東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

私の考える教育について

2023-02-13 10:00:00 | 日記
 ちょっと長文化することを覚悟の上で書いていきたいと思います。

 さて、学力の決めてはなんでしょう? この問いに私は明確な答えは持ち合わせていません。幼少期の読み聞かせがいいとか、早期教育はあまりよくないとか、始めるのは早いほうがいいとか…。教育に携わる人の数だけ考え方があるんだと思います。

 私は学校教員を目指していましたが、いろいろな経験をする中、公教育では自分の望む教育はできないと考えるに至りました。それでも教育に携わりたかった私は、一番得意なそろばんで勝負しようと考えたのです。

 私はお勉強をする上で一番大切なことは「できるまでやること」だと思っています。そして「頑張ったらできた」という経験を幼少期にたくさんしておくことだと思っています。クサイ言い方ですが「努力をすることは格好悪いことではない」と体で理解しておくことだとも思っています。

 そろばん学習というものは、まさにこの考え方に最適なのです。全ての作業が人力ですから、結果は努力に正直です。そして努力の過程が取得級で客観的に評価できます。個人個人で努力に対する結果が出るスピードは異なるけれども必ず結果に結びつきます。
 そして、そろばん式暗算という強力な武器があります。これを鍛えることで脳内に変化が起こるのです。

 私は「あくまでそろばんのおまけとして」塾指導をしています。そしてその塾指導の生徒はそろばんを学習した生徒に限定しています。そろばん学習は小学生の間に始まります。お預かり当初から学習姿勢も正しく、学習習慣も生活習慣も完璧!なんて生徒は見たことがありません。これは保護者の皆様の躾が悪いというわけではなくて、子供というのはそういうものです。
 そしてそろばんの指導を通して様々なことを伝えていくわけです。その過程では泣かせることもありますし、叱り飛ばすこともあります。それは「正しくない行動を、当たり前にやらない人間になってほしい」「学習するときには出来るまで・覚えるまでやるという姿勢を持ってほしい」という確固たる指導の信念があるからです。
 しかしながら、何でも叱ればいいというものではありません。やさしく諭し、何度も伝え、信頼関係を築きながら「叱っても大丈夫」という気持ちを持ってはじめて叱ることができるのです。そして叱るときに指導者側に打算があってはいけません。とにかく本気で生徒のことを想わねばなりません。

 そうして、努力することを当たり前だと、上を目指すことが当たり前だと、努力しなければ結果は出ないということをきちんと理解してくれた生徒と共に歩むのです。

 この過程で子どもたちの「成長の瞬間」に直面するのはよくあることです。今まで出来なかったことができる。検定試験で合格する。もちろん素晴らしいことです。でもこうした成長は子どもたちは(経験回数の多い少ないはあるにせよ)必ず経験するものです。

 私が心から嬉しいと感じる成長はといえば、例えば「玄関にあった郵便物をわざわざ持ってきてくれる」とか、「鉛筆がこのごろきちんと削られているようになってきた」とか、「ご挨拶が相手の顔を見てできるようになってきた」とか。毎週複数回顔を合わせるからこそ分かる、こうしたことなんです。

 こうした成長を善しとするには、普段からそうした事柄にも注意していなければならないものです。そろばんの先生を始めた頃は意識しないとできないものでしたが、最近はあまり意識しないで自然体でできるようになってきました。純粋に子どもたちの成長そのものを喜ぶ気持ちが大きいのかもしれません。

 「教育」とは「教え(おしえ)育む(はぐくむ)」と訓読みできます。最近の教育は「おしえる」ことに主機を置きすぎて、「はぐくむ」ことが軽んじられてはいないだろうか?そんなことを考えるようになりました。

 SNSでよくトラブルが起こります。ニュースどころか事件化するものまであります。そこに至る前に止めることができる。こうしたことをおかしいと「当たり前に」思うことができる。これこそが「教育」の根っこの部分だと思うのです。

 私はそろばんの指導を通して、「教え(おしえ)育む(はぐくむ)」の両立をいつも考えています。教えるべきはきちんと教え、「あなたのことはいつもきちんと見ているよ」と言葉と態度で伝える。

 小中学校の先生とは違って、お付き合いの長い生徒だと今年で最長16年、一番長いご家庭とのご縁は19年になりました。これだけ長い間成長を見守ることができるのは、この立場ならではの特権だと思っています。

 こうして「帰る場所がある」と理解してくれた生徒は、これまでのところその生徒ごとに自分のやりたいことを見つけ、その道を自分で見つけてきて、努力を積み重ねなんとかしています。その過程で相談に来てくれたり、時には助けを求めてきます。そして結果を報告に来てくれます。偏差値とか点数にはあまり拘りがないのは、教え子が「私の指導の答え」をそれぞれに教えてくれた結果の積み重ねなんです。

 この積み重ねの集大成として生徒が掴み取った結果とその歩みが、私の教育の答えの「1つの側面」であると思っています。

 
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