荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

抜け殻

2016年08月22日 | 散文
隙間からダンボール箱が覗く壊れかけた戸袋に居ました。
アブラゼミです。

何もこんな所で脱皮しなくても・・・。

わざわざあそこから此処まで来て・・・。

要領が悪い奴のようです。
羽化して僅か1週間の命です。
今頑張って生きてるかな?
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こちらは今日も暑いです。

2016年08月22日 | 散文
今日のNHKはオリンピックを差し置いて東海・関東地方の台風情報一辺倒です。
あの神田川が氾濫危険水位を超えたとか・・・。
これからも東日本から北海道にかけて大荒れのようですが、我が故郷は全く雨が降りません。暑い日が続きます。
被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

さてこちら、水辺は涼しいと思いきや。


まとわり付く粘度を感じます。


アマゾンを連想させるヌッペリとした緑です。
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大使館を訪ねてー37(イラク、ラトビア、ヨルダン)

2016年08月22日 | 散文
オリンピックでの日本の活躍に拍手です。
開催前に随分心配させられましたが無事に終りそうです。
費用を抑えたらしいけど、良い大会だったと思います。
外国関係という事で、お馴染みの大使館訪問記を。

「イラク大使館」
引き続き神山町からの報告です。
高級住宅街の分譲マンションのようです。


全棟がイラク大使館です。

中東・西アジアの連邦共和制国家です。
首都はバグダードで、サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと隣接しています。
古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国です。

現イラクの国土は、歴史上のメソポタミア文明が栄えた地とほとんど同一です。

メソポタミア平野はティグリス川とユーフラテス川により形成された沖積平野で、両河の雪解け水による増水を利用することができるため、古くから農業を営む定住民があらわれ、西のシリア地方およびエジプトのナイル川流域とあわせて「肥沃な三日月地帯」として知られています。
紀元前4000年ごろからシュメールやアッカド、アッシリア、そしてバビロニアなど、数々の王国や王朝がこのメソポタミア地方を支配してきました。

アメリカ合衆国が主体となりイラク武装解除問題の進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ侵攻したことで『イラク戦争』が始まりました。

2010年8月31日にバラク・オバマにより改めて「戦闘終結宣言」と『イラクの自由作戦』の終了が宣言され、翌日から米軍撤退後のイラク単独での治安維持に向けた『新しい夜明け作戦』が始まりまた。
そして2011年12月14日、米軍の完全撤収によってバラク・オバマがイラク戦争の終結を正式に宣言しましたが、この際の戦後処理の拙さがイスラミックの台頭を呼び、現在世界中を震撼させているテロの続発を招いていると言われています。
(ウキィペディアより)


「ラトビア大使館」
神山町での探索が続きます。
見慣れぬ国旗とユーロ旗が掲揚されています。


北ヨーロッパの共和制国家です。
EUそしてNATOの加盟国で、通貨はユーロ、人口201.5万人、首都はリガです。

バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つで、西はバルト海に面しています。
北はエストニア、南はリトアニア、東はロシア、南東はベラルーシと国境を接しており、面積は九州本島の1.76倍です。
首都リガは港湾都市で、バルト海クルーズの主な寄港地の一つです。

第一次世界大戦後の1918年にロシア帝国より独立しましたが、第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦に占領されます。
翌1941年独ソ戦でドイツに占領され、大戦末期1944年ソビエト連邦が再占領し併合されます。
1991年に同連邦から独立を回復し、2004年にEUそしてNATOに加盟しました。


世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメルを生んだ国です。
イギリスの旅行案内サイトFirst Choiceは、ユーザー投票で世界一美しい国に選びました。

(ウキィペディアより)
なるほど、大使館のセンスも好いです。


「ヨルダン・ハシミテ王国大使館」
神山町の高級住宅街です。
ここには多くの大使館が居を構えています。
ヨルダン・ハシミテ王国大使館もその一つです。
普通の戸建て住宅のようですが、紋章があるのでそれと気付きます。


中東・西アジアに位置する立憲君主制国家で首都はアンマンです。
イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと隣接しています。
イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が境です。

立憲君主制をとり、イスラームの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファーティマの夫妻にさかのぼるハーシム家出身の国王が世襲統治する王国です。
国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫です。

第一次世界大戦後の1919年にイギリス委任統治領パレスチナに組み入れられ、1923年にヒジャーズ王国の王族アブドゥッラー・ビン=フサインが迎え入れられてトランスヨルダン王国が成立しました。
トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名をヨルダン・ハシミテ王国に改めました。
中東戦争は、イスラエルに占領された地域から大量のパレスチナ人の流入をもたらし、加えて1990年代以降には、民主化に伴い王室の近代化主義に反対する保守派やイスラム主義派が台頭して国内の不安定要因となっています。

国王は内閣と共に行政権を執行し、二院制の議会を有しています。
国内では王政批判があります。
例えば、国王の長年の支持基盤だったベドウィンの部族長らもアブドゥッラー2世国王に対して、ラーニア王妃とその一族の浪費癖を批判する声明を出しています。
しかし、いずれも王制打倒を求める反体制運動には到っていません。
(ウキィペディアより)

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