今度、旅行に行きます。
旅行に行ってみようと思えるようになった自分、ダンス以外のそとの世界に意識がむけられるようになった自分、そこにお金を使ってみようと思えるようになった自分。
そんな自分の変化を感じて、「やっと、人間らしい感覚が戻ってきたなあ」とうれしく思っています。
そうかここまで戻って来られたんだな、という感じです。
この感覚は、人によっては
何を言っているのかよくわからない、とか
意味不明すぎてイラッとするわ、もうこのブログ読むのよす
という人もいるかも知れないです、
たくさん。
(余談ですが、読者さんがたくさんいるブロガーの人のところには、何故か一定の割合で「今回の記事には幻滅しました、信じられなくなりました、もう読みません。」みたいなメールを、わざわざ送り付けてくる人がいるそう。きっと、かまってちゃんなんだね。余談、長っ)
でも私にとっては今後の人生のなかでもけっこう大事な一歩になると思うので
今の気持ちをツラツラと書いてみようと思います。
感覚的なことを文章にするのは得意じゃないので、わかりにくかったらごめんなさいネ…。
でも、大きな失恋をして立ち直れないままの人、誰かに何かにのめりこんだり洗脳されたりしたあげく、大きな何かを失い傷ついている人などには、この感覚をわかっていただけるかもしれません。
そしてそんな人に、今は真っ暗闇しか見えないかもしれないけれど、死なないでほしい、時間はかかっても人間らしい感性=ふつうの幸せは取り戻せるよと伝えたい。
私は、スタジオ修行時代、実はダンス以外のことにお金や時間を使うことができませんでした。
ダンス以外のことを楽しむこと、休むこと、眠ることさえ、罪悪感でした。
もちろん始めは、ダンスが楽しいから大好きだから、自然と生活の全てがダンスのことになっていったのですが、
スタジオ専属ダンサー養成プログラム
というのを受け初めてから、だんだんといつの間にか、いろんなことを自分で自分に課すようになっていました。
「いろんなこと」のうち、わかりやすいのが、お金と時間、自分の健康。
自分でも今でも、何故そんなふうになってしまったのかわからない部分もたくさんあります。
だから、このブログを書くということや、ダンスの活動、そして生徒さんと接することで、少しずつほどいていきたいんです。
当時は多分、選んでほしかったんですね、先生に。
収入&貯金や時間や健康…そういう「大切なもの」としてのインパクトが強めのものを差し出すことでアピールし、「選んでもらおう」としていたのかも。
先生に選んでもらえなければ、スタジオ専属ダンサーになれないから。
私はスロースターターだから、ここのスタジオ専属ダンサーになる以外に道はないと思い込んでいました。
どんなにがんばって修行しても、先生に気に入ってもらえなければ私の夢が叶わない→そのためには最大限レッスンに出て存在をアピールしなければ→スタジオでのあらゆるレッスンやイベントにも参加し、お金を差し出さなければ→「がんばってるアピール」も欠かせない。「食う寝るよりダンスが好きです!ダンス以外のことはしません!」アピール。
という、無限思考みたいなものにはまってしまったんです、自分から。
ただでさえスロースターターだからっていう劣等感と焦りが、いつもありました。
でもね…先生にしてみたら、全然そんな方向とは違う考えだったんです。
がんばってるアピールとか、ほんとはつらいのに義務感でお金差し出すとか、「そんなの全然いらないよ」って話だったんです。
そんなこと、生徒に求めてなかったんです。
このあたりの先生の心情は、独立講師になってから私にもわかってきました。
だから結果的には、そういう所とは関係のない視点で、先生が先生の審美眼で選んだ人が、スタジオ専属ダンサーになりました。
選ばれなかった私はとても悲しかったけど、私ももう最後のほうは心身に不調をきたし、レッスンにまともに通えなくなっていましたから、仕方ないですね。
ただその後スタジオがクローズし、物理的に距離がおけるようになったことや
自分が独立し一本うどんで生徒さんと接するようになったことで、なんといいますか、そとの世界とつながれた、自分がそれまでスタジオ修行で身に付けてしまった無限思考が崩れたことで、
自分が変化してきた。
こじれた糸が少しずつ見えるようになりました。
今思うと、
スタジオ修行時代は、お金をダンス以外に使うことがものすごく罪悪感だったし、怖かった。
