を重ねて親近感を覚え、「なぜあの先生に?」と思われても、みんなから信用されない先生こそを慕う生徒もいたりします。学習指導が素晴らしい先生にあこがれて、その先生に傾倒していく生徒もいるでしょう。クラブ活動に燃えてその活動を通して顧問の先生と信頼関係を築く生徒もいるでしょう。
さて、上記のような役割を1人でこなせる先生っていますか? いないでしょうね。だから、「生徒指導で一番大事なのは生徒を理解する、生徒の話をよく聞くこと。しっかり受け止めて心の叫びをつかまえることができれば、生徒は先生に信頼を寄せ始めます」なんて妄言が出てくるわけですよ。
それぞれの生徒に対して、信頼できる先生が学校現場に1人いればそれでいいんです。そして「どの生徒が誰を一番信頼しているか」を先生同士が把握しておけば一番いいんですよ。それを「俺がこいつを指導する!」とかわけの分からない先生がいるからこんな悲劇が起こるんですよ。
私自身も含めた全ての先生は思い上がりを辞めるべきです。自分でできることなんかほんの少ししかないんです。でもその中で自分のできることを全力でする姿を見せ続けるから「2番手・3番手」に信頼できる先生になっていくんです。子供たちから信頼されるなんて本当に難しいことなんですよ。私は私の教え子たちに信用されていると思いますよ。少しくらいはね。でもそのために一人ひとりと信頼関係を築くために、何年かかっていると思います?
今までの最長記録は9年ですよ。9年。ほとんどの生徒は本気で叱ることができるまでに3年以上かかっています。で、中学校の先生は子供たちとどれくらいの期間向き合いますか。長くて3年ですよね。そんな短期間で子供たちと信頼関係を築けると思うほうがおかしいんですよ。
みなさんもご自信の経験を思い返していただければそうではないですか? そんなに簡単に先生のことを信用しましたか?
今回の事件は、大阪市立桜ノ宮高校のバスケ部の主将が抱いたしんどさと重なる部分が多いように感じます。指導する先生方の傲慢さが今回の結果を招いたんだと思います。
子供たちに自分の想いを伝えることは本当に難しいんですよ。この担任の先生は「なんでお前は俺の言うことが分からないんだ!」と思っていたんでしょうね。
あなたは自分の指導に対して「違うかも?」という意識を持っていましたか? 複数の先生に自分の指導方針を客観的に見てどう思うかの助言をもらい、おかしければ修正すると言う当たり前の手順を踏みましたか? あなたの「正しい」と思っていることは本当に客観的に正しいことですか?
私は子供たちを叱責するときにはいつもこのことを意識しています。そろばんで幼稚園児~大学生までを教えている経験。中学校で一年間非常勤講師をした経験。奈良教育大学の学部生の授業を5年間行った経験。高校の教育実習で先生と言う立場から、自分が教えて頂いた先生の授業を見せていただいた経験。そろばんボランティアでのべ100クラス以上の小学3・4年生を教えた経験。これまで200名以上の保護者の皆様と懇談をさせていただいた経験。をもとにして、常に「正しい」という基準を修正し続けているつもりです。
先生という立場の人間は、矜持を持つことは大切だけれども、それ以上に常に自分の価値観を修正し続ける謙虚さが必要なんです。今書いたことは自分への戒めとしてもきちんと胸にとどめておきたいと思います。
最後になりましたが、自分の人生を絶つ決断をしなければならないほど苦しんだあなたに、何もできなかったことを大人としてお詫びします。残された皆様に心からのお悔やみを申し上げます。そして心からご冥福をお祈りいたします。
また、原因を「大きな声での叱責」に求めた、著名な教育評論家の意見もありました。
「生徒指導で一番大事なのは生徒を理解する、生徒の話をよく聞くこと。しっかり受け止めて心の叫びをつかまえることができれば、生徒は先生に信頼を寄せ始めます」 「でかい声を出すってことは、自分の思いとかをぶつけるってことなんです。恐怖ですよ」
