考え癖も度を過ぎれば自分には害悪でしかなく、
その癖に対応した場所から警告が発せられる。
この現象を『病』と呼ぶひともいる。
最初は大事には至らない肩代わりのところから。
それも気枯れが積もり積もれば、肩代わりは機能できなくなり、
本来の対応場所に戻って来る。
本来の場所に気枯れと言う機能不全が起こる。
『病』となれば医者へ行く。
その選択もあるだろう。
専門家に診てもらい、専門家に委ねる。
誰かの判断に添った対象治療だから、その判断をしたのが自分であるから
自己責任と言えば、そうかもしれない。
それにより、『病』という現象が自分から消滅するのであれば。
けれども考えてみるといい。
『病』は消え、自己の何かも消えてはいないか。
自己の考え癖を変えれば、気枯れはなくなる。
己の神に頼り、違えを正す。整える。
自己の在り様に添い、整えに在れば気枯れはなくなり、
機能不全はおこらない。
時に体験もよい。
その行為により、自分の在り様に気づくことができる。
どちらの結果も『よし』なのだ。
気づき、整えに入る。神意に添う。
その手法が自分の在り様でもある。
画像は、宮地嶽さまの藤。
一時期は、伐られて花がつかなかった。
やっとおちついたのか、花が咲く姿を見せてくれている。
蔓系の植物さんの生命力は本当に強い。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