子供のころの呼び名が「金次郎さん」でしたが、こちらの方が親しみが湧きます。
旧の山河内小学校の像が、図書資料館の玄関口に置かれていました。
この像は赤松小学校と同じタイプのものでした。
製作者は岡山県のようですが読み取りが難しいので、もう一度詳しく調べたいと思います。
以前に赤松の古老に聞いた話ですが、戦時中に本物の銅像は軍需用品として供出され、
飛行機部品や砲弾などとなり太平洋に沈んでいるとか・・?
子供のころの呼び名が「金次郎さん」でしたが、こちらの方が親しみが湧きます。
旧の山河内小学校の像が、図書資料館の玄関口に置かれていました。
この像は赤松小学校と同じタイプのものでした。
製作者は岡山県のようですが読み取りが難しいので、もう一度詳しく調べたいと思います。
以前に赤松の古老に聞いた話ですが、戦時中に本物の銅像は軍需用品として供出され、
飛行機部品や砲弾などとなり太平洋に沈んでいるとか・・?
話の続きですが、日和佐城の鯱(しゃちほこ)のレプリカが、お城入口のロビーに置かれていました。
寄贈された "栄豊太郎" 氏も日和佐人物伝に残る方ですね!
この方に成り代わって、鯱が日和佐を見守って下さっています。
日和佐図書・資料館にて油彩画の小品展が開催されています。
会期は 二月一日(日) までとなっています。
この絵画の作風は "自然流 抽象花 " かな・・? (来てみなければわからない・・!)
先日、教えていただいた銅像が気になり撮影してきました。
元県会議長だった「森口幸夫」氏の銅像です。
水平線を向いて建てられているのかと思いきや・・?
行ってみると、駅の傍で道路の標識が目印となります。
旧の大戸小学校の尊徳像です。
赤松小学校の像とは確かに違ったものでした。
同じ町なので、おそらく同タイプと思っていましたが、顔立ちも変わっています・・?
また、残念なことに左手が折損していました。
尊徳さんが左手に持った本に、文字が書かれていたのをご存知だろうか!
これが書かれた内容の一部です。
「一家仁 一国興仁・・」 ⇒ 「いっかじんなれば いっこくじんにおこり・・」と読み、
意味は、「長をつとめる人に 思いやりがあれば 国中に思いやりができる」と解釈するそうです。
あるいは、「家族が思いやりの心をもてば、国全体にも思いやりの心が興り」の意となる。
どうも内容は、儒教の経典「大学」の一節らしいです。
赤松の二宮尊徳さんは、野山で勉強していたため、本の一部が破けてしまったようです・・!?
本家の富士山が、既に世界遺産に認定されてしまったので、このシリーズは止めたつもりでした。
しかし、以前から気になっていたのでブログ認定しました。
その山とは「高丸山」と言い、日和佐の大戸と由岐の田井の浜に接する山なのです。
日和佐道路を阿南から日和佐方面に走ると、 由岐出口や田井ノ浜の反対(右側)に見えてくる山です。
いかにもピラミッド形で富士山似なので、走行しながらでも確認できます。