荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

千町(せんぢょう)の棚田ー2

2016年08月29日 | 散文
棚田を観ますが随分荒れています。

ここの景色を見ると、泉谷の棚田(「日本の棚田100選」に選ばれています)は良く手入れされている事が分かります。

耕作放棄地でしょうか、雑草が繁っています。




もうたんぼではありません。


この辺りは、復興碑があったくらいなので、昔の放棄地のようです。
杉林になっています。


そんな中、棚田を探します。


この辺りだけきれいな棚田が残っています。








かつては千枚田と言われたここ千町の棚田ですが、その多くはたんぼでは無くなっています。
この辺りのように、たんぼから畠に転換した場所も多くあります。

そして、前出のような多くの耕作放棄地が・・・。

いずれ近いうちに、棚田が無くなってしまう地区だと思います。

棚田越しに、やって来た国道を望みます。
やがて、全てが山野に戻る雰囲気です。
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道端で去り行く夏

2016年08月29日 | 散文
名残のピーマンです。
朱と緑の鮮やかさに惹かれて撮りました。

この配色って、神社の杜と鳥居ですよね。
赤くなったピーマンは甘いそうです。
老幼なじみが教えてくれました。
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千町(せんぢょう)の棚田ー1

2016年08月29日 | 散文
「愛媛県庁/えひめの棚田」HPでは「せんじょう」と記載していますが、その漢字から「せんぢょう」だと思います。

加茂川を遡って高知へ抜ける道を走っています。

大昔、川は山塊を穿って、その岸に人々は古道を成しました。
その道をベースに造った国道だと思います。

目的地は多分あの山懐です。


村の入口にいきなり「復興」碑がありました。

一度は廃村になった村かも知れません。

この村は来歴がはっきりしています。
戦国時代に土佐から山を越えて土着した伊藤氏が拓いた村です。
数えきれない程の段々式水田があって、「東予の千枚田」として知られています。
「えひめの棚田」HPより。

この伊藤氏以外にも、道の途中に、開拓・復興に尽力した人々と思われる表彰碑があります。
皆で復興した村のようです。

つづら折りの坂を上がって行きます。


自然石を砕いて積み上げています。




気の遠くなるような年月を費やした作業です。


棚田がありました。


一気に上まで行ってみます。
思っていたよりも人が住んでいて、途中何度か車とすれ違いました。
一番上の集落の入口です。

この道の左手に伊藤家のお墓があったので、開拓者の子孫の集落だと思います。
水の管理上、棚田は上に在るほど有利です。
力のある者が上の棚田を所有したと思います。

思っていた以上に廃屋が点在しています。




ここから先は車では行けません。

引き返しながらHPに言う「数えきれない程の」棚田を観ます。

次回に続きます。



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