4月22日(月)
先般志賀高原へ行った時、下仁田の道の駅でパンフをもらった。
▲ 「下仁田の山歩き」 ~ 地元の人が歩いて書いた GUIDE BOOK
妙義山(1073)、荒船山(1423)はもちろん、八風山(1315)、物見山(1375)、物語山(1019)、鹿岳(1015)、四ツ又山(900)、小沢岳(1089)、稲含山(1370)等の群馬百名山への山歩きコースが個別に紹介されていた。
「下仁田の山は 変化に富んでどれも個性的。自分に合う山を探してアタック!」 とも。
じゃあ、一つアタックするか(笑)。
前日は道の駅甘楽(かんら)に車中泊して、
▲ 来たのが、稲含山への登山口・茂垣峠(もがきとうげ)駐車場。
稲含山(いなふくみやま)は、「農耕の神の山。1時間足らずで西上州随一の展望の頂へ」 とのキャッチが決め手でここにした。
しかしこの茂垣峠に登ってくる林道は、未舗装でとんでもないダート道 !!。コブシ大の石がゴロゴロで、パンクしないかと冷や汗ものだった。着いた時、車内は収納箱が落ちてモノが大散乱 。 おそらく、過去で一番の悪路だったろう。
で、駐車場で見る限り、やはり登山者はボクひとり。工事用のトラックが1台停まっていたが。
気を取り直して、9時半ごろに出発!
▲ まだ枯れ木ばかりの林道が5分ほど続く。
天気は狙った通りの晴れ。 気持ちはイイネ。
ダート道のことは忘れて、トレッキングだよ、それに浸れば良いよSoraくん。
▲ まもなく大きな赤鳥居が。
その左脇を登山道が続いていく。
▲ まだ葉の付けてない落葉樹林の中を、木段が延々と続く。
木段はコンクリート製で崩れにくく、低めに作ってあるので登りやすい。
(後から考えると、上にある神社への参拝者を想定、配慮だろう)
▲ 張り紙には「木の中に木」と書いてある。
なんじゃ、これは?
▲ 確かに、枝が左下の地中から伸びて、幹を貫通して、右端から抜き出ているが・・
幹はもともと股割れしていて、そこへ枝が下から入り込み、そのうちに塞がってしまったのだろう。
▲ 「4月中旬になるとアカヤシオが見事に咲き乱れる」とガイドに書いてあったので、密かに期待していたが。
まだ、つぼみの状態だった 。
簡単なクサリ場も過ぎて、
▲ 登り始めて1時間ほどで、稲含神社へ到着。
神社の壇上には登山者のノートが置いてあった。
オオッ、昨日(日曜日)はかなりの団体さんが来たようだな。
社の右脇の影地には、ほんの少し残雪が残っていた。
▲ 社殿の対面(といめん)には、舞台になるような2室がある。
能舞台? 神社では舞いを奉納したりするからその舞台だろうな。
後で分かったが、ここでは5月3日に例大祭が行われる。その時使用する舞台になるのだろう。
この稲含神社から5分ほど登ると、
▲ 稲含山の山頂に出た。
山頂はさほど広くはないが、360度の大パノラマ!
