今年はロス・キャンプが行われるので、恒例となっている沖縄行きはありません。
写真は、今から七年前の沖縄・浦添球場で行われた、2003年の春季キャンプでの一枚。
前年に和田毅投手(浜田高。現・福岡ホークス)を軸に春秋2連覇を達成し、いよいよ3連覇、4連覇に挑もうとする若武者たちの自信と迫力が、写真からもビンビン伝わってきます。
左から由田慎太郎外野手(オリックス)、鳥谷敬遊撃手(阪神)、比嘉寿光三塁手(元・広島)、清水大輔投手(JR東日本)、田中浩康二塁手(ヤクルト)、武内晋一一塁手(ヤクルト)、坂本康朋捕手(元・西濃運輸)、青木宣親外野手(ヤクルト)、越智大祐投手(巨人)。
今から考えてみても、素晴らしい戦力が揃った時代でした。
そして、これほどプロ注目の素材が揃っていたにも関わらず、野村徹監督からアマチュアイズムを厳しく叩き込まれた彼らは、様々な思惑を抱いて近づく連中に隙を見せずに立派に立ち振る舞いました。
彼らは、学生野球の選手らしく、メディアやプロ関係者ときちんと一線を引いて、現在のような取材規制、撮影禁止、金属フェンス設置などを行わなくても、何も問題を生じることなく練習に取り組んでいました。
このようなオープンながらも節度のある距離感は、旧・安部球場の時代からの早稲田の伝統だと私は思います。
ただ、現在の斎藤佑樹投手へのプロやメディアの攻勢は半端ではありませんから、4連覇時代と同じようにはいかないのも仕方ありません。
でも、いずれ斎藤くんの去就が決まる時が来ます。
その暁には、かつてのようなオープンな伝統を復活してもらいたいと思います。
もちろん、その時には、学生野球精神の徹底的な教育が「伝統」を復活させるための前提となるのは言うまでもありません。
ところで、「伝統」と言われる中には「しきたり」あるいは「慣習」に類するものもあります。
かつて、青島健太さん(慶応野球部OB)が、外国人留学生を神宮の学生応援席に連れていった時の苦労をコラムに書いていらっしゃいました。
まず、席に着いたとたんに、応援指導部員から「応援席ではサングラスを外してください」と注意され、
「Why?」
「早稲田のエールと校歌斉唱が終わるまで、起立・脱帽のまま、お待ちください」と注意され、
「Why?」
風が吹く中で、交代することなく、1人で必死で校旗を掲げる応援指導部員を見て
「Why?」
神宮の学生席には、外国人留学生にとって不思議な伝統、すぐには理解できない「しきたり」が山のようにあるようです。
外国人留学生ばかりでなく、日本人であっても多くの新入生たちが学生席で戸惑う姿は珍しくありません。
これらの「しきたり」が存在するのは、相手校に敬意を表する、応援団同士の無用の摩擦を防ぐ、統制のとれた応援をする、大観衆の移動などで不測の事故を防止する、あるいは応援部の中で長年醸成されてきた独特な美学など、様々な理由があります。
横綱・朝青龍の引退報道を聞いた時、まず最初に私が思ったのは「日本人にはスッと合点がいく結末だけれども、モンゴル国内の人たちに、うまく伝わるだろうか」ということでした。
大相撲の世界には、神宮球場とは比べものにならないほど「伝統」という名の「しきたり」があるはずです。
そして、大相撲に対するファンの期待も、他のスポーツとは一段も二段も高いレベルのものがあります。
これを、全く異なる文化で育ってきた人たちに理解してもらう苦労は、並大抵のことではありません。
様々な国の多様な人種のスタッフと毎日仕事している私には、難しさが良く分かります。
そして話が一旦こじれた場合に、それを修復することは更に難しくなることも。
朝青龍の個人を責めるのは簡単です。
しかし、外国から力士を受け入れながらも大相撲の伝統を本気で継承しようと思うのならば、普段から部屋任せにせず、協会が率先して、反復教育を徹底しなければなりません。
例えば、外交官や商社マンなど、力士出身以外の方にも、大相撲を愛し、大相撲独特の伝統を外国出身の方々に上手に伝えることのできる人材が、きっといらっしゃるはずです。
そして、外国から大相撲の世界に飛び込もうとする若者たちも、「これを身につけなければ関取になれずに帰国させられる」と最初に申し渡されたら、日本人力士以上に必死に勉強するに決まっています。
相撲協会は、降格処分を受けた高砂親方にとどまらず、どれほどの覚悟で外国人力士たちと向かい合ってきたのか、全ての関係者は厳しく自問しなければなりません。