問題はそこじゃないんですよ。中学生の未熟な気持ちを理解できていない教育者があまりにも多いということなんですよ。もっといえば、どんな生徒でも信頼を勝ち取ることのできる教育者なんか絶対にいないんです。そこが一番大きな問題点なんですよ。
「でかい声を出して叱責」されることで、自分の弱点に気づき克服していく生徒もいるでしょう。「生徒の話をしっかり聞く」ことで、その先生に信頼を寄せ、自分の思いを打ち明けてくれる生徒もいるでしょう。指導力が皆無な先生でも、できない自分を重ねて親近感を覚え、「なぜあの先生に?」と思われても、みんなから信用されない先生こそを慕う生徒もいたりします。学習指導が素晴らしい先生にあこがれて、その先生に傾倒していく生徒もいるでしょう。クラブ活動に燃えてその活動を通して顧問の先生と信頼関係を築く生徒もいるでしょう。
さて、上記のような役割を1人でこなせる先生っていますか? いないでしょうね。だから、「生徒指導で一番大事なのは生徒を理解する、生徒の話をよく聞くこと。しっかり受け止めて心の叫びをつかまえることができれば、生徒は先生に信頼を寄せ始めます」なんて妄言が出てくるわけですよ。
それぞれの生徒に対して、信頼できる先生が学校現場に1人いればそれでいいんです。そして「どの生徒が誰を一番信頼しているか」を先生同士が把握しておけば一番いいんですよ。それを「俺がこいつを指導する!」とかわけの分からない先生がいるからこんな悲劇が起こるんですよ。
私自身も含めた全ての先生は思い上がりを辞めるべきです。自分でできることなんかほんの少ししかないんです。でもその中で自分のできることを全力でする姿を見せ続けるから「2番手・3番手」に信頼できる先生になっていくんです。子供たちから信頼されるなんて本当に難しいことなんですよ。私は私の教え子たちに信用されていると思いますよ。少しくらいはね。でもそのために一人ひとりと信頼関係を築くために、何年かかっていると思います?
今までの最長記録は9年ですよ。9年。ほとんどの生徒は本気で叱ることができるまでに3年以上かかっています。で、中学校の先生は子供たちとどれくらいの期間向き合いますか。長くて3年ですよね。そんな短期間で子供たちと信頼関係を築けると思うほうがおかしいんですよ。
みなさんもご自信の経験を思い返していただければそうではないですか? そんなに簡単に先生のことを信用しましたか?
今回の事件は、大阪市立桜ノ宮高校のバスケ部の主将が抱いたしんどさと重なる部分が多いように感じます。指導する先生方の傲慢さが今回の結果を招いたんだと思います。
子供たちに自分の想いを伝えることは本当に難しいんですよ。この担任の先生は「なんでお前は俺の言うことが分からないんだ!」と思っていたんでしょうね。
当たり前じゃ!
あなたは自分の指導に対して「違うかも?」という意識を持っていましたか? 複数の先生に自分の指導方針を客観的に見てどう思うかの助言をもらい、おかしければ修正すると言う当たり前の手順を踏みましたか? あなたの「正しい」と思っていることは本当に客観的に正しいことですか?
私は子供たちを叱責するときにはいつもこのことを意識しています。そろばんで幼稚園児~大学生までを教えている経験。中学校で一年間非常勤講師をした経験。奈良教育大学の学部生の授業を5年間行った経験。高校の教育実習で先生と言う立場から、自分が教えて頂いた先生の授業を見せていただいた経験。そろばんボランティアでのべ100クラス以上の小学3・4年生を教えた経験。これまで200名以上の保護者の皆様と懇談をさせていただいた経験。をもとにして、常に「正しい」という基準を修正し続けているつもりです。
先生という立場の人間は、矜持を持つことは大切だけれども、それ以上に常に自分の価値観を修正し続ける謙虚さが必要なんです。今書いたことは自分への戒めとしてもきちんと胸にとどめておきたいと思います。
最後になりましたが、自分の人生を絶つ決断をしなければならないほど苦しんだあなたに、何もできなかったことを大人としてお詫びします。残された皆様に心からのお悔やみを申し上げます。そして心からご冥福をお祈りいたします。