先日、磐梯山方面へ出かけながら「御薬園」という庭園を見てきました。御薬園の歴史は古く、約600年前に遡ります。詳しい歴史については、御薬園のホームページをご覧ください。
最初は別荘のようでしたが、会津松平藩の二代藩主正経が、疫病から領民を救い、病気の予防や治療などに使用する薬草の研究のために薬草園を設けたとのことです。
薬園は整備拡充され、朝鮮人参(オタネニンジン)を試植し、これを広く民間に奨励したことから、領民からお殿様の薬園、御薬園(おやくえん)と呼ばれるようになったそうです。
約1.7ヘクタールの敷地の中央に心字の池がある、池泉式回遊式大庭園です。庭園の北側には藩政時代の薬草栽培跡地を利用した薬用植物標本園があります。全体を散策するのは、広すぎず疲れないで見て回れる大きさのように感じました。
「重陽閣」と命名された建物
1973年(昭和四八年) 秩父宮妃勢津子妃殿下御一家が泊まられた新滝旅館別館が、御薬園に移築されたものです。(薬用植物標本園の入口にあります)
中央に写る建物が御茶屋御殿で、ここからは庭園が一望できます。今はこの場所でお抹茶と和菓子を愉しめます。
池の中島(亀島)は数寄屋風茅葺の平屋で、かつては藩主や藩重役などの納涼や茶席、密議等の場として使われたそうです。
お庭好きの方、会津や磐梯山方面へお出かけの際は、寄ってみるのはいかがでしょうか。
国指定名勝会津松平氏庭園「御薬園」
最初は別荘のようでしたが、会津松平藩の二代藩主正経が、疫病から領民を救い、病気の予防や治療などに使用する薬草の研究のために薬草園を設けたとのことです。
薬園は整備拡充され、朝鮮人参(オタネニンジン)を試植し、これを広く民間に奨励したことから、領民からお殿様の薬園、御薬園(おやくえん)と呼ばれるようになったそうです。
約1.7ヘクタールの敷地の中央に心字の池がある、池泉式回遊式大庭園です。庭園の北側には藩政時代の薬草栽培跡地を利用した薬用植物標本園があります。全体を散策するのは、広すぎず疲れないで見て回れる大きさのように感じました。
「重陽閣」と命名された建物
1973年(昭和四八年) 秩父宮妃勢津子妃殿下御一家が泊まられた新滝旅館別館が、御薬園に移築されたものです。(薬用植物標本園の入口にあります)
中央に写る建物が御茶屋御殿で、ここからは庭園が一望できます。今はこの場所でお抹茶と和菓子を愉しめます。
池の中島(亀島)は数寄屋風茅葺の平屋で、かつては藩主や藩重役などの納涼や茶席、密議等の場として使われたそうです。
お庭好きの方、会津や磐梯山方面へお出かけの際は、寄ってみるのはいかがでしょうか。
国指定名勝会津松平氏庭園「御薬園」