当時はスタジオ専属で講師をしていたので、先生からお給金をいただくため収入額が先生にわかる仕組みになっていました。
そのため私は、もしお給金を他のことに使ってしまったら、先生に
「あれだけあったインストラクター収入をどうしてレッスンに使わない?そうか、あなたのヤル気はその程度のもんなわけね、あなたは専属ダンサー選考枠から外しとこう」と思われてしまうんじゃないかと恐怖だった。
時間もダンス以外のことに使ってしまうのが罪悪感だったし、怖かった。
「コイツ、ヤル気なくなったんだな」と見捨てられるのが怖かったし、
自分がフッと休んでいる間に、他のコが選ばれてしまうんではないかと、毎日出来るかぎり何時間もレッスンに出て(というより居座って)見張っていないと不安でした。
とにかく選考基準や養成課程がコロコロ変更になる方針だったので、「本当に見張っていないと!」というのもありました。
もちろん、これらは全て私の妄想、思い込み、私の中のエゴが起動して作り出した自己防衛本能で、幻想なんです。
先生はそんなこと思ってないし、してないし、ひとっっっことも言ってませんでした。
恐れから生まれる妄想の破壊力というのは、まったくはかり知れませんね
( ´△`)
このように、無限思考にまみれた心理状態でスタジオ専属ダンサーを目指していたので、うまくいくわけがなく、査定評価も上がらず焦ってきて、そのためにだんだん先生に対しても怨み節のような気持ちを抱くようになってしまいました。
例えば、
先生が「定食を食べている」ことに対して→私は太るのが怖く、食費さえレッスンに回しているから食べられないのに。私だってお腹すいてるのに。→許せない。
スタジオが定期的に1週間休みになることがあったのですが、その間に先生が旅行に行ったり、クラスメイトが家族と旅行に行って楽しんでいた―という話題をうっかり耳にしちゃった時→
私はレッスン代を稼ぐために普段よりさらに輪をかけて働きどおしだったのに。私は収入のほぼ全てをレッスンに回しているのに。→許せない。
という調子。
あらゆることが「許せない」と「許せない自分に自己嫌悪」の繰り返しで、つらかったな…
こんな私でしたから、スタジオとは離れ独立して講師の活動を始めてからも
恐怖心や罪悪感がいっぱいでした。
スタジオ専属ダンサーになれなかった自分
心身を壊してしまった弱い自分
先生や他人を怨んでしまった自分
もう本当は、ダンス以外のことも見てみたい・してみたいと思ってしまう自分
人生の時間を盲目的にレッスンに捧げてしまうのではなく、家族と過ごしたい・家庭ですごしたいと思ってしまう自分
そんな自分に対して。
だから、「旅行に行きたい」とか「家庭が大事」「ダンスも好きだけど、ほかのことも楽しみたい」とか、人に言ってしまったら
批判されたり、
生徒さんが辞めてしまったり、
カルチャーセンターのスタッフさんから「そういう先生にはいてもらいたくない」と言われてしまうのではないか、
干されてしまうのではないか、
そんな不安をいつも心に持っていました。
でも今42才の私は、「人生の中間地点に来て、いい加減これを手放さないでいたら、もう前に進めない」って思うようになりました。
またスタジオ修行時代の無限思考を、繰り返すだけだなと。
そんな私のままでは、
生徒さんにダンスレッスンの場で
楽しい時間や癒される時間、安心したり活力とりもどしたりできる時間など、分け与えて差し上げることなんてできないと思いました。
いろんな人がいて、いろんな生徒さんがいて、いろんな考え方のカルチャースタッフさんがいるのだから、もし私に対して「違うな」と思ったら、自然に離れていくだろう。
いろんな先生がいていいんじゃないか。
私は有機的なことがしたい。
そのためには、まず自分がそうなろう。
楽しんだり、癒されたり、幸せや安心感じたり。
そのために大切なのは
誰かに選んでもらうことや認めてもらうことじゃない。
自分で決めることなんだと思うようになりました。
旅行に行くことを、自分に許そう。
前は「旅行なんて行ったって、ずっとダンスのことを考えているはずだから、行ったって意味ない。」
「旅行行ってきた、とか言ったら生徒さんから怨まれたりするんじゃないか」と思っていたけど、今は…それでもいいから、行こう。
そんなことより、今幸せであることに感謝しよう。
ということで、旅行に行く決断をしました。
