
写真1 桜島の火山灰を被らぬよう、ビニールをかけられたスナックエンドウ。煙を吐く山側に牛舎の白屋根が見える

写真2 スナックエンドウはビニールハウスの中 火山灰避け、霜避け、寒さ避け

写真3 白花をつけたスナックエンドウ ビニールハウスの中

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1.半世紀前の農業は変わる
東桜島町の農業は変わった
栽培方法や加工方法、品種が変わった
たとえば、品種はキヌサヤエンドウに替りスナックエンドウ
栽培方法や加工法の変化はダイコンやビワに見られる
ダイコンは自家用の干しダイコンだけ、ソッデコンだけ(弊ブログ2013年03月29日)
畑に漬物用ダイコンの干し棚はない
今のビワ袋は、新聞紙に油をひいたのでなく、ビニール製品(弊ブログ2013年03月07日)
キヌサヤエンドウに替ったスナックエンドウはビニールの下(写真1)やビニールハウスの中(写真2・写真3)
火山灰避け・霜避け・寒さ避けのために
かつてキヌサヤエンドウは露地栽培だった
写真1に見る白屋根牛舎は規模拡大で宅地から出て来た(弊ブログ2013年03月05日)
2.半世紀前、キヌサヤエンドウは特急寝台車・はやぶさに乗り大阪市場へ
キヌサヤエンドウには次のような筆者の思い出がある
1960年(昭和35)頃、古里町の叔母夫妻はキヌサヤエンドウの産地仲買商
東桜島町や古里町の農家、大隅半島垂水市海潟あたりの農家から、キヌサヤエンドウを夕方買い集めた
その夜に、パートさんを雇い、選別し箱詰め
翌日朝、焼き玉エンジンの木造郵便船折田丸で鹿児島港まで運び、国鉄鹿児島駅へ
特急寝台列車・はやぶさの貨物車で大阪市場へ
当時、特急列車や普通列車の発着駅は鹿児島駅
現在九州新幹線が発着する鹿児島中央駅は、当時西鹿児島駅と呼ばれ、主要駅ではなかった
3.マツダのオート三輪トラックでキヌサヤエンドウを買い集め
話は変わり、当時筆者が興味をもったのはマツダの両手ハンドル三輪トラック
このトラックでキヌサヤエンドウを買い集め、折田丸の着くガンギまで運んだ
自転車ハンドルを長く太くした逆Y字状のハンドルで方向操作
当時、モータリゼーションが始まったばかり
スバル・富士重工の営農サンバーも走り始めていた
営農サンバーは丸ハンドル
三輪トラックの助手席に乗せてもらうのが楽しみだった
冬休みには時々乗り、キヌサヤエンドウの買い集めを手伝った
その際、前日の買い集め金額を茶封筒に入れて農家に手渡した
上記のようなキヌサヤエンドウ産地仲買業を1970年代前半に止めた
叔母夫妻は自身の高齢、JA等の集出荷体制整備などのために
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月11日 撮影地:鹿児島市東桜島町