「見る」ということは話の種にしやすいものです。
「観光」はその代表です。
「見てきた」というだけで、「よかったね」と言わせる力を持っています。
「見てきた」は、「それがどうした」という返事を出させません。
「・・・は見た」と、これだけでドラマのテーマにもなります。
「見る」ことには、何かに気付く、勿体付け族の言語で言えば、そこに付加価値が生まれるからでしょう。
見なければ気付くことはありません。
何でも見せてやろうは、ビックリさせてやろうに走りがちですが、そうでないサイトもあります。
「ぱふう家のホームページ」もその一例です。
⇒ http://jump.cx/pahoo
ホームページというものは、面白いつくりになっていて、入口を通らずに、いきなり部屋に案内されます。
そこで引き揚げたのでは、見たことにならないのがホームぺージの面白さです。
よーく見ると、歴史年表を作ってみましただけではない、何かに気付きます。
何があるかは、百聞・・・・・・のことわざどおりです。