オーデック ブログ

写真好きの建築女子が綴る、日々のあれこれ!

高部地区の文化遺産(常陸大宮市)

2019年06月30日 | 建物探訪
先日、常陸大宮市の高部宿(たかぶじゅく)の見学会に参加してきました。
(あいにくの雨で画像が悪く残念)

市町村合併前は美和村、この高部宿は江戸時代に建てられた古い土蔵が続く、水戸藩時代の宿場町でした。
現在でも木造三階建ての建造物、見世蔵・酒蔵・郵便局など、明治、大正、昭和の雰囲気を残す趣のある建物が多数存在します。江戸時代には、特産の和紙や葉煙草を扱う有力商人が軒を連ねていたようです。


平塚家時計塔(大正8年築)



国松家旧郵便局(明治41年築)



平塚家見世蔵



間宮家住宅(明治35年築)


洋館の1階は、当時「馬頭銀行」として使われていました。


岡山家住宅(明治20年頃)


元々は紙問屋だったようですが、「花の友」の造り酒屋を営んでおり、今も3階建ての建物が残っております。




水戸偕楽園の好文亭をモデルにして築造されたという「喜雨亭」は登録文化財に指定されています。
この岡山家には「養浩園」というりっぱな庭があったのですが・・・荒れ果てた状態で放置されていました。
その後、「森と地域の調和を考える会」により少しずつ手が入れられていました。

そして、更に文化庁のバックアップで、文化財庭園保存技術者協議会により元の状態に復元する作業がこの度行われました。大変長くなりましたが、その復元の様子を見る見学会でした。

約3,000㎡の園内には、池・浮島・橋・あずま屋があります。雨のため、園内を歩けませんでした。





復元前は、石組みなども殆ど見えない状態になっていたようです。



職人さんの丁寧な仕事で、水の流れも現れ、池もよみがえりました。


サロン的存在だった3階の喜雨亭から、庭の様子も眺められることでしょう。まだ、途中経過ではありましたが、お天気のよい時に、また訪ねたいですね。文化財の保存には、多くの方の理解と大変な時間を要しますが、以前の姿になることを願いたいです。


森と地域の調和を考える会
高部宿の見どころ

常陸大宮市
高部宿の町並み
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メダカのビオトープ

2019年06月20日 | 環境
数十年ぶりにメダカを飼うことに、自宅ではなく、会社の庭で屋外です。



会社の庭には、趣味のミニ盆栽や鉢植えなどもたくさん置いています。メダカとともに水生植物も添え大人の自由研究を(笑)会社に大きなスイレン鉢があったので、よく洗った、麦飯ジャリを敷き込み盆栽用の溶岩もいくつか配置してメダカの隠れ場所も作ってみました。




水草はホテイアオイ、ミニシペラス、ウォーターコインを選んでみました。
(浮いているのは、メダカのエサ)毎日の餌やりも楽しいです。メダカの赤ちゃんはできるのか?ホテイアオイに卵を産み付けたら、別の場所に移すとのアドバイス。しばし観察しますので、その際はまた報告します。

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水無月の「茅の輪くぐり」

2019年06月13日 | 地域情報
昨日は久しぶりに水戸八幡宮へ
6月は夏越の大祓式があるため「茅の輪」が飾られています。この茅の輪をくぐり、健康を祈念してきました。




左側にあるのが、茅の輪のくぐり方
今年も樹齢800年のイチョウには、たくさんの実がついていました。







【夏越の大祓式】6月30日(日)午後1時より「茅の輪くぐりの神事」が行われます。
神事では、茨城県指定文化財の「水戸大神楽」の獅子舞も行われ、参拝者の頭をひとりひとり噛んで無病息災が祈られます。ご関心ある方はお出かけください。


水戸八幡宮
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茨城町指定史跡「勘十郎堀跡」

2019年06月08日 | 土木の風景
今日は、茨城空港に近い場所で、農地転用の許可申請による現場立会い。
会社から涸沼のそばを通り約50分、仕事も早く済んだので、道沿いの標識の方向へ車を走らせました。



