今朝も東京は雪でした。
数日前に乗ったタクシーの運転手さんが、かつて雪の夜に事故を起こして大変な目に遭ったと話してくれました。
その晩はスリップによる事故が多発し、いくら呼んでもJAFは全然来てくれない。
したがって壊れた車の中で、震えながら朝を迎える羽目になったそうです。
雪の日の運転は、できる限り避けたいものです。
ところで、パソコンが銀行のオフィスで欠かせない存在になってから、もう何年経ったでしょうか。
私個人の経験でいえば、銀行に就職して四年目の1983年頃に、当時の支店長にお願いしてNECの8801を融資課に買ってもらったのが、パソコンとの最初の出会いでした。
当時はウィンドウズが未だ登場しておらず、いわゆるDOSパソコンの時代。
マウスもなく、全てキーボードで入力していたのですが、新しもの好きの私は、この8801を随分といじりました。
融資先企業の業績推移をグラフ化したり、支店の宴会における飲み代を役職に応じて傾斜配分する計算をしたりして、1人悦に浸っていたものです。
でも、この頃はプリンターのドットが粗いこともあって、公式文書は手書きするものと決まっていました。
1984年ごろからは、銀行にオフコン設置が始まりました。
NEC9500でLAN WORD(ワープロソフト), LAN PLAN(表計算ソフト)などのアプリケーションを使って、社内文書はコンピュータで作成する方が読み易く、かつ編集・訂正も容易なので、むしろ手書きよりも望ましいという感じになってきました。
でも、個人で買うのは、もっぱら「ルポ」(東芝)、「書院」(シャープ)、「カシオワード」(カシオ計算機)などのワープロ専用機でした。
私は、自宅用に東芝「ルポ」を買って、業務文書や年賀状を作成したりしていました。
1980年代後半からは、個人でも買えるウィンドウズ・パソコンが普及し始めて、表計算の「エクセル」「ロータス1-2-3」、ワープロソフトの「オアシス」「一太郎」などが一世を風靡しました。
まだマイクロソフト「ワード」の日本語変換機能が今ひとつの時代でした。
ちなみに私は「エクセル」+「オアシス」の組み合わせが好きでした。
そして、1990年代の半ばに入ると、マイクロソフトのワープロソフト「ワード」が進化してきて、いわゆる「Office」のパッケージに移行して、そのまま現在に至っているという感じです。
私のPC歴は、ざっとこんな感じなのですが、別の角度から見ると、これは私の漢字力低下の歴史でもあります。
学生時代は遊び呆けていた私ですが、銀行に就職した最初の約5年間は、本当に鍛えられました。
あの時代は、誤字・脱字・略字なく、丁寧かつ端正な文体で、そして「手書き」で社内文書を作成することを誰もが要求されまして、ミスが見つかれば、一から書き直し。
もともと漢字は得意な方でしたが、新入社員時代の5年間で更に力がついたことを実感しました。
ところが、パソコンで文章を作成するようになってから、明らかに漢字力の劣化が始まりました。
過去の貯金があるので、今でも漢字を読む力は変わらず、誤変換に気がつく力も悪くないと思います。
でも漢字をすんなり手書きできなくなってきたのです。
パソコンのない時代に育った私でさえ、こんな有様なのですから、物心ついたときからパソコンや携帯電話が存在した現代の若者が漢字に苦しむのは、やむを得ません。
一昨日の日経夕刊に、ホワイトボードを使う会議で参加者から失笑をかったり、社内文書が誤字脱字だらけだたりする若手社員が増えているという記事がありました。
例えば、
×価値感 ⇒ ○価値観
×協感 ⇒ ○共感
×部所 ⇒ ○部署
×評可 ⇒ ○評価
×共丁性 ⇒ ○協調性
×決足力 ⇒ ○結束力
×復数 ⇒ ○複数
想像するに、若手社員が大学を卒業するまでの間に漢字を手書きする機会は、私達の世代の数分の一というぐらい少なかったはずです。
若手社員の漢字を書く力の低下。
これは、いわゆる「ゆとり教育」のせいばかりではなく、パソコン等の普及など社会全体の変化が大きく影響しているものと思います。
英語が社内の公用語だという職場であれば、漢字に少し弱くても大丈夫。
でも日本の官公庁や一般企業の大半では、仕事の内容云々の前に、×がついてしまいます。
そして「あんな有様で、あいつは本当に大学を出たのか」などと、全面的に否定されかねません。
漢字力は、一朝一夕に改善できるものではありません。
まず大切なことは若手に漢字を勉強してもらうことですが、漢字で四苦八苦する若者を温かく指導することも、先輩社員たちには求められていると思います。
