キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

河口湖マラソン

2010年11月28日 | Weblog
河口湖マラソンに行ってきた。今、帰りのバスの中。車内のお楽しみ抽選会で有森さんのサイン色紙を逃したところ。

河口湖マラソンは去年に初めて参加して、今回が二回目。フルとしてはこれが三回目。
奥さんは去年11キロ、今年は27キロに挑戦。
二人で鶴見川や皇居を走って練習した。

このマラソンは、会社でお世話になっている人が大学の頃からかれこれ二十数年連続で出場していて、毎年友人知人を誘って出てらっしゃる。僕らもそのつながりで誘ってもらい、会場から近い行きつけの宿の手配までしてもらった。前日の夕食はカーボンローディングの総仕上げと称して宿の近くの小作というほうとう屋にみんなで行く。これも毎年の恒例だ。

前置きが長くなった。
ここからはマラソンの話。

河口湖マラソンのスタートは早い。7時半に号砲。ただでさえ気温の低い富士山の麓、早朝はよけいに冷え込む。それは、まあ、あまり関係ないが、今日は完全に寝坊した。4時半にセットした目覚ましが鳴らず、先輩のドアのノックで起きたのが6時半。もうパニック状態で、用意しておいた餅にも手をつけられず、評判の宿の朝食も食べられず、前日に買ったザバスのゼリー食品とドーナッツを半分、それにみかんを半分だけ食べて宿を飛び出したのがスタートの20分前。

そんなどたばたで始まった河口湖マラソン。去年が3時間41分だったので今年は3時間半切りが目標だと年初から公言していた。計画ではキロ5分を続けてラスト5キロで少しあげてちょうど3時間半。事前に皇居で走った感覚ではこれが限界かなというところ。それに悪いことには、その皇居で走った日に18キロ過ぎで左足首前がぐきぐき言い出して、痛くて、不安が残った。

スタートから中盤まで、次から次ぎに後ろから抜かれた。でも、どんなに抜かれても、自分が練習でつかんでいるペースで走っているから大丈夫、焦って追う必要はない、と言い聞かせ続けた。スタート直後にバカボンのパパの仮装を見た影響で「これでいいのだぁ~」と思いながら。

その甲斐あって、気持ちは楽に30キロまで行くことができた。一回目、二回目ともにフルは35キロから大きく失速した経験から、できる限り余力を最後の10キロに残す走りをしようと思っていた。
30キロまではそれは成功。そして魔のラスト5キロに。それまで予定通りペースをあげて、「痛くても走る」とがんばっていたが、突然ラスト5キロから4キロの距離が長く感じた。ラスト4キロから3キロはもっと長い。いつも10キロ走っている感覚とは全く違う。足が熱い。血が足にたまってむくんでいる。膝がかちかちに固まって痛い。股関節も悲鳴を上げる。身体をきれいな体勢に保てない。顎があがり、丹田に溜めのない走りだ。
そして左のふくらはぎがつった。ここにきて。もうラスト2キロ。スパートをしようと力を入れるとまたすぐつる。長い、長い最後の道。昨日通ったときにはなんでもない道だったのに。
ゴールが見えた。もう左足は一歩踏む度にびくびくつっている。顔は歪んで泣いているのに涙も汗もない。なにもかも出尽くした。スパートもできず倒れ込むようにゴール。ウォッチを止めると3時間21分。目標の3時間半を越える大幅なベスト。思わず大きくガッツポーズをしてそこにへたりこんだ。

その後はバナナや豚汁、富士宮焼きそばやもんじゃ焼きを奥さんとほおばり、宿で風呂を浴びて大部屋でみんなとまったり。
奥さんは27キロをしっかり走りきり、目標タイムを切ってゴール。来年はいよいよフルに挑戦か?とその答えを今求めるのは酷な話だ。その他のメンバーも去年を越えるタイムでそれぞれの距離を走りきった。

よく人生をマラソンに例えるが、それが本当なら人生の中にも辛くて辛くて諦めたくて、でも諦めたくなくて、自分にいろんなことを言い聞かせながら、長い長いどろどろのトンネルをぼろぼろになりながら進むときがあるのだろうか。そしてそれも歯を食いしばって進み続けた結果、ガッツポーズのゴールがいつか来るのだろうか。

そんなことを思いながら、バスは渋滞の道を少しずつでも横浜へ向かうのでした。