▲ 頂上から西側の眺め。
左側の奥は八ヶ岳が左へ続き、蓼科山が頭をのぞかせる・・とあるが、あのお茶椀型の頂上を同定できなかった。
前方の尖った山は「西上州のマッターホルン」と称される小沢岳。(マッタく、日本はマッターホルンだらけだよ・笑)
して、奥の中央より右にタンカーの形をした荒船山。これはそのシルエットで分かる。
そして、右端に一段高く、まだ残雪を抱いた浅間山。これは薄っすらと見えるが、ボクのコンデジには映らない。
残念ながら、今は春だから、春霞ということになるのか、晴れていても遠方はハッキリしない・・。
スマホでのワイド画面は↓(クリック)
今日は暑い。頂上で助六寿司を食べようかと思ったが、日が照って熱いので止めた。
こんな暑さだと、夏山ってのはどうなるのだろうか
下山。
稲含神社を過ぎた分岐点で、下りは秋畑(甘楽側)へ下りる。
分岐から10分ほど下って、秋畑稲含神社へ到着。
▲ 秋畑稲含神社の社殿。
対面には、能舞台みたいな屋もある。
先に見てきた下仁田側の稲含神社とほぼ同様の造りだ。しかし、こちらの神社は傷みが酷く、ほぼ廃屋状態だ。
▲ 「稲含神社の起源」という案内板が立っていた。
それによると、
・稲含神社の祭神は豊稲田姫(とよいなだひめ)。豊稲田姫はインドから来て養蚕、稲作を広めた。特に稲の種子を口内に含み隠して持って来られた。これが稲含山、稲含神社の名前の由来。
・神社創建は530年ごろ。
・稲神神社の領有をめぐって1850年ごろには、秋畑(甘楽町)と栗山(下仁田町)で争いがあり、秋畑が勝った。
非常に興味深いと思った。
・まず、日本に大陸の先進文化を伝えたのは、今の中国、朝鮮人というのは、よく聞く。その渡来人、帰化人の足跡は日本各地にある。私の近くでは、日高市の高麗(こま)地区は、高句麗からの帰化人の集団地だった。しかし、印度からも渡来していたとは。しかも口に稲モミを隠してまで持ってきてくれたとは。インド人もビックリ(笑・古い?)
・稲含山、神社の辺りは、現在も下仁田町と甘楽町の行政的境界線が引かれている。古くから豊稲田姫は五穀豊穣の守り神。大切な守り神だからこそ、俺っちの神様、ということで下仁田と甘楽が争ったのだろう。ここからは全くボクの推測だが、勝った甘楽側は当初(明治以降)、秋畑稲含神社で神楽祭りも行って盛り上げた。しかしその後何らかの理由で、熱も冷めて秋畑稲含神社での祭礼はすたれ、社殿も手入れがされなくなってきた。それを見た下仁田側が、稲含山山頂は下仁田側に有るのだし、自分たちの区画内に新・稲含神社を近年に建立した。
・今も、稲含神社の祭祀が下仁田と甘楽町とどちらに主導権があるのかは、微妙な問題と推測する。どちらの町のHPにも神社・祭祀の記載は無い。5月の例大祭について下仁田の観光課に照会したら、あちら(甘楽町)に照会してくれと言われた。例大祭は下仁田側の稲含神社で行われるらしいことは確認できたが。神事でもあり役場は関わりたくないようだった。
下山を続ける。
▲ 二の鳥居に出会う。
これは秋畑稲含神社の鳥居で、メンテがされていないから白色化、腐食が進んでいる。
この先に「神の水」と名付けられたスポットがあるのだが、残念ながらその水源は枯渇してもう良く分からない。
▲ さらに、一の鳥居が見えてきた。
ここを左に折れて少し登って下ると、下仁田側の当初の登山口に出た。
▲ 茂垣峠の駐車場に戻った。2時間半ほどの山歩きだった。
クルマの中で、助六寿司&珈琲で、いつもの休憩とした。
工事用の軽トラが1台増えていて、運転台で昼飯を食べている人に尋ねてみた。
下仁田側から林道を上がってきたが難儀した。今度はここから甘楽側に下りたら、林道はどうかと。
甘楽側に下りたほうが、非舗装箇所は短いとの返事。
2台の工事用トラックは、まもなく甘楽側へ下りていった。
では、ボクも。
ウン、甘楽側への林道はずっと楽!
ありがとう、甘楽町さん(笑)。
▲ 舗装された甘楽町への林道を下りていく途中で。
鯉のぼりだ!
