9月20日(土)
東京駅の丸の内駅舎内に、東京ステーションギャラリーという名の美術館がある。
その美術館では、東京駅舎創建(1914年)当時の煉瓦壁が、そのまま美術館の内部、展示室で使われていることで有名だ。
ちょっと、煉瓦壁をみてみたいこともある。
勤め先の移転もあり、地下鉄丸の内線の新たな定期を得た。
これを使って、きょうの休みに東京駅に行ってみた。
▲ 美術館は丸の内北口改札を出てすぐ右手にある。 一階の受付に入ると背後の壁は即、赤レンガだ。
【ディスカバー・ジャパン】
国鉄は、1970年から76年までディスカバージャパンのキャンペーンを大々的に繰り広げた。
特定の観光地へ誘う従来の宣伝とは違って、「美しい日本と私」をテーマに人々の旅ごころに訴える手法で、若い女性をターゲットにした、当時としてもファッショナブルなデザインのポスターは私達の目を引いた。
ディスカバージャパン、覚えておられようか。
折しも美術館では、当時のポスター約1000枚を中心に、多数の資料を使ってこのキャンペーンを振り返っていた。
(9月13日~11月9日まで)
▲ 「旅に出ると、心のふるさとがふえます。」 (左のコピー文言)
「目を閉じて・・・・・何を見よう。」 (右のコピー文言)
キャンペーンは電通が請け負ったらしいが、いいコピーだね。今でも通じるよ。
▲ 金沢の老舗、「飴の俵屋」の前らしい。
チャラチャラした若い女性を使った、典型的なディスカバージャパンのポスター。
このムードが、のちの「アンノン族」につながっていくのだとか。
▲ こんな国鉄の電車内の旅写真を見ると、北海道を国鉄フリーパスで、ユースホステルをハシゴして2週間、秋に北海道を周遊した大学1年の頃を思い出す。
出会いもあったが、あの人はどうしただろうか・・(なんて)
ディスカバージャパンキャンペーンは、まさに私の学生時代と重なる。
しかし、あのころの私は志望大学を東京の郊外にあるというだけで、志望替えするほどの都会志向だったから。もともと地方の田舎出身者の私には、田舎中心のディスカバーキャンペーンはあまりアピールしなかったのも事実だ(笑)。
むしろ、日本で旅に出たのは北海道だけみたいなもんで、あとはどこにも国内を旅せずに、コツコツ貯めて3年の時に、40日間ヨーロッパの旅に出た。
Discover Europe だった(笑)
今、JRが再度ディスカバージャパンのようなキャンペーンをうったら反応はどうだろう?
だめだろうな。残念ながらというか当然というか、表面的には「古い日本」は失われている。どこも画一化している。
「遠くへ行きたい」♪、という基本的な旅への憧れは皆持っていると思うが、行く先を見失っていないだろうか。
それでも、私はなんとか見つけて行きたいと思っている。
私は、今頃ディスカバージャパンだよ。
【煉瓦壁】
東京駅丸の内駅舎が、辰野金吾の設計によって創建されたのは、1914(大正3)年。
その当時の建物の多くがレンガ建てであったのと同様に東京駅も全壁がレンガ造りだった。
現在の東京駅丸の内駅舎は、2012(平成24)年に全面的に改修された。外壁も改修された。
しかし、内部の一部は昔のまま保存された。それが東京ステーションギャラリーの中に残っているのだ。
▲ 2F休憩室への入り口の外壁とか
▲ 1階から3階への八角形の廻り階段の外壁は全て、開業時のままだ。
まるで、廃墟のような趣がある。それもそのはず、もとは煉瓦の表面は白いしっくいが塗ってあったそうだ。今も煉瓦の表面が白味がかかっているのは、その名残だ。
下部のポツポツと黒い煉瓦の部分は、内装用の木製レンガが戦時中の空襲で焼け、炭化したためだ。
▲ 東京丸の内駅舎自体が、重要文化財の指定を受けている。
駅舎の外観は、次に見るように壮麗。この煉瓦外壁は、その壮麗さの対極にある。
しかし、その歩んできた歴史を見る者に思い起こさせる。
美術館の中では、煉瓦外壁は歴史が生んだ作品だ。
【丸の内駅舎】
美術館の外に出てみよう。
▲ 丸の内北ドーム内。同じドームは南口にもある。
乗客は足早にドーム内を歩き去る。
上をみて横をみて、デジカメを構えているのは、いつもお上りさんの私ぐらいなもの(笑)。
▲ ドーム上部は八角形。コーナーには八羽の両翼を広げた鷲(わし)のレリーフが付けられている。
両翼の幅は2.1mあるそうな。
▲ では、駅舎の外に出てみよう。
▲ 丸の内駅舎の中央部。 この左右にドームがある。
赤レンガの壁面に白い石の帯を組み合わせ、屋根には塔やドームを載せているのが設計者辰野の特徴とか。
このあと、もう一つの煉瓦壁の歴史的建築物を見に行ったのだが、普通はあまり関心がないはずだから、今日はこれまで。
続きは明日ということで。