数日前に乗ったタクシーの運転手さんが、かつて雪の夜に事故を起こして大変な目に遭ったと話してくれました。
その晩はスリップによる事故が多発し、いくら呼んでもJAFは全然来てくれない。
したがって壊れた車の中で、震えながら朝を迎える羽目になったそうです。
雪の日の運転は、できる限り避けたいものです。
ところで、パソコンが銀行のオフィスで欠かせない存在になってから、もう何年経ったでしょうか。
私個人の経験でいえば、銀行に就職して四年目の1983年頃に、当時の支店長にお願いしてNECの8801を融資課に買ってもらったのが、パソコンとの最初の出会いでした。
当時はウィンドウズが未だ登場しておらず、いわゆるDOSパソコンの時代。
マウスもなく、全てキーボードで入力していたのですが、新しもの好きの私は、この8801を随分といじりました。
融資先企業の業績推移をグラフ化したり、支店の宴会における飲み代を役職に応じて傾斜配分する計算をしたりして、1人悦に浸っていたものです。
でも、この頃はプリンターのドットが粗いこともあって、公式文書は手書きするものと決まっていました。
1984年ごろからは、銀行にオフコン設置が始まりました。
NEC9500でLAN WORD(ワープロソフト), LAN PLAN(表計算ソフト)などのアプリケーションを使って、社内文書はコンピュータで作成する方が読み易く、かつ編集・訂正も容易なので、むしろ手書きよりも望ましいという感じになってきました。
でも、個人で買うのは、もっぱら「ルポ」(東芝)、「書院」(シャープ)、「カシオワード」(カシオ計算機)などのワープロ専用機でした。
私は、自宅用に東芝「ルポ」を買って、業務文書や年賀状を作成したりしていました。
1980年代後半からは、個人でも買えるウィンドウズ・パソコンが普及し始めて、表計算の「エクセル」「ロータス1-2-3」、ワープロソフトの「オアシス」「一太郎」などが一世を風靡しました。
まだマイクロソフト「ワード」の日本語変換機能が今ひとつの時代でした。
ちなみに私は「エクセル」+「オアシス」の組み合わせが好きでした。
そして、1990年代の半ばに入ると、マイクロソフトのワープロソフト「ワード」が進化してきて、いわゆる「Office」のパッケージに移行して、そのまま現在に至っているという感じです。
私のPC歴は、ざっとこんな感じなのですが、別の角度から見ると、これは私の漢字力低下の歴史でもあります。
学生時代は遊び呆けていた私ですが、銀行に就職した最初の約5年間は、本当に鍛えられました。
あの時代は、誤字・脱字・略字なく、丁寧かつ端正な文体で、そして「手書き」で社内文書を作成することを誰もが要求されまして、ミスが見つかれば、一から書き直し。
もともと漢字は得意な方でしたが、新入社員時代の5年間で更に力がついたことを実感しました。
ところが、パソコンで文章を作成するようになってから、明らかに漢字力の劣化が始まりました。
過去の貯金があるので、今でも漢字を読む力は変わらず、誤変換に気がつく力も悪くないと思います。
でも漢字をすんなり手書きできなくなってきたのです。
パソコンのない時代に育った私でさえ、こんな有様なのですから、物心ついたときからパソコンや携帯電話が存在した現代の若者が漢字に苦しむのは、やむを得ません。
一昨日の日経夕刊に、ホワイトボードを使う会議で参加者から失笑をかったり、社内文書が誤字脱字だらけだたりする若手社員が増えているという記事がありました。
例えば、
×価値感 ⇒ ○価値観
×協感 ⇒ ○共感
×部所 ⇒ ○部署
×評可 ⇒ ○評価
×共丁性 ⇒ ○協調性
×決足力 ⇒ ○結束力
×復数 ⇒ ○複数
想像するに、若手社員が大学を卒業するまでの間に漢字を手書きする機会は、私達の世代の数分の一というぐらい少なかったはずです。
若手社員の漢字を書く力の低下。
これは、いわゆる「ゆとり教育」のせいばかりではなく、パソコン等の普及など社会全体の変化が大きく影響しているものと思います。
英語が社内の公用語だという職場であれば、漢字に少し弱くても大丈夫。
でも日本の官公庁や一般企業の大半では、仕事の内容云々の前に、×がついてしまいます。
そして「あんな有様で、あいつは本当に大学を出たのか」などと、全面的に否定されかねません。
漢字力は、一朝一夕に改善できるものではありません。
まず大切なことは若手に漢字を勉強してもらうことですが、漢字で四苦八苦する若者を温かく指導することも、先輩社員たちには求められていると思います。