駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ちょっと手が出ず

2012年10月21日 | 旨い物

     

 旨いものが好きで生きるために食べるよりも食べるために生きているという方が正確な前期高齢の人生を送っている。高級店も家族や友人となら出かけるのだが、自分一人では出かけないというか出かけられない。根がB級グルメ体質なのだ。

 出先で高級和菓子を少し買って行こうと名にし負う店に入ったはいいが、一個五百円以上する和菓子に恐れをなし後ろ足で店を退散した。きっと美味しいのだろうとは思うのだが、三倍の値のものが三倍美味しいとは思えない。身分不相応というか私の舌では味わい切れない気がした。

 一体どういう方がああした高級和菓子をお求めになるのであろう。贅沢というのは一代では身に付かないのかもしれない。小僧の神様とは違うけれども、ちょっと寂しい気もした。

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故郷贔屓

2012年10月20日 | 旨い物

       

 朝のテレビで日本一の柿産地として奈良県が紹介されていた。「あれそうかな」。というのが、美濃出身の私の反応だ。いつもこの時期になると兄と妹が富有柿を送って呉れる(兄は一昨年亡くなったので、去年からは兄嫁と妹になった)。

 自分は美濃の富有柿を食べて育ったので、柿というのはこういうものだと思っていたのだが、当地で知り合いの方に数個差し上げると一様に「まあ、立派な柿」と驚かれる。確かにそう云われれば美濃の富有柿の大きなものは十二、三センチもあり、当地で見かけるものの倍ぐらいある。

 大きいと味が落ちると思いきや、美濃の富有柿は大きくて甘くておいしい。総実に甘みが回っている。奈良は生産量は多いのかも知らんが、富有柿は美濃が一番というのが、私の思いだ。残念ながら今年はまだ届かないので、写真はない。

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一口でよいから齧ってみる

2012年10月19日 | 町医者診言

     

 情報の溢れる時代になった。膨大な量でうんざりしているのに、情報量が減る気配はない。情報提供を生業にする人達は目に留まってなんぼとばかりに、見出しとキャッチフレーズに力を入れる。中身は二の次のことも多い。

 「ほう、そうか」。と記事を読んでも梗概を読まされているようで、まるで海老天の衣を剥いでいくと肝心の中身が小振りの車エビどころか桜エビひょっとしてオキアミかというような内容のない記事が出回っている。見出しやキャッチフレーズだけで判断してしまう人や中身がなくても週刊誌・・・はそんなものと気にとめない人もいるだろう。しかし、ちゃんと中身を齧って見極めている人も多いと思う。

 悪者のレッテルを貼り付け、定着したようだと見るやその人、否そいつ、を貶めるには何を書いてもよいと書いてしまうマスコミ人は某M氏を非難出来ない気がする。きちんと中身を把握して流されない人が大勢居るのを忘れないで欲しい。

 宣伝文句や包装も一定の意味価値があるけれども、肝心要は中身、一口齧れば質と程度は分かる。良質の物を吟味して、自ら判断することが、溢れる情報に流されないための方法と思う。

 マスコミはローブローが過ぎる、減点は当然、反則負けかもしれない。

 

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境目に目が眩む

2012年10月18日 | 小考

           

 田舎に境川という川があった。どことどこの境かよく憶えていないが隣村との境になっていたのだろう。というよりはそれを境にしていたのだろう。

 今も曖昧な領土の境目で揉めているようであるが、遡れば江戸時代・・平安時代・・弥生式時代になり、石器時代から人類以前の恐竜・・無脊椎生物・・多細胞生物の時代となりついには真核生物が主役となり、アメーバが竹島はワシの領土と言い出すだろう。

 私利私欲の絡んだ境目は人為故に揉めれば果てしないことになるのだが、国境で争うのは人類不治の病だろう。私は国の境目ではため息は出ても目は眩まない。血を流して守れなどという人が居るが、先ず自分でやって見せて頂きたい。ひょっとしたら後に続く人が居るかもしれない。他人に強いるのは止めていただこう。巻き添えは御免だ。曖昧模糊の現状はやむを得まいと思う。

 境目を考えて目が眩むような気がするのは、マクロとミクロの境と個性と無個性の境である。人間原理が働くので自分の大きさが中心になるのだが、倍倍倍・・のアンドロメダ星雲から半分半分半分・・の水素原子まで、一体どの辺りから運動の法則が変わるのだろうか。境目があるように見えて境目はないのだろうか。

 人間には寿命があり、死すべき存在の私という自覚がある唯一の生物らしいが、細菌レベルまで行くと個性はなく死んだんだか殖えたんだかわけが分からなくなる。一体どの辺りから個の死が生まれるのだろうか。恐らくどちらともとれる緩衝地帯を経ていつの間にか境目を越えるのだろう?、幽明の境はそうしたものかもしれない。

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弱いブラジルは強かった

2012年10月17日 | スポーツ

                                 

 昨日は観戦できる時間帯の放映だったので、内科医会からとって返しザックジャパン対ブラジル戦を見た。試合開始十分、これは行けるのではないかと思うつかの間、僅かな隙を突かれミドルシュートを決められてしまった。中距離からワンバンドでポストぎりぎりの球筋で、フォーアームの川島もあと数センチではじき出せなかった。

 FIFAランクもベストテン以下の弱いはずのブラジルだったが、なんだかまじめにやっているのかいなと思わせて徐々に強いブラジルが本領を発揮し、いつの間にかザックジャパンは空回りの完敗であった。

 これが試合というものなのだろう。力こぶのフル回転は巧妙にいなされ、隙があると見るや一気呵成に攻めてくる。解説者の清水さんが指摘したとおり、先取点の取られ方から、抜かれるのを恐れ守備のラインを下げてしまったために、相手の緩急ペースから隙を突く試合運びに翻弄されてしまった。安全大好きジャパンの顔がここにも覗いた。失点を恐れぬぎりぎりの勝負をしないと、勝ち目がなくなる勝負の要諦を教えられた試合だった。

 安全は安全第一では守れない?!。

 

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