楽しんできます。
旅行に行ってみようと思えるようになった自分、ダンス以外のそとの世界に意識がむけられるようになった自分、そこにお金を使ってみようと思えるようになった自分。
そんな自分の変化を感じて、「やっと、人間らしい感覚が戻ってきたなあ」とうれしく思っています。
そうかここまで戻って来られたんだな、という感じです。
この感覚は、人によっては
何を言っているのかよくわからない、とか
意味不明すぎてイラッとするわ、もうこのブログ読むのよす
という人もいるかも知れないです、
たくさん。
(余談ですが、読者さんがたくさんいるブロガーの人のところには、何故か一定の割合で「今回の記事には幻滅しました、信じられなくなりました、もう読みません。」みたいなメールを、わざわざ送り付けてくる人がいるそう。きっと、かまってちゃんなんだね。余談、長っ)
でも私にとっては今後の人生のなかでもけっこう大事な一歩になると思うので
今の気持ちをツラツラと書いてみようと思います。
感覚的なことを文章にするのは得意じゃないので、わかりにくかったらごめんなさいネ…。
でも、大きな失恋をして立ち直れないままの人、誰かに何かにのめりこんだり洗脳されたりしたあげく、大きな何かを失い傷ついている人などには、この感覚をわかっていただけるかもしれません。
そしてそんな人に、今は真っ暗闇しか見えないかもしれないけれど、死なないでほしい、時間はかかっても人間らしい感性=ふつうの幸せは取り戻せるよと伝えたい。
私は、スタジオ修行時代、実はダンス以外のことにお金や時間を使うことができませんでした。
ダンス以外のことを楽しむこと、休むこと、眠ることさえ、罪悪感でした。
もちろん始めは、ダンスが楽しいから大好きだから、自然と生活の全てがダンスのことになっていったのですが、
スタジオ専属ダンサー養成プログラム
というのを受け初めてから、だんだんといつの間にか、いろんなことを自分で自分に課すようになっていました。
「いろんなこと」のうち、わかりやすいのが、お金と時間、自分の健康。
自分でも今でも、何故そんなふうになってしまったのかわからない部分もたくさんあります。
だから、このブログを書くということや、ダンスの活動、そして生徒さんと接することで、少しずつほどいていきたいんです。
当時は多分、選んでほしかったんですね、先生に。
収入&貯金や時間や健康…そういう「大切なもの」としてのインパクトが強めのものを差し出すことでアピールし、「選んでもらおう」としていたのかも。
先生に選んでもらえなければ、スタジオ専属ダンサーになれないから。
私はスロースターターだから、ここのスタジオ専属ダンサーになる以外に道はないと思い込んでいました。
どんなにがんばって修行しても、先生に気に入ってもらえなければ私の夢が叶わない→そのためには最大限レッスンに出て存在をアピールしなければ→スタジオでのあらゆるレッスンやイベントにも参加し、お金を差し出さなければ→「がんばってるアピール」も欠かせない。「食う寝るよりダンスが好きです!ダンス以外のことはしません!」アピール。
という、無限思考みたいなものにはまってしまったんです、自分から。
ただでさえスロースターターだからっていう劣等感と焦りが、いつもありました。
でもね…先生にしてみたら、全然そんな方向とは違う考えだったんです。
がんばってるアピールとか、ほんとはつらいのに義務感でお金差し出すとか、「そんなの全然いらないよ」って話だったんです。
そんなこと、生徒に求めてなかったんです。
このあたりの先生の心情は、独立講師になってから私にもわかってきました。
だから結果的には、そういう所とは関係のない視点で、先生が先生の審美眼で選んだ人が、スタジオ専属ダンサーになりました。
選ばれなかった私はとても悲しかったけど、私ももう最後のほうは心身に不調をきたし、レッスンにまともに通えなくなっていましたから、仕方ないですね。
ただその後スタジオがクローズし、物理的に距離がおけるようになったことや
自分が独立し一本うどんで生徒さんと接するようになったことで、なんといいますか、そとの世界とつながれた、自分がそれまでスタジオ修行で身に付けてしまった無限思考が崩れたことで、
自分が変化してきた。
こじれた糸が少しずつ見えるようになりました。
今思うと、
スタジオ修行時代は、お金をダンス以外に使うことがものすごく罪悪感だったし、怖かった。
