え~と、去年のブログでご紹介した奈良のTetsu先生のブログが大変興味深いものでした。
そのブログがこちらです
というか、入試前の演習で生徒の答案を見ない塾ってあるんですね。びっくりしました。私なんかやってもやっても不安しかないんですけどね。そういう塾で講師をされている方は、生徒が不合格になっても何も感じないんですかね? それとも「私はきちんと教えてるのに、不合格になるほうが悪い!」とでも考えているんですかね?
私はこの時期は作文の指導に全力を注いでいます。あっ、作文だけではないですけどね。「特に作文を」ですよ。国語のC問題については、いいと感じる問題がないので自作しているくらいです。そしてその答え方を見て、次の作戦を練る感じですかね。生徒の答案を見ないでいったいどうやって次の授業を組み立てていくんでしょうかね?
もっといえば、私は定期試験の答案も、試験終了後に生徒との二者懇談を生徒としながら副教科まで全教科チェックします。点数的に伸びていなくても、答え方の変化や解答欄の埋まり具合、記号問題で「感」での得点で下がっていないように見えるだけかなど、気になることはすべてみています。だからではないですが、おおよそのテストの得点は見る前に分かります。たまに予想を外すときはありますよ。たいてい私の予想を上回ってくるという場合ですね。テスト勉強の過程で、理解の仕方をつかんだ場合はこのようになることが多いですね。
私は学習塾に通った経験も、学習塾に勤めた経験もありません(少人数指導の学習塾に勤めた経験はありますが、基本的に講師にお任せのスタイルでしたので、個別指導のバイト講師程度の経験ですね)。
それでも、最初から生徒たちの答案のチェックはしていましたから、指導者としての意識の問題だと思います。子供たちを伸ばすために必要なことは、「なんでお前ら分からへんねん!」と思うことではなく、「どのように教えれば分かるんやろう?」と、常に指導する側が自分自身の指導を問い続けることだと思います。
今日も、朝から入試問題を演習しました。驚いたことは全員が作文を時間内に書けるようになっていたことです。私の指導が少しでも役に立ったかと思うとうれしい限りですね。
さてあと1週間ほどで、自慢の教え子たちも公立入試の舞台に立つわけです。今年はトップレベルの高校に挑戦する生徒も登場し、さらにはメンバー全員が最後の定期考査で学年平均を上回り、実力テストも上回りと、本当によく頑張ってくれました。今日の予行演習の成績もなかなかによいものでした。決して安全な受験ではなけれど、試験が近づくにつれて全員がその実力をきちんと伸ばしています。
私は受験の前日まで、教え子たちの答案や反応、表情などを見ながら、少しでもいい状態にたどり着く手助けをするだけです。3月20日に全員の笑顔を見ることができるといいなと思います。
※私の教室は進学塾ではないため、今年度の合格校は発表しません。ただし、過年度卒業生については順次合格校を掲載しています。それは「生徒とともに、そうした高校を目指した結果進学できた」という事実を示すため。そして「その高校に進学できるような指導環境を提供はできたかな」という意味合いをこめています。もちろんたゆまぬ努力をしたのは自慢の教え子ですからね。あくまで「そうした高校に合格できるようにともにがんばった」という意味合い以上のものはありません。指導者の力量なんて、自慢の教え子たちの前では「質問に答えることができる」「間違った知識を提供しないように日夜努める」くらいの意味しかないと思いますよ。
そのブログがこちらです
というか、入試前の演習で生徒の答案を見ない塾ってあるんですね。びっくりしました。私なんかやってもやっても不安しかないんですけどね。そういう塾で講師をされている方は、生徒が不合格になっても何も感じないんですかね? それとも「私はきちんと教えてるのに、不合格になるほうが悪い!」とでも考えているんですかね?
私はこの時期は作文の指導に全力を注いでいます。あっ、作文だけではないですけどね。「特に作文を」ですよ。国語のC問題については、いいと感じる問題がないので自作しているくらいです。そしてその答え方を見て、次の作戦を練る感じですかね。生徒の答案を見ないでいったいどうやって次の授業を組み立てていくんでしょうかね?
もっといえば、私は定期試験の答案も、試験終了後に生徒との二者懇談を生徒としながら副教科まで全教科チェックします。点数的に伸びていなくても、答え方の変化や解答欄の埋まり具合、記号問題で「感」での得点で下がっていないように見えるだけかなど、気になることはすべてみています。だからではないですが、おおよそのテストの得点は見る前に分かります。たまに予想を外すときはありますよ。たいてい私の予想を上回ってくるという場合ですね。テスト勉強の過程で、理解の仕方をつかんだ場合はこのようになることが多いですね。
私は学習塾に通った経験も、学習塾に勤めた経験もありません(少人数指導の学習塾に勤めた経験はありますが、基本的に講師にお任せのスタイルでしたので、個別指導のバイト講師程度の経験ですね)。
それでも、最初から生徒たちの答案のチェックはしていましたから、指導者としての意識の問題だと思います。子供たちを伸ばすために必要なことは、「なんでお前ら分からへんねん!」と思うことではなく、「どのように教えれば分かるんやろう?」と、常に指導する側が自分自身の指導を問い続けることだと思います。
今日も、朝から入試問題を演習しました。驚いたことは全員が作文を時間内に書けるようになっていたことです。私の指導が少しでも役に立ったかと思うとうれしい限りですね。
さてあと1週間ほどで、自慢の教え子たちも公立入試の舞台に立つわけです。今年はトップレベルの高校に挑戦する生徒も登場し、さらにはメンバー全員が最後の定期考査で学年平均を上回り、実力テストも上回りと、本当によく頑張ってくれました。今日の予行演習の成績もなかなかによいものでした。決して安全な受験ではなけれど、試験が近づくにつれて全員がその実力をきちんと伸ばしています。
私は受験の前日まで、教え子たちの答案や反応、表情などを見ながら、少しでもいい状態にたどり着く手助けをするだけです。3月20日に全員の笑顔を見ることができるといいなと思います。
※私の教室は進学塾ではないため、今年度の合格校は発表しません。ただし、過年度卒業生については順次合格校を掲載しています。それは「生徒とともに、そうした高校を目指した結果進学できた」という事実を示すため。そして「その高校に進学できるような指導環境を提供はできたかな」という意味合いをこめています。もちろんたゆまぬ努力をしたのは自慢の教え子ですからね。あくまで「そうした高校に合格できるようにともにがんばった」という意味合い以上のものはありません。指導者の力量なんて、自慢の教え子たちの前では「質問に答えることができる」「間違った知識を提供しないように日夜努める」くらいの意味しかないと思いますよ。