外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

堀場秀孝さん

2010-05-24 17:55:25 | 大学野球
私が大学四年生だった1978年の秋、勝ったほうがリーグ優勝という最高の条件での早慶戦となりました。
その時の慶応の主将で捕手、四番打者だったのが、堀場秀孝さんです。

長野県の丸子実業で甲子園に三回出場し、一浪の後に慶応義塾大学法学部法律学科に進学。
そして、一年生の春から、いきなり正捕手としてリーグ戦に出場し、強肩強打の捕手として大暴れした神宮のスター選手でした。

冒頭の写真からも分かるように、慶応ボーイっぽくない、ゴツイ体つきとイカツイ顔で、いってみれば野人型の選手でした。

なお写真の後方は、早稲田の永関勲外野手(天理高校-早大-プリンスホテル)。
その優勝の懸かった早慶戦で、センターからのバックホームで慶応走者を本塁で刺した、俊足巧打の外野手でした。

堀場選手は素晴らしい打撃記録を残しました。
四年間の通算安打125安打は、明治の高田繁さんの127安打に僅かに届きませんでしたが、リーグ歴代2位は本当に素晴らしい記録です。
そして、11本塁打、50打点、打率.316と、長打力と勝負強さもありました。

ただ、堀場選手の打撃は、固め打ち型の印象が強いです。
当たりが出始めると、4安打、5安打の固め打ちをするタイプの打者で、日米大学野球でも常連メンバーでしたが、タツノ投手などの一流どころを相手にした時には意外に脆かったような印象があります。

このような数々の記録に比してベストナイン1回は少ないようにも感じますが、一学年上に、袴田(法政-ロッテ)と山倉(早稲田-巨人)、同学年にも金森(早稲田-プリンスホテル-西武)がいたため仕方ありません。

堀場さんは、大学卒業時にはプロ入りを断ってプリンスホテルに進み、その後に広島‐横浜‐巨人でプレーしましたが、プロ入り後はあまり活躍できなくて残念でした。



慶応野球部の合宿所の写真をみると、サッポロビールのカゴとコカコーラの木箱を積んだ上に冷蔵庫を置くという、いかにも男くさいワイルドな室内です。

でも、良く見ると、アグネス・ラムのポスターが壁に貼ってあったりして、野人・堀場の意外な一面を見たような気がしますね。

また、今となっては随分と古臭く見えるラジカセがありますが、当時の若者にとっては最新の音楽と情報を入手するために、ラジカセは必需品でした。


堀場さんは、最近は少年野球のコーチなどをなさっているようです。
Comments (5)
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