

今日は、湘南台ひとりサルサクラスのレッスンでした。
湘南台カルチャーセンターのビルは、1階はキッチンスタジオ、3階は座学のスタジオ、4階にダンスレッスンスタジオ、その上が広い体育館のようなスタジオなのですが、慣れないうちは何階に自分のレッスンスタジオがあるのかわかりにくいのです。
あ、ちなみに2階は飲食店があります。
このように、大変カオスな構造になっているので、入ったばかりの生徒さんがエレベーターに乗ったはいいけど「あれ?私は何階で降りればいいの?」みたいになることも。
今日も、新生徒さんが「教室のフロア間違えました!」と、あわてていらっしゃいました(^.^)
でも、レッスン間に合ってよかったですね!
さて、新しくお仲間に加わった生徒さんも交えて、新しい振り付けレッスン2回目。
今日は、前回のおさらいをメインにし、最後のほうで新しいステップを練習しました。
焦らず反復練習していきましょう。
少なくとも年内は振りうつしにする予定ですから、大丈夫です。
このように、ベリークラスもひとりサルサクラスも新しい振り付けレッスンがスタートしています。
そんななか、少し前からとても気になっている曲。
それが「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ曲です。
失礼を承知でぶっちゃけますと、少し前まで、この手のドラマを私はものすごくバカにしていました。
でも、ダンスと再会し、のめり込み、怒濤のごときスタジオ修行に生活も人生も人生観とか価値観とか私という核みたいなものまでも、
ガァァァーーッ
と掻き回され、
破壊され、
ある意味それがホメオスタシスにもなったりして、
でも最終的にカンパニーダンサーにはなれなかったという挫折としてひとつの夢を終えたとき、
そこにいてくれたんです、
「渡る世間が鬼ばかり」が。
当時私は、修行時代の不摂生とか寝不足、常にイヤホンで音楽を聴いてる生活などが祟ったようで、いっとき耳が聴こえにくくなってしまいました。
テレビの会話がゴニョゴニョとしか聞き取れなかったのです。
好きだった時代劇とかサスペンスもストーリーが理解しずらく、見るだけですごくくたびれてしまいました。
ダンスの挫折感がさらに上乗せされる感じでした。
あるとき、それまで思いっきりバカにしていた渡鬼をうっかり見てしまいました。
なんて聞き取りやすいんだろう!!!
モヤが、サアッと晴れたような爽快感。
ストーリーが理解できることで、ストーリーに引き込まれ、ストーリーと一体になれる幸せ。
とにかく、スガコ先生の方針なのかわかりませんが、
秘密の話だろうがなんだろうが、そして子役であろうと、くちをしっかり開けてハキハキ話す。
今風の言い回しは皆無。
いってまいります
ただいま帰りました
勝手させていただきます
申し訳ありません
お礼の言葉もございません
お夜食をこしらえる
そんな台詞によって、
岡倉大吉と5人の娘たちを中心に、群像劇がくりひろがってる世界。
ストーリー事態は、だからなに?と言いたくなるような、ほんとによくある低刺激な話題です。
親戚のゴタゴタ、嫁姑のひと悶着、親子や子供の進路のこと、従業員が売り上げ持ち逃げしたとか、誰々が入院したとか、あとたまに恋愛。
そんなことです。
でも、台詞の聞きやすさからすっかり渡鬼に魅了されてしまった私は、一人一人のキャラにいちいち共感し、感情移入してしまいました。
ほんとうに新鮮な幸せ。テレビがこんなに楽しいなんて。
ありがとうスガコ先生。みたいな。
だからなのか、レッスンのための振り付けを創るときなど、なぜかどうしても渡鬼のテーマ曲まで浮かんできてしまい、そちらの振り付けのほうも創りたくなってしまうんです…。
渡鬼のテーマ曲は、よく聞くとドラマチックな曲で、
ポール・モーリア風の出だしからタンゴ風の曲調に変わり、ラスト4つの音符だけで波瀾の予感を漂わせてしまう。
この曲作った人すごいなと思わずにはいられません。
だからなんとなく振り付けをイメージしてしまい、止まらないんです。
私のなかでは衣装までしっかりイメージができあがっていて、
しかもおととい観劇したとき、実際見つけちゃったんです。
まさに私のイメージにぴったんこの渡鬼ダンス衣装を。
うれしかったです。