荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

大使館を訪ねてー34(キューバ、サウジアラビア、ベナン)

2016年08月09日 | 散文
「キューバ共和国大使館」
赤羽橋の近くにキューバ共和国大使館があります。
警戒が厳しいと予想していたのでちょっと拍子抜けです。


玄関前には東京タワーを望む公園があります。
タワーが無ければ、何処にでもある普通の公園です。


カリブ海の大アンティル諸島に位置するラテンアメリカの共和制国家です。
島国であり、ウィンドワード海峡を隔てて東にはイスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国が、ケイマン海峡を隔てて南にはケイマン諸島とジャマイカが、フロリダ海峡を隔てて北に145km先にはアメリカ合衆国のフロリダ州が存在します。

首都はハバナです。

フィリピンのルソン島ほどの面積を持つ島国です。
地理的には北アメリカに含まれますが、広義の中央アメリカにも含まれます。

俗に「アメリカ合衆国の裏庭」と呼ばれますが、南北アメリカ大陸、及びヨーロッパとラテンアメリカを結ぶ要路に位置していいます。
また、アメリカ大陸で初めて成立した社会主義政権にちなみ、「カリブに浮かぶ赤い島」と形容されることもあります。
(ウキィペディアより)

キューバ危機を忘れる事ができません。
1962年10月から11月にかけてキューバを舞台にアメリカ合衆国とソビエト連邦との間で冷戦の緊張が高まり、全面核戦争寸前まで達した危機的な状況を、時の米大統領JFKがカリブ海に軍艦を派遣してソ連からの核兵器の持ち込みを阻止しました。

まだ小学生だった私は、両親が暗い顔で、第3次世界大戦が始まるかもしれないと言っていたのを覚えています。
世界大戦を未然に防いだとして日本でもJFKの人気が急上昇しました。
彼の死後、伝記を買ったのを覚えています。

その後成長した私は、ゲバラを信奉するようになりました。
フォークソングブームの頃です。
このように子供の頃から身近な国です。

1960年の対ソ連接近にともない、アメリカとは1961年1月3日に国交を断絶し、以後米国から禁輸措置を受けますが、両国は2014年12月に国交正常化交渉を開始すると発表し、2015年7月に国交を再開しています。
玄関から職員が出てきて、私を一瞥して、車庫へ入りました。


「サウジアラビア王国大使館」
六本木の丘の上に居ます。
街路樹の向こうに緑の国旗が見えます。

あそこがサウジアラビア王国の大使館です。

近影の撮影は禁止とのことです。
警備員から「事前に電話で了解を取ったらOK」だそうです。



「ペナン共和国大使館」
内堀通りを北上していたら国旗が掲揚されていました。

手持ちの地図には記載がありません。

西アフリカに位置する共和制国家です。
南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面しています。


1960年のフランスからの独立当初はダホメー共和国でした。
ところが、ダホメーは国土南部の限られた地域を指す名称であり、北西部のアタコラ県や、北東部のボルグを含めるには不適切だったので、ダホメーが面していたベニン湾に因み国名を決め、1975年にベナン人民共和国が成立しました。
その後、1990年社会主義政策の放棄と共に現在の国名となっています。


日本との関わりでは、北野武の付き人でタレントで2012年にベナン駐日特命全権大使に就任したゾマホン・ルフィンにより、たけし小学校やアフリカではまだ珍しい日本語学校であるたけし日本語学校が設立されています(2003年9月)。
たけし日本語学校は現在に至るまで多くの卒業生・日本留学生を輩出しており、在日ベナン人の多くはこのたけし日本語学校の卒業生です。
たけし日本語学校では仮名文字・漢字、書道などが教授されており、初級で日本語能力試験N4、中級で日本語能力試験N2合格を目標として授業が行われています。

しかしベナンはもとよりアフリカで最初の日本語教育のみの学校であるため、運営は難航しており、教室などの施設は受講希望者に対して圧倒的に不足しており、数千人の受講希望者が待機している状態となっています。
カリキュラムも未だ編成途上であり、上級コースは未だ開設されていません。
(ウキィペディアより)

北上した内堀通りは九段坂上の信号に突き当たり、その向こうは靖国神社です。


次回に続きます。
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大使館を訪ねてー33(エジプト、セネガル、ギニア)

2016年08月09日 | 散文
オリンピック競技が酣ですね。
久し振りに在庫処理を・・・。

「エジプト・アラブ共和国大使館」
デンマーク大使館前から国旗が見えます。


エジプト国旗です。


大使館前にエジプトらしいオブジェがあります。

「エジプトはナイルの賜物」という古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉で有名なように、エジプトは豊かなナイル川のデルタに支えられて古代エジプト文明を発展させてきました。
エジプト人は紀元前3000年頃には早くも中央集権国家を形成し、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなどを通じて世界的によく知られている高度な文明を発達させました。

中東有数の軍事大国であり、イスラエルと軍事的に対抗できる数少ないアラブ国家であると目されています。


イスラエルとは4度にわたる中東戦争で毎回干戈を交えたが、第二次中東戦争で政治的な勝利を得、第四次中東戦争の緒戦で勝利を収めたほかは劣勢のまま終わっている。親アメリカのため、北大西洋条約機構のメンバーではないものの同機構とは親密な関係を保っています。
(ウキィペディアより)


エジプト大使館を後にして、旧山手通りを往きます。


「セネガル共和国大使館」
旧山手通りから住宅街に入った所にあります。


西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和制国家です。

北東にモーリタニア、東にマリ、南東にギニア、南にギニアビサウと国境を接し、ガンビアを三方から囲んでいます。
西は大西洋に面しており、首都はダカールです。
フランスと関係が深く、フランコフォニーに加盟しています。

旧石器、新石器時代の遺跡が見つかっており、その頃から人類が居住していたこと分かっています。

首都ダカールはかつてのパリ・ダカール・ラリーの終着点として知られています。
セネガンビア地方には11世紀にイスラームが伝来しており、現在もイスラム協力機構加盟国となっています。

独立以来親仏路線を維持しており、西側諸国と友好的です。
1982年から1989年まで隣国のガンビアとセネガンビア国家連合を形成していました。
1989年4月に隣国モーリタニアとの間で国境紛争が勃発し(セネガル・モーリタニア紛争)、紛争によって数万人に及ぶ両国の国民が相互に追放されました。

また、隣国のガンビアと同じくイスラエルとは激しく対立しています。
セネガル国民のほとんどが敬虔なイスラム教徒であり、同じイスラム教徒であるパレスチナ人の置かれている境遇に対して非常に同情的だとの背景があります。
(ウキィペディアより)


「ギニア大使館」
こちらも旧山手通りから住宅街に入った所にあります。
国旗が掲揚されていなければ、一般の民家と変わりません。
分譲住宅をそのまま使用しているかのようです。


西アフリカ西端に位置する共和制国家です。
北にセネガル、北西にギニアビサウ、北東にマリ、南にシエラレオネ、リベリア、南東にコートジボワールと国境を接し、西は大西洋に面おり、首都はコナクリです。

旧フランス植民地の中でも、1958年に他の植民地に先駆けて国民投票で独立した国家です。

労働人口の80%が農業に従事しています。
独立時にはバナナ、パイナップル、コーヒー、ピーナッツ、パーム油が主要輸出物でしたが、今やボーキサイトに交代し、ダイアモンド、金などを含め、鉱業が主要産業です。
ただし、コンテ政権末期から経済状況は悪化し汚職、政治的不安定、不透明予算システムから外国からの投資が遅れて貧困層が増大しています。


次回に続きます。



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