もう3ヶ月超前の新聞スクラップです。近頃思い立っても腰が上がりません。活動制限を余儀なくされたコロナ禍が拍車をかけました。老化の典型的な症状です。やっと、記事の場所を探しに行きました。
記事の地図が頼りです。先ず、神田川の万世橋へ行きます。
万世橋から眺める神田川です。
橋の袂に「肉の万世」が在ります。
秋葉原の街です。
この界隈がこんなに無惨に焼失しました。死者・行方不明者10万人以上を出した関東大震災から今年で100年だそうです。奇跡を起こした町の跡を探しに来ました。
現在の秋葉原駅前です。
新聞記事にある「和泉公園に立つ『防火守護地』の碑」を探します。千代田区立和泉小学校の隣です。
校門の向こうのビルが校舎です。都会の小学校らしいです。
ここです。
正に都会の公園です。
石碑が有りました。
読みます。「この付近一帯は大正12年9月1日関東大震災のときに町の人が一致協力して防火に努めたので出火をまぬがれました。その町名は次のとおりであります。云々」
そして、新聞記事にこう続きます。「昼食の時間帯に発生した大震災は大きな揺れの後に各地で火災が発生、被害をさらに大きくした。焼土の中に家並みが残った和泉町、佐久間町などの光景に人々は驚きの目を向けたという。」
「地震発生後、各方面から迫る火災に住民たちはバケツリレーなどで必死に抵抗した。長時間にわたる消火活動で住民の疲労は深かった。そんな中、発生から丸一日たった2日午後3時ごろ、最大の火災がすさまじい勢いでのしかかってきた。数百名の住人は二列縦隊をつくって七個の井戸から汲み上げた水をバケツで手送りし、全力をあげて消化に努めた。午後11時ごろには完全に食い止めることに成功、約1600戸が焼土の中で焼け残った。記録は『焼け残りは全て住民の努力によるもので、消防署は防火活動に全く従事していない。』と記している。」
この話、続きます。