朽かけた塀が有ります。
家の裏口です。やはり朽かけた納屋が有ります。
ちょっと離れて家の全体像を見ますが、カメラに収まりきれません。角に漆器蔵を配した造りです。ここは小・中学校の同級生の家です。
漆器蔵の角をまっすぐ行くと、左側にも蔵が有ります。この路地を往きます。
先程の朽かけた塀の家の玄関です。何度か遊びに行ったことがあります。大き過ぎて太陽光が届かない、昼でも薄暗い家でした。彼女の弟が後を取ったと聞いています。現役の漆器屋です。
向かいの店です。屋号は「小谷屋」です。
ちょっと行って振り返ります。両家ともカメラに収まらないです。
同級生の家です。
小谷屋です。屋号が入った「椀船」のレプリカを文化会館か何処かで見たことがあります。老舗の漆器屋です。
去り難く戻って来ました。
音一つしない、猫一匹通らない路地です。
桜井漆器と月賦販売はこちら。
子どものころ住んでいた場所
同級生の家等すべてが懐かしいものなのに
これだけ寂れてくると寂しさだけが残ってしまいそうです
住み慣れた街がだんだんと寂れて最後にはなくなっていきそうな状態
せめて写真には残しておきたいですね
全て懐かしくて寂しいのですが、嬉しくもあるんです。
思い出の場所が結構残っているんです。
一方で、人間も町も少しずつ気づかないうちに衰えて行きます。時々まじまじと見て、改めて衰えの進行にに気づくんですが、その時行く先を覚悟します。少しずつそのような覚悟を確認しながら生きていく。
諦念って言いますか、そんな感覚になります。