自分であれば、ただそれだけ。
誰かなんて要らない。都合だけの誰かはいない。
誰かに説明したりして、同意や了承を求めることはない。
本当の自分であれば、
本来の自分で、嘘偽りのない自分でいれば、
誰もが救いの、手伝いの、支援の、手をさしのべてくれる。
そうしてそれを素直に受け取れば、世界は優しさに包まれる。
世界はそのようにできている。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣
自分であれば、ただそれだけ。
誰かなんて要らない。都合だけの誰かはいない。
誰かに説明したりして、同意や了承を求めることはない。
本当の自分であれば、
本来の自分で、嘘偽りのない自分でいれば、
誰もが救いの、手伝いの、支援の、手をさしのべてくれる。
そうしてそれを素直に受け取れば、世界は優しさに包まれる。
世界はそのようにできている。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣
穏やかな日が続いています。
穏やかはココロにあります。
内なるものが外へ表現される
表現者であるあなたたちによって
お題はいただいたメッセージから。
世界の平和を求めるのではなく
すでに在るココロの穏やかさを表明するだけで、
それは完成するのです。
花は色変わりを始めたニオイバンマツリカ。
変わるべくして変わるが自然。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣
それぞれのフィルターレベルにより共通認識は言語化される。
今に在る感覚。
今に在る世界は広がりを見せ、新たなゾーン新たな表現を展開する。
前回記事の『プレゼンス』と言う表現ー言語化も同じ。今に在ることに他ならない。
新しく言語化されたツールにより、改めて見出された領域の言語化。
せわしなく信号を送り続ける今の時代の中で、微かに発せられていた
兆しから本来の領域を思い出す。
もといた場所を思い出し、帰りゆく。
ツールはさまざまで、新たな名で新しい命をあたえられ、ひとは目覚める。
瞑想よし、ヨガもよし、マインドフルネスもよし。
己のフィルターレベルに合ったものにより、新たなそして、元いた場所
の領域を見出し、立ち返る。
制限を抜け、ゆるゆるとした浮遊感こそ、元の場所。
己の自在を思い出す。
自由自在はもとからある。
時のはざまにそれはある。
それに気づけ、開ける扉のある場所に気づき始めている。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣
世界は調和で成り立っています。
スピリチュアルに関係なくとも、そのことに目覚めた人たちすべては、
調和在る今にのみ生きています。
外でのこと。起きた出来事に対して、それを在るがままに受け入れ
見つめ、認め、適切に判断、対処します。
けっして感情的に、短絡的に判断することはありません。
そうすることで、自己と、家族ー大切な人々を守ることができます。
自己の存在も、大切な人々の存在も、きせきの積み重ねであることを、
良く知っているからです。
稀有の存在である自分が在ることで積み上げられて、今に在る。
そのことの在り様もすべて含んで、自分がいます。
そのことに気づいています。
自分にセンタリングすることで、必要なものを瞬時に見極めます。
常に機能的に行動します。
融和することで、すべてのバランスの中に存在できます。
カラダというウツワの精緻な調和を見出し、有機的に在ります。
全体の一部である自分が有機的に存在する世界の調和が
始まっています。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣
必要なことはすべてある
これが自然であるということ
互いが互いを必要とし合うことで世界の調和は成される
国が、とか、人種が、などの表現を高次の存在はされない。
国や人種。民族などと言う分離や隔離したものではなく、
全体の個として、
この國球(霊)ーくにたま
とお呼びになる。
地球と私たちが呼んでいる存在に
私たちは住まわせていただいている。
ということを忘れてはいまいか。
必要とあれば手を差し伸べる。
そうして調和し合う。
かくして、世界に必要なものはいつでも、誰にでも、
届けられる世界として
円環を成すのだ。
隔離ではなく、
分離ではなく
すべてはひとつで存在し、
全体として有用に機能し合い、助け合い、調和ーハーモニー
をこの國魂は歌っている。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