駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

微かだが番組に主張を感じる

2019年09月07日 | 小考

       


 この二三日、夏の陽気が舞い戻っている。朝はまずまずなのだが昼過ぎからは真夏だ。夕食後テレビを見ることが多いが、番組こそ違え出てくる人が金太郎飴のように同じで、評論家というか学者と言うか外交防衛専門家の数が限られていると感じる。評論家はともかく学者でテレビに出る人は限られているのかもしれない。こんなに毎日テレビでしゃべっていて新たな情報を取り入れ、考える勉強の時間があるのだろうかと余計な心配をしたくなる。

 面白いのは同じ人が出ていてもテレビ局によって、話す内容のニュアンスが多少違う。BSの4,6,8チャンネルでは味わいが異なる。キャスターの性格もあるのか、4チャンネル深層ニュースの近藤さんと6チャンネル730の堤さんは私にはバランスが取れて聞こえる。8チャンネルしかお呼びがかからない?強い主張の方もおられ、こうした番組の老舗の8チャンネルと新規参入の6チャンネンルに微かだが主張を感じる。

 とは言いながら見ているうちにいつの間にか寝てしまっていることが多く、どこまで正確に評価できているか心許ない。

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踏切事故を防ぐには

2019年09月06日 | 小考

             

 

 京急線の踏切事故で明らかになったこと。それは監視カメラは作動しても、事故を防ぐ手立ては用意されていなかったことだ。踏切りの警報が鳴った時、線路内に車が居れば緊急停止の信号が運転士に伝えられるようにすることは、今の技術力なら朝飯前にできるはずだ。なぜそうした対策が取られていなかったのだろう。それを深く考える必要がある。

 正確には知らないが警報が鳴って遮断機が下りて電車が通過するまで一分くらいある。一分あれば止まれなくても30キロくらいまで速度が落とせるような気がする。そのあたりは専門家ならすぐ計算できるだろう。そうすれば大惨事にはならなかったと思う。

 もはやどこかの国に負けないほどの監視社会になっているようだが、一歩踏み込んで事故を防ぐ手立てまでは進んでいないようだ。これは技術の壁ではなく心理的な壁があるからだろう。顔色を窺うことなく、有効と判断できることはやってほしい。大きな費用が掛かるとは思えない。

 

 どうも得意の早とちりで書いたところがあるようだ。何か踏切内の障害物に反応する警報があるらしい。そうなると人的ミスの要素もありそうだ。そうとすれば人的ミスを防ぐ手立ても考えておかないといけないということになる。

 

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魔法、使えますか?

2019年09月05日 | 人生

                           

 

 今朝は曇天で秋風が吹いていた。なぜか何組もの犬の散歩に遭遇した。犬種が多彩でダックスフント、ラプラドールレトリーバ、コーギー、フレンチブルドック。痩せて耳の立った見かけない犬種・・、女性も多く引っ張られて中々散歩も大変そうだった。もう一度犬が飼いたくなったが最後まで飼い切れるか自信がなく二の足を踏んでいる。

 記憶と言うのは実に不思議なもので、思い出そうとして忘れられない辺々がある。もう四十年近く前、自分が三十代で総合病院に勤めていた頃、皺くちゃのお婆さんが入院してきた。八十代だったと思うのだが、お婆さんお婆さんしておられ魔法使いのように見えたので、つい「魔法が使えるようになりましたか?」と思い浮かんだことを口に出してしまった。きょとんとされていたのだが、後から看護師に「先生、あんな失礼なこと言って」ときつくたしなめられた。多分そのせいだと思うが奇妙なことを憶えている。その時は大いに反省したのだが、今ではまあ八割がたで二割ぐらいは「まだよ」とか「できそうね」と答えてくれるお婆さんも居そうで、相手を見てなら許される感想のように思っている。

 これは自分の問題発言だが、患者さんの言葉でいくつか忘れられないものがある。機会があれば思い出したら、ここに書き留めておこうと思う。

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香港市民にエールを送りたい

2019年09月04日 | 世界

           

 

 ホンコンのデモ鎮圧に長官が力を使い始めた。最初の頃取材に応じたデモを続けると威勢良かったお兄さんが急に逃げ隠れするようになっている。大体空威張りは駄目としたものだ。力に屈せずデモを続ける肝が据わった市民も多いようだ。日本政府は外交のこともあるから正面切っては難しいとしても、マスコミに支援の論調が少ないのはインバランスと思う。対韓国にしても叩けば売れると、目先に捕らわれた報道姿勢が多い。そういう人達は不利になれば口を拭って真っ先に逃げ出す。それは歴史が教えるところだし、身の回りを見渡してもわかると思う。まさかの時に友人でありたい。対岸の火事と見物を決め込む人を信頼するのは難しい。日本人の鼎の軽重が問われている。京都アニメの放火に真っ先に外国から高額の見舞金が届いたことを忘れない。

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食べる楽しみは尽きない

2019年09月03日 | 旨い物

         


 どこの国の料理が一番旨いかなどという比較は難しいし意味もないが、どこの何が旨いあそこのあれが旨いというのは楽しく尽きぬ話題だ。各国の旨い料理が食べられるという点では東京は抜きんでているようだ。勿論、本場には本場の空気があるから、本場とそのまま比べることはできないだろうが、僅かな日本的なアレンジが有効に働いて本場に負けない旨さが味わえるらしい。

 私の偏見かもしれないが私には東欧南米の料理はあまり口に合わない。美味しいと思っても、これは旨いとまではゆかない。勿論、食べ尽くしたわけではないから一齧りでの感想に過ぎない。おそらく食べるために生きている人が少ないのではないかと思う。南米ではないがメキシコ料理は高く評価する人も多く、一度はこれは旨いというメキシコ料理に巡り合いたい。

 旨い日本料理の三羽烏と言えば、異論はあるかもしれないが鮨、鰻、蕎麦としたもんだ。私はどれも好きなのだが、どうしてもお値打ち感がないと感激が薄れるのだ。鮨はお好みを食べれば福沢先生のお出ましになるし、鰻も庶民の食べ物とは言い難いお値段になった。蕎麦だけがまずまずのお値段で美味しいものが頂ける。そのせいもあって週に一回くらい食べる。さいわい三軒ばかりお気に入りの店があって、その時の気分でどれかに入っている。東京には更科、藪、砂場と三系統あるようだが(私は藪が好き)、当地でもいくつか系統がある。ざるが旨い店、天麩羅そばの旨い店とちょっとずつ違うのが面白い。中に天丼のない店がある。これが困る。私ほど蕎麦好きでない家内は毎回蕎麦では嫌がるのだ。天麩羅は得意のはずなので、ちょっと飯を炊くだけじゃないかと思うのだが、何かこだわりがあるらしい。幸いうどんはあるので、関西の出の家内はうどんを注文することが多い。

 鮨、蕎麦、鰻の調理法は誰が考え出したのか、おそらく数多い料理人が関わった少しづつの改良だろうとは思う。最初は瓢箪から駒だったのだろうが、それを見逃さなかったは旨いもの大好き魂があったせいに違いない。。

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