この下にも、さらに2連の鯉のぼりがあった。
あとで調べてみると、秋畑那須地区の「鯉のぼりの里」のイベントのようだ。
▲ 計250匹の鯉が、山合いの谷間に気持ちよさそうに、泳いでいたよ。
▲ 「恵みの湯」 安中市。
昨日の「かんらの湯」は月曜日は休業で、急きょここへ移動。
今晩も、道の駅かんら にお世話になります。
簡単な山歩きハイクもいいね。
次は、連チャンで回ろうか。(またまた、そういう無理をしたがるのはダメ)
了
この山の鎮座するところは;
先般志賀高原へ行った時、下仁田の道の駅でパンフをもらった。
▲ 「下仁田の山歩き」 ~ 地元の人が歩いて書いた GUIDE BOOK
妙義山(1073)、荒船山(1423)はもちろん、八風山(1315)、物見山(1375)、物語山(1019)、鹿岳(1015)、四ツ又山(900)、小沢岳(1089)、稲含山(1370)等の群馬百名山への山歩きコースが個別に紹介されていた。
「下仁田の山は 変化に富んでどれも個性的。自分に合う山を探してアタック!」 とも。
じゃあ、一つアタックするか(笑)。
前日は道の駅甘楽(かんら)に車中泊して、
▲ 来たのが、稲含山への登山口・茂垣峠(もがきとうげ)駐車場。
稲含山(いなふくみやま)は、「農耕の神の山。1時間足らずで西上州随一の展望の頂へ」 とのキャッチが決め手でここにした。
しかしこの茂垣峠に登ってくる林道は、未舗装でとんでもないダート道 !!。コブシ大の石がゴロゴロで、パンクしないかと冷や汗ものだった。着いた時、車内は収納箱が落ちてモノが大散乱 。 おそらく、過去で一番の悪路だったろう。
で、駐車場で見る限り、やはり登山者はボクひとり。工事用のトラックが1台停まっていたが。
気を取り直して、9時半ごろに出発!
▲ まだ枯れ木ばかりの林道が5分ほど続く。
天気は狙った通りの晴れ。 気持ちはイイネ。
ダート道のことは忘れて、トレッキングだよ、それに浸れば良いよSoraくん。
▲ まもなく大きな赤鳥居が。
その左脇を登山道が続いていく。
▲ まだ葉の付けてない落葉樹林の中を、木段が延々と続く。
木段はコンクリート製で崩れにくく、低めに作ってあるので登りやすい。
(後から考えると、上にある神社への参拝者を想定、配慮だろう)
▲ 張り紙には「木の中に木」と書いてある。
なんじゃ、これは?
▲ 確かに、枝が左下の地中から伸びて、幹を貫通して、右端から抜き出ているが・・
幹はもともと股割れしていて、そこへ枝が下から入り込み、そのうちに塞がってしまったのだろう。
▲ 「4月中旬になるとアカヤシオが見事に咲き乱れる」とガイドに書いてあったので、密かに期待していたが。
まだ、つぼみの状態だった 。
簡単なクサリ場も過ぎて、
▲ 登り始めて1時間ほどで、稲含神社へ到着。
神社の壇上には登山者のノートが置いてあった。
オオッ、昨日(日曜日)はかなりの団体さんが来たようだな。
社の右脇の影地には、ほんの少し残雪が残っていた。
▲ 社殿の対面(といめん)には、舞台になるような2室がある。
能舞台? 神社では舞いを奉納したりするからその舞台だろうな。
後で分かったが、ここでは5月3日に例大祭が行われる。その時使用する舞台になるのだろう。
この稲含神社から5分ほど登ると、
▲ 稲含山の山頂に出た。
山頂はさほど広くはないが、360度の大パノラマ!
