健康診断のために、新橋の慈恵大病院に行きました。
慈恵医大には、青山高校のクラスメートだったOくんが現役合格し、卒業後も研究者として今も大学に残っています。
検査の順番待ちをしながら、「Oくんとは3年前のクラス会で会ったっきりだなあ」「帰りに研究室に寄ろうかな」などと考えていたら、廊下の向こうから、私服姿のOくんが歩いてくるではありませんか。
\(^O^)/
「おい、医者が白衣を着ないでブラブラしていて、偉い人に怒られないのか」と私が言うと
「今日は俺も患者なんだよ」と彼は苦笑しながら、採血室へと歩いていきました。
考えてみれは、彼は私と同い年。
お互いに体にガタが来はじめてもおかしくない年齢であることを、すっかり忘れていました。
さて、日本映画の長い歴史の中には、それこそ星の数ほど俳優さんがいらっしゃいますが、「軍人俳優」と呼ばれて、これほどシックリくる方はいないだろうと思います。
それは藤田進さん。
藤田さんは、戦時中に制作された東宝の三部作「ハワイ・マレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」「雷撃隊出動」の全てに主役級で出演。
戦後も「太平洋奇跡の作戦キスカ」「日本のいちばん長い日」「日本海海戦」などの戦争映画に出演するとともに、「モスラ対ゴジラ」「宇宙怪獣ドゴラ」など数多くの怪獣特撮映画にも軍人役で出演しました。
藤田進さんは、九州・久留米の出身。
私の目から見て、あまり器用な俳優さんとは思えません。
しかし、ごつい体つきと九州訛りが相まって、藤田さんが自然体で演技すると、武骨で男っぽく、そして実直さを感じさせる、いかにも腹の座った将校という雰囲気になってしまうのです。
そんな他の人には真似のできない貫禄が持ち味の俳優さんが藤田進さんでした。
もっとも、貫禄がありすぎるので、軍人といっても一兵卒の役は難しかったでしょう。
(*^_^*)
九州訛りといえば、熊本出身の笠智衆さんも、言葉の訛りが醸し出す素朴さや実直さを感じさせる雰囲気が、そのまま俳優さんとしての存在感になっている方でした。
松竹の俳優さんで、小津安二郎監督の作品、あるい寅さんシリーズの御前さま役ですっかり有名になられた笠智衆さんは、撮影所のあった東海道線の大船駅近くに自宅を構えていらっしゃいました。
現在も、大船駅の観音さま側の小山のふもとに、娘さんが営む美容院があります
慈恵医大には、青山高校のクラスメートだったOくんが現役合格し、卒業後も研究者として今も大学に残っています。
検査の順番待ちをしながら、「Oくんとは3年前のクラス会で会ったっきりだなあ」「帰りに研究室に寄ろうかな」などと考えていたら、廊下の向こうから、私服姿のOくんが歩いてくるではありませんか。
\(^O^)/
「おい、医者が白衣を着ないでブラブラしていて、偉い人に怒られないのか」と私が言うと
「今日は俺も患者なんだよ」と彼は苦笑しながら、採血室へと歩いていきました。
考えてみれは、彼は私と同い年。
お互いに体にガタが来はじめてもおかしくない年齢であることを、すっかり忘れていました。
さて、日本映画の長い歴史の中には、それこそ星の数ほど俳優さんがいらっしゃいますが、「軍人俳優」と呼ばれて、これほどシックリくる方はいないだろうと思います。
それは藤田進さん。
藤田さんは、戦時中に制作された東宝の三部作「ハワイ・マレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」「雷撃隊出動」の全てに主役級で出演。
戦後も「太平洋奇跡の作戦キスカ」「日本のいちばん長い日」「日本海海戦」などの戦争映画に出演するとともに、「モスラ対ゴジラ」「宇宙怪獣ドゴラ」など数多くの怪獣特撮映画にも軍人役で出演しました。
藤田進さんは、九州・久留米の出身。
私の目から見て、あまり器用な俳優さんとは思えません。
しかし、ごつい体つきと九州訛りが相まって、藤田さんが自然体で演技すると、武骨で男っぽく、そして実直さを感じさせる、いかにも腹の座った将校という雰囲気になってしまうのです。
そんな他の人には真似のできない貫禄が持ち味の俳優さんが藤田進さんでした。
もっとも、貫禄がありすぎるので、軍人といっても一兵卒の役は難しかったでしょう。
(*^_^*)
九州訛りといえば、熊本出身の笠智衆さんも、言葉の訛りが醸し出す素朴さや実直さを感じさせる雰囲気が、そのまま俳優さんとしての存在感になっている方でした。
松竹の俳優さんで、小津安二郎監督の作品、あるい寅さんシリーズの御前さま役ですっかり有名になられた笠智衆さんは、撮影所のあった東海道線の大船駅近くに自宅を構えていらっしゃいました。
現在も、大船駅の観音さま側の小山のふもとに、娘さんが営む美容院があります