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『日本百名山』・深田久弥は高校の先輩だ

2015年05月23日 00時00分04秒 | 文芸・アート
5月23日(土)

知らなかった。
深田久弥がボクの高校の先輩だとは。

はっきり言って、あの『百名山リスト』とかにはネガティブな思いを持っていた。
いや、リストが悪いわけではない。
「百名山踏破を目指している」とか「百名山登頂おめでとう!」とかの言いぐさが(キライなの)だ。
理由は自分が登れないことを知っているからだ(笑)。

で、深田久弥なんかは無関心(名前は知ってたが)だった。

 深田久弥著・日本百名山(1964) 新潮文庫

▲ ご存じ『日本百名山』は、山を登るものなら誰でも知っている。本を読んだことはなくても、そーゆーリストがあることは、みんな知っている。だから、「ここは百名山の○○山で・・」等、みんなが言及する。

キミたち百名山のリストに載っているからその山、登るの?
リストが無かったら、山登りしないの?


と、ボクは憎まれ口をきいていた。いや正しくは相手がいないので、つぶやいていた。


 

▲ しかし『百名山』の著者の深田久弥(ふかだきゅうや)が、ボクの高校のご先輩となると、話はがぜん変わってくる。

先月、高校の東京支部の同窓会会報初夏号が送られてきた↑。
そこに、昭和30年卒の女性の先輩が「深田久弥と『日本百名山』」という文を寄稿されていた。

それによると、

久弥は、生まれは1903年に石川県大聖寺町(現加賀市)だが、大正10年に旧制福井中学を卒業し、作家の道に進んだ、とある。福井中学は現在の福井県立藤島高校(ボクの高校)の前身なのだ。
この寄稿をされた方は、20数年前、夫が「君の先輩が書いた本だ」と『日本百名山』勧めてくれたが、ずっと読まずにほおっておいた。しかし田中陽希のNHKグレートトラバース~日本百名山を機に、初めて読んでみてその美しい文章に惹かれた。しかも山を楽しく読み学べるようになっている。もっと若い時に読んでいたら、より楽しく登山もドライブなど旅行も出来たのに、とこの方は書いておられた。


「えーっ! ほんと? あの深田久弥が高校の先輩になるのー? 知らんかったー・・」


それならと、さっそく↑新潮文庫の『日本百名山』750円(税別)を買ってきたのだ。

彼は北の利尻岳から南の宮ノ浦岳(屋久島)まで順に100山を一山あたり4ページほど費やして紹介している。ちなみに私の登った覚えのある二十ほどの山について読んでみた。

その書き方は、その山の山容の見事さ(品格)にまず触れて、山の(歴史)をひもとく。特に山の名前の由来をたどる。同時にその山の(個性)的な特徴点に目をつけて紹介する。

いわゆる山のガイドブックは、基本的にはコースガイドであって、山が持つ歴史・文化的な側面はほとんど触れない。(それでいいのだけど)

でもこれは、違う。
これは、何座いっぺんに踏破してきたと誇る肉体派登山向けでも、霊験あらたかなパワー求めの現代修験道登山向けでもないし、単に自然礼賛の耽美派登山向けでもない。

 深田久弥先輩

これは、教養登山向けだ。アマゾンのコメント欄で誰かが実にうまく言い当てていた。
古今東西の古典の読破が「教養」を育むように、全国各地の頂きを極めることが人生での財産になる。山を総合的に経験することを目標とする「教養登山」向けだと。

ボクはなぜ山に登るかと聞かれれば(誰も聞いてくれないが・笑)、「哲学をするため」と半ば冗談で半ば本気で、常日頃答えていた。独りで登るから、(登りがキツイ時は別だが)登りながら色んなことを考えながら、振り返りながら登っている。そして進む道がはっきりすることがあるのだ。




ということで、先日の大菩薩嶺の山歩きを手始めに、事前にこの本を読んでから登ることにしたわけだ。
これからは久弥先輩と山の見かたを比べながら、それを楽しみながら登りたいと思う。

ボクの登り方は、山を自分を見渡しながら、ゆっくり楽しく登ることさ。
さあ、次はどこを登ろうか。