写真は、今から七年前の沖縄・浦添球場で行われた、2003年の春季キャンプでの一枚。
前年に和田毅投手(浜田高。現・福岡ホークス)を軸に春秋2連覇を達成し、いよいよ3連覇、4連覇に挑もうとする若武者たちの自信と迫力が、写真からもビンビン伝わってきます。
左から由田慎太郎外野手(オリックス)、鳥谷敬遊撃手(阪神)、比嘉寿光三塁手(元・広島)、清水大輔投手(JR東日本)、田中浩康二塁手(ヤクルト)、武内晋一一塁手(ヤクルト)、坂本康朋捕手(元・西濃運輸)、青木宣親外野手(ヤクルト)、越智大祐投手(巨人)。
今から考えてみても、素晴らしい戦力が揃った時代でした。
そして、これほどプロ注目の素材が揃っていたにも関わらず、野村徹監督からアマチュアイズムを厳しく叩き込まれた彼らは、様々な思惑を抱いて近づく連中に隙を見せずに立派に立ち振る舞いました。
彼らは、学生野球の選手らしく、メディアやプロ関係者ときちんと一線を引いて、現在のような取材規制、撮影禁止、金属フェンス設置などを行わなくても、何も問題を生じることなく練習に取り組んでいました。
このようなオープンながらも節度のある距離感は、旧・安部球場の時代からの早稲田の伝統だと私は思います。
ただ、現在の斎藤佑樹投手へのプロやメディアの攻勢は半端ではありませんから、4連覇時代と同じようにはいかないのも仕方ありません。
でも、いずれ斎藤くんの去就が決まる時が来ます。
その暁には、かつてのようなオープンな伝統を復活してもらいたいと思います。
もちろん、その時には、学生野球精神の徹底的な教育が「伝統」を復活させるための前提となるのは言うまでもありません。
ところで、「伝統」と言われる中には「しきたり」あるいは「慣習」に類するものもあります。
かつて、青島健太さん(慶応野球部OB)が、外国人留学生を神宮の学生応援席に連れていった時の苦労をコラムに書いていらっしゃいました。
まず、席に着いたとたんに、応援指導部員から「応援席ではサングラスを外してください」と注意され、
「Why?」
「早稲田のエールと校歌斉唱が終わるまで、起立・脱帽のまま、お待ちください」と注意され、
「Why?」
風が吹く中で、交代することなく、1人で必死で校旗を掲げる応援指導部員を見て
「Why?」
神宮の学生席には、外国人留学生にとって不思議な伝統、すぐには理解できない「しきたり」が山のようにあるようです。
外国人留学生ばかりでなく、日本人であっても多くの新入生たちが学生席で戸惑う姿は珍しくありません。
これらの「しきたり」が存在するのは、相手校に敬意を表する、応援団同士の無用の摩擦を防ぐ、統制のとれた応援をする、大観衆の移動などで不測の事故を防止する、あるいは応援部の中で長年醸成されてきた独特な美学など、様々な理由があります。
横綱・朝青龍の引退報道を聞いた時、まず最初に私が思ったのは「日本人にはスッと合点がいく結末だけれども、モンゴル国内の人たちに、うまく伝わるだろうか」ということでした。
大相撲の世界には、神宮球場とは比べものにならないほど「伝統」という名の「しきたり」があるはずです。
そして、大相撲に対するファンの期待も、他のスポーツとは一段も二段も高いレベルのものがあります。
これを、全く異なる文化で育ってきた人たちに理解してもらう苦労は、並大抵のことではありません。
様々な国の多様な人種のスタッフと毎日仕事している私には、難しさが良く分かります。
そして話が一旦こじれた場合に、それを修復することは更に難しくなることも。
朝青龍の個人を責めるのは簡単です。
しかし、外国から力士を受け入れながらも大相撲の伝統を本気で継承しようと思うのならば、普段から部屋任せにせず、協会が率先して、反復教育を徹底しなければなりません。
例えば、外交官や商社マンなど、力士出身以外の方にも、大相撲を愛し、大相撲独特の伝統を外国出身の方々に上手に伝えることのできる人材が、きっといらっしゃるはずです。
そして、外国から大相撲の世界に飛び込もうとする若者たちも、「これを身につけなければ関取になれずに帰国させられる」と最初に申し渡されたら、日本人力士以上に必死に勉強するに決まっています。
相撲協会は、降格処分を受けた高砂親方にとどまらず、どれほどの覚悟で外国人力士たちと向かい合ってきたのか、全ての関係者は厳しく自問しなければなりません。