ごきげんよう。
東京駅の丸の内駅舎内に、東京ステーションギャラリーという名の美術館がある。
その美術館では、東京駅舎創建(1914年)当時の煉瓦壁が、そのまま美術館の内部、展示室で使われていることで有名だ。
ちょっと、煉瓦壁をみてみたいこともある。
勤め先の移転もあり、地下鉄丸の内線の新たな定期を得た。
これを使って、きょうの休みに東京駅に行ってみた。
▲ 美術館は丸の内北口改札を出てすぐ右手にある。 一階の受付に入ると背後の壁は即、赤レンガだ。
【ディスカバー・ジャパン】
国鉄は、1970年から76年までディスカバージャパンのキャンペーンを大々的に繰り広げた。
特定の観光地へ誘う従来の宣伝とは違って、「美しい日本と私」をテーマに人々の旅ごころに訴える手法で、若い女性をターゲットにした、当時としてもファッショナブルなデザインのポスターは私達の目を引いた。
ディスカバージャパン、覚えておられようか。
折しも美術館では、当時のポスター約1000枚を中心に、多数の資料を使ってこのキャンペーンを振り返っていた。
(9月13日~11月9日まで)
▲ 「旅に出ると、心のふるさとがふえます。」 (左のコピー文言)
「目を閉じて・・・・・何を見よう。」 (右のコピー文言)
キャンペーンは電通が請け負ったらしいが、いいコピーだね。今でも通じるよ。
▲ 金沢の老舗、「飴の俵屋」の前らしい。
チャラチャラした若い女性を使った、典型的なディスカバージャパンのポスター。
このムードが、のちの「アンノン族」につながっていくのだとか。
▲ こんな国鉄の電車内の旅写真を見ると、北海道を国鉄フリーパスで、ユースホステルをハシゴして2週間、秋に北海道を周遊した大学1年の頃を思い出す。
出会いもあったが、あの人はどうしただろうか・・(なんて)
ディスカバージャパンキャンペーンは、まさに私の学生時代と重なる。
しかし、あのころの私は志望大学を東京の郊外にあるというだけで、志望替えするほどの都会志向だったから。もともと地方の田舎出身者の私には、田舎中心のディスカバーキャンペーンはあまりアピールしなかったのも事実だ(笑)。
むしろ、日本で旅に出たのは北海道だけみたいなもんで、あとはどこにも国内を旅せずに、コツコツ貯めて3年の時に、40日間ヨーロッパの旅に出た。
Discover Europe だった(笑)
今、JRが再度ディスカバージャパンのようなキャンペーンをうったら反応はどうだろう?
だめだろうな。残念ながらというか当然というか、表面的には「古い日本」は失われている。どこも画一化している。
「遠くへ行きたい」♪、という基本的な旅への憧れは皆持っていると思うが、行く先を見失っていないだろうか。
それでも、私はなんとか見つけて行きたいと思っている。
私は、今頃ディスカバージャパンだよ。
【煉瓦壁】
東京駅丸の内駅舎が、辰野金吾の設計によって創建されたのは、1914(大正3)年。
その当時の建物の多くがレンガ建てであったのと同様に東京駅も全壁がレンガ造りだった。
現在の東京駅丸の内駅舎は、2012(平成24)年に全面的に改修された。外壁も改修された。
しかし、内部の一部は昔のまま保存された。それが東京ステーションギャラリーの中に残っているのだ。
▲ 2F休憩室への入り口の外壁とか
▲ 1階から3階への八角形の廻り階段の外壁は全て、開業時のままだ。
まるで、廃墟のような趣がある。それもそのはず、もとは煉瓦の表面は白いしっくいが塗ってあったそうだ。今も煉瓦の表面が白味がかかっているのは、その名残だ。
下部のポツポツと黒い煉瓦の部分は、内装用の木製レンガが戦時中の空襲で焼け、炭化したためだ。
▲ 東京丸の内駅舎自体が、重要文化財の指定を受けている。
駅舎の外観は、次に見るように壮麗。この煉瓦外壁は、その壮麗さの対極にある。
しかし、その歩んできた歴史を見る者に思い起こさせる。
美術館の中では、煉瓦外壁は歴史が生んだ作品だ。
【丸の内駅舎】
美術館の外に出てみよう。
▲ 丸の内北ドーム内。同じドームは南口にもある。
乗客は足早にドーム内を歩き去る。
上をみて横をみて、デジカメを構えているのは、いつもお上りさんの私ぐらいなもの(笑)。
▲ ドーム上部は八角形。コーナーには八羽の両翼を広げた鷲(わし)のレリーフが付けられている。
両翼の幅は2.1mあるそうな。
▲ では、駅舎の外に出てみよう。
▲ 丸の内駅舎の中央部。 この左右にドームがある。
赤レンガの壁面に白い石の帯を組み合わせ、屋根には塔やドームを載せているのが設計者辰野の特徴とか。
このあと、もう一つの煉瓦壁の歴史的建築物を見に行ったのだが、普通はあまり関心がないはずだから、今日はこれまで。
続きは明日ということで。
ごきげんよう。