勘十郎堀跡といわれる、大洗町の大貫運河は見ていましたが、茨城町の紅葉運河は今回初めてです。
真ん中が道路になっていますが、道路の両側に運河の痕跡が見られます。







かつて水戸と江戸を結ぶ内陸水路として、那珂川・涸沼川・涸沼・北浦・利根川が運送路として利用されましたが、涸沼と北浦の間では陸上輸送となるため、この間に運河(紅葉運河)を作ることで、利用の増大と経済の発展、さらには通船税で藩の財政を立て直す予定でしが・・・


(関東農政局の地図です)


延べ130万人が動員されましたが、砂地という地質も悪かったようで・・・絶えず修復工事に追われていたようです。
農民たちは田畑を耕すこともできず、過酷な労働と賃金が払われないなどで1708年には農民一揆がおこり、松波勘十郎は改革の責任をとり牢獄に入れられ獄死したそうです。今はうっそうと緑に覆われていますが、まわりの地形からみても掘削した深さの苦労が想像できます。






もしこれらの運河が残っていたら、大洗町の大貫運河から紅葉運河まで、今ならサイクリングロードにでもなっていたかもしれませんね。


[勘十郎堀についての詳しく説明]

運河の掘削と宝永の一揆(関東農政局)

茨城県の紹介のページ


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茨城県無形文化財の西ノ内紙で紙漉き体験

2019年06月03日 | 大人女子のカルチャー・アンテナ
先日、和紙を住宅の内装に使った建物見学会に参加してきました。
建築女子の皆さん、とっても熱心です。



築26年経っていますが、壁紙は張り替えていないのにクロスのように黄ばみません。



最近、直した箇所が畳のへり。紙布(しふ)と呼ばれる紙糸を材料として、織り上げた布です。
なんとも斬新な色にうっとり。最初に使ったものは、淡いピンク色になっていましたが、今年はへりを張り替えてみたそうです。


住宅に使われている紙は、地元、茨城の常陸大宮市で作られている西ノ内紙です。
今回の住宅では、白・青・緑・黄・赤(ピンク)の5色が使われています。トイレなどには黄色やピンクの紙が、アクセントとして使われていました。

西ノ内紙は水にぬれても墨が散らず、乾けば元通りに使えるという丈夫さから、かつて大福帳に使われていたそうです。その理由ですが、火事の多かった江戸時代、大福帳を火事で失っては大変。
もし、火事になった場合は、井戸に投げ入れその後乾かせば、墨に散らずに元通りになり、大福帳の明細を失わずにすむわけです。

これらの用途に大きく貢献した西ノ内紙は、水戸藩が専売制をとり、大事な資金源になっていたそうです。
(パンフレットで知りました)


さて、いよいよ紙漉き。
まずは、紙漉きの前に、材料や工程についての説明を。

原料の自家栽培の楮(こうぞ)


乾燥されたものを水に漬けやわらかくし、不純物を手作業で取り除きます。
その後、専用の歯車のついた機械で細かく裁断されます。

さらに、紙をつなぎ合わせる役目の「ねり」といわれるトロロアオイが混ぜられます。
これが、トロロアオイの根っこです。天然のこのねばりは凄そうです。



細かな工程は、是非ホームページで。




小さいサイズの簀桁(すけた)でいよいよ紙漉きにチャレンジ。
今回20名の参加でしたが、そばで動かし方を指導してもらいながら各自、一枚ずつ紙を漉きました。
どんな紙が出来上がるのか、送ってもらうのが楽しみです。

茨城県の無形文化財として、紙の歴史を知るよい機会となりました。
また、住宅の内装としてクロスではなく、すべて天然素材で作られている和紙を使うという選択肢も考えてみたいですね。


西ノ内紙 紙のさと
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