子供のころの呼び名が「金次郎さん」でしたが、こちらの方が親しみが湧きます。
旧の山河内小学校の像が、図書資料館の玄関口に置かれていました。
この像は赤松小学校と同じタイプのものでした。
製作者は岡山県のようですが読み取りが難しいので、もう一度詳しく調べたいと思います。
以前に赤松の古老に聞いた話ですが、戦時中に本物の銅像は軍需用品として供出され、
飛行機部品や砲弾などとなり太平洋に沈んでいるとか・・?
子供のころの呼び名が「金次郎さん」でしたが、こちらの方が親しみが湧きます。
旧の山河内小学校の像が、図書資料館の玄関口に置かれていました。
この像は赤松小学校と同じタイプのものでした。
製作者は岡山県のようですが読み取りが難しいので、もう一度詳しく調べたいと思います。
以前に赤松の古老に聞いた話ですが、戦時中に本物の銅像は軍需用品として供出され、
飛行機部品や砲弾などとなり太平洋に沈んでいるとか・・?