キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

東北ボランティア -13- 日和山から見た石巻

2011年07月24日 | Weblog
石巻ボランティア二日目のお昼は、黄金浜の公民館で菓子パンや被災者への炊き出しの余りがふるまわれた。
結局、横浜から持ってきたα米やカロリーメイトの類の食物は殆ど食べずじまいになりそうだ。
一緒に来た高校生たちは若さを爆発させて、大盛りのおかわりを連発させていた。

このお昼時間にちょっとした提案と議論があり、僕たちだけは午後からの作業を中止して日和山というところに行かせてもらうことになった。

日和山は石巻でも最も被害の大きかった地域を一望する小さな山だ。
黄金浜のリーダーや団体のメンバーは、ここでの泥のかき出しも大切だが、せっかく県外から来てもらった人たちに石巻の被害を実際に見てもらいたいとの気持ちを持っていた。
そのために、わざわざ車を二台もアレンジしていただき、詳しく被害状況を説明していただける方まで派遣していただいた。
本当に頭が下がる思いと同時に、それだけ自分たちの状況を知ってほしいという気持ちと、外から来た人たちへの期待を感じた。
ともすれば、被災地をわざわざ見に行くことは、被災者の心理を考慮して遠慮してしまうところだが、こうして貴重な人手まで派遣して見に行かせてもらえることは、この団体と縁を持てたことへ感謝し、真剣にその意味を考えるべきことだと思う。

日和山から見た石巻は、説明をしてくれた方が繰り返していたように、まるで空襲の跡のようだった。
ぽつん、ぽつんとしか建物が残っておらず、全てが流され、そこに多くの家々が立ち並び、そこでそれよりも多くの人々が住んでいたということが想像できない状態だった。
すぐ先には海が広がり、あの日、あそこから津波が襲い掛かり、突然のことで逃げることすらできずに流されていった人々が今も多く目の前の風景に眠っている。



ここは将来、公園になる予定です、と説明を受けた。

地盤沈下で、この辺りには満潮時に海水が入ってくるという。
事実、雨も降っていないのに、そこここに大きな水たまりができている。
なんとか逃げ延びた人たちも再びここに住むことは許されないのだ。

日和山から降り、石巻駅まで送っていただいた。
そこからバスで仙台駅まで。
そこで高校生たちは一路愛知県へ。
僕と夕夏は仙台駅前の屋台で牛タンとビールをいただいた。
そこでは東京と変わらない、お洒落に着飾った男女が楽しそうに歩いていた。
石巻ではめったに見られなかった風景で、なんだか目に眩しかった。