当時はスタジオ専属で講師をしていたので、先生からお給金をいただくため収入額が先生にわかる仕組みになっていました。
そのため私は、もしお給金を他のことに使ってしまったら、先生に
「あれだけあったインストラクター収入をどうしてレッスンに使わない?そうか、あなたのヤル気はその程度のもんなわけね、あなたは専属ダンサー選考枠から外しとこう」と思われてしまうんじゃないかと恐怖だった。
時間もダンス以外のことに使ってしまうのが罪悪感だったし、怖かった。
「コイツ、ヤル気なくなったんだな」と見捨てられるのが怖かったし、
自分がフッと休んでいる間に、他のコが選ばれてしまうんではないかと、毎日出来るかぎり何時間もレッスンに出て(というより居座って)見張っていないと不安でした。
とにかく選考基準や養成課程がコロコロ変更になる方針だったので、「本当に見張っていないと!」というのもありました。
もちろん、これらは全て私の妄想、思い込み、私の中のエゴが起動して作り出した自己防衛本能で、幻想なんです。
先生はそんなこと思ってないし、してないし、ひとっっっことも言ってませんでした。
恐れから生まれる妄想の破壊力というのは、まったくはかり知れませんね
( ´△`)
このように、無限思考にまみれた心理状態でスタジオ専属ダンサーを目指していたので、うまくいくわけがなく、査定評価も上がらず焦ってきて、そのためにだんだん先生に対しても怨み節のような気持ちを抱くようになってしまいました。
例えば、
先生が「定食を食べている」ことに対して→私は太るのが怖く、食費さえレッスンに回しているから食べられないのに。私だってお腹すいてるのに。→許せない。
スタジオが定期的に1週間休みになることがあったのですが、その間に先生が旅行に行ったり、クラスメイトが家族と旅行に行って楽しんでいた―という話題をうっかり耳にしちゃった時→
私はレッスン代を稼ぐために普段よりさらに輪をかけて働きどおしだったのに。私は収入のほぼ全てをレッスンに回しているのに。→許せない。
という調子。
あらゆることが「許せない」と「許せない自分に自己嫌悪」の繰り返しで、つらかったな…
こんな私でしたから、スタジオとは離れ独立して講師の活動を始めてからも
恐怖心や罪悪感がいっぱいでした。
スタジオ専属ダンサーになれなかった自分
心身を壊してしまった弱い自分
先生や他人を怨んでしまった自分
もう本当は、ダンス以外のことも見てみたい・してみたいと思ってしまう自分
人生の時間を盲目的にレッスンに捧げてしまうのではなく、家族と過ごしたい・家庭ですごしたいと思ってしまう自分
そんな自分に対して。
だから、「旅行に行きたい」とか「家庭が大事」「ダンスも好きだけど、ほかのことも楽しみたい」とか、人に言ってしまったら
批判されたり、
生徒さんが辞めてしまったり、
カルチャーセンターのスタッフさんから「そういう先生にはいてもらいたくない」と言われてしまうのではないか、
干されてしまうのではないか、
そんな不安をいつも心に持っていました。
でも今42才の私は、「人生の中間地点に来て、いい加減これを手放さないでいたら、もう前に進めない」って思うようになりました。
またスタジオ修行時代の無限思考を、繰り返すだけだなと。
そんな私のままでは、
生徒さんにダンスレッスンの場で
楽しい時間や癒される時間、安心したり活力とりもどしたりできる時間など、分け与えて差し上げることなんてできないと思いました。
いろんな人がいて、いろんな生徒さんがいて、いろんな考え方のカルチャースタッフさんがいるのだから、もし私に対して「違うな」と思ったら、自然に離れていくだろう。
いろんな先生がいていいんじゃないか。
私は有機的なことがしたい。
そのためには、まず自分がそうなろう。
楽しんだり、癒されたり、幸せや安心感じたり。
そのために大切なのは
誰かに選んでもらうことや認めてもらうことじゃない。
自分で決めることなんだと思うようになりました。
旅行に行くことを、自分に許そう。
前は「旅行なんて行ったって、ずっとダンスのことを考えているはずだから、行ったって意味ない。」
「旅行行ってきた、とか言ったら生徒さんから怨まれたりするんじゃないか」と思っていたけど、今は…それでもいいから、行こう。
そんなことより、今幸せであることに感謝しよう。
ということで、旅行に行く決断をしました。
楽しんできます。