▲ 頂上から西側の眺め。
左側の奥は八ヶ岳が左へ続き、蓼科山が頭をのぞかせる・・とあるが、あのお茶椀型の頂上を同定できなかった。
前方の尖った山は「西上州のマッターホルン」と称される小沢岳。(マッタく、日本はマッターホルンだらけだよ・笑)
して、奥の中央より右にタンカーの形をした荒船山。これはそのシルエットで分かる。
そして、右端に一段高く、まだ残雪を抱いた浅間山。これは薄っすらと見えるが、ボクのコンデジには映らない。
残念ながら、今は春だから、春霞ということになるのか、晴れていても遠方はハッキリしない・・。
スマホでのワイド画面は↓(クリック)
今日は暑い。頂上で助六寿司を食べようかと思ったが、日が照って熱いので止めた。
こんな暑さだと、夏山ってのはどうなるのだろうか
下山。
稲含神社を過ぎた分岐点で、下りは秋畑(甘楽側)へ下りる。
分岐から10分ほど下って、秋畑稲含神社へ到着。
▲ 秋畑稲含神社の社殿。
対面には、能舞台みたいな屋もある。
先に見てきた下仁田側の稲含神社とほぼ同様の造りだ。しかし、こちらの神社は傷みが酷く、ほぼ廃屋状態だ。
▲ 「稲含神社の起源」という案内板が立っていた。
それによると、
・稲含神社の祭神は豊稲田姫(とよいなだひめ)。豊稲田姫はインドから来て養蚕、稲作を広めた。特に稲の種子を口内に含み隠して持って来られた。これが稲含山、稲含神社の名前の由来。
・神社創建は530年ごろ。
・稲神神社の領有をめぐって1850年ごろには、秋畑(甘楽町)と栗山(下仁田町)で争いがあり、秋畑が勝った。
非常に興味深いと思った。
・まず、日本に大陸の先進文化を伝えたのは、今の中国、朝鮮人というのは、よく聞く。その渡来人、帰化人の足跡は日本各地にある。私の近くでは、日高市の高麗(こま)地区は、高句麗からの帰化人の集団地だった。しかし、印度からも渡来していたとは。しかも口に稲モミを隠してまで持ってきてくれたとは。インド人もビックリ(笑・古い?)
・稲含山、神社の辺りは、現在も下仁田町と甘楽町の行政的境界線が引かれている。古くから豊稲田姫は五穀豊穣の守り神。大切な守り神だからこそ、俺っちの神様、ということで下仁田と甘楽が争ったのだろう。ここからは全くボクの推測だが、勝った甘楽側は当初(明治以降)、秋畑稲含神社で神楽祭りも行って盛り上げた。しかしその後何らかの理由で、熱も冷めて秋畑稲含神社での祭礼はすたれ、社殿も手入れがされなくなってきた。それを見た下仁田側が、稲含山山頂は下仁田側に有るのだし、自分たちの区画内に新・稲含神社を近年に建立した。
・今も、稲含神社の祭祀が下仁田と甘楽町とどちらに主導権があるのかは、微妙な問題と推測する。どちらの町のHPにも神社・祭祀の記載は無い。5月の例大祭について下仁田の観光課に照会したら、あちら(甘楽町)に照会してくれと言われた。例大祭は下仁田側の稲含神社で行われるらしいことは確認できたが。神事でもあり役場は関わりたくないようだった。
下山を続ける。
▲ 二の鳥居に出会う。
これは秋畑稲含神社の鳥居で、メンテがされていないから白色化、腐食が進んでいる。
この先に「神の水」と名付けられたスポットがあるのだが、残念ながらその水源は枯渇してもう良く分からない。
▲ さらに、一の鳥居が見えてきた。
ここを左に折れて少し登って下ると、下仁田側の当初の登山口に出た。
▲ 茂垣峠の駐車場に戻った。2時間半ほどの山歩きだった。
クルマの中で、助六寿司&珈琲で、いつもの休憩とした。
工事用の軽トラが1台増えていて、運転台で昼飯を食べている人に尋ねてみた。
下仁田側から林道を上がってきたが難儀した。今度はここから甘楽側に下りたら、林道はどうかと。
甘楽側に下りたほうが、非舗装箇所は短いとの返事。
2台の工事用トラックは、まもなく甘楽側へ下りていった。
では、ボクも。
ウン、甘楽側への林道はずっと楽!
ありがとう、甘楽町さん(笑)。
▲ 舗装された甘楽町への林道を下りていく途中で。
鯉のぼりだ!
この下にも、さらに2連の鯉のぼりがあった。
あとで調べてみると、秋畑那須地区の「鯉のぼりの里」のイベントのようだ。
▲ 計250匹の鯉が、山合いの谷間に気持ちよさそうに、泳いでいたよ。
▲ 「恵みの湯」 安中市。
昨日の「かんらの湯」は月曜日は休業で、急きょここへ移動。
今晩も、道の駅かんら にお世話になります。
簡単な山歩きハイクもいいね。
次は、連チャンで回ろうか。(またまた、そういう無理をしたがるのはダメ)
了
この山の鎮座するところは;