明日は、体育各部による新人パレードです。
高田馬場駅前から大学まで、応援部リーダーとブラスバンドを先頭に、期待の新人たちが原則としてユニフォーム姿で行進します。
午後一時に高田馬場の駅前をスタートです。
天気も良さそうですから、早稲田界隈は、きっと賑やかな雰囲気に包まれることでしょう。
YouTubeで2008年度の新人パレードの画像がありました。
パレードの雰囲気が判ると思います。
携帯用
バソコン用
さて、今日も外国為替市場が大きく変動し、それに伴い、東京株式市場も大荒れでした。
昨夜から為替相場が気になってしまい、私は朝6時過ぎにオフィスに入り、市場に振り回されっ放しの1日となってしまいました。
経済のグローバル化によって、地球の反対側のできごとに関するニュースが瞬時に世界を駆け巡り、それによって企業や家計の財産が増えたり減ったりする時代です。
また、ごく小規模な会社でも、中国や台湾の企業から、商談が直接舞い込んだりもする時代でもあります。
『異文化力』という言葉があります。
東京大学の江川雅子理事によれば、どのような国や文化の中でもコミュニケーションがとれて、心の平静を保つことのできる能力を指すのだそうです。
しかし、どのようにして異文化力を養うのかと問われて、すぐに答えることのできる人はいないでしょう。例えば私が働く外国銀行の世界に限ってみても、とても英語が堪能なのに仕事で結果を出せない人がいますし、その一方で、さほど英語も上手くないのに、初対面の海外スタッフと円滑に仕事を運ぶことのできる人もいます。
特効薬のような勉強方法はありません。
でも、例えば大学における法律の勉強においても、日本の六法全書や判例集を教材として学ぶばかりではなく、もっと海外の法律を、特に中国、韓国、ロシアなど日本社会と密接な関係にある国の法律を学ぶ時間を多くとって、その勉強を通じて、その根底にある歴史、文化、国民性の違いなどを理解できるような基礎を身につける必要があるような気がします。
国籍や肌の色の違いを乗り越えて理解しあうためには、法律でも、会計でも、あるいは接客技術でも、何かの専門分野の基礎力と応用力を持つ必要があり、その上に語学力が伴えば、グローバルなビジネス社会でも、かなりやれるはずです。
もっとも、かつて法曹を目指す学友の傍らで、ひたすらベースボールマガジンやスイング・ジャーナルを読んでいた私が主張しても、全く迫力がないのですけれど。
(;^_^A
ところで、先日のブログで採り上げた久慈次郎さんについて、表紙の写真を載せていながら、その本のことをご紹介することを全く失念していたことに気がつきました。
申し訳ありませんでした。
『北の球聖 久慈次郎 ・・・大リーガーと渡り合った悲運の名捕手』(草思社、著者:中里憲保)1,680円です。
ぜひお読みになってみてください。
そして、若い世代の方々にも、久慈さんの偉大な足跡を記憶にとどめていただきたいと思います。
この書籍のデータベースをご紹介します。
+++++++
北の大地を駆け抜けた日本野球黎明期のヒーロー。巨人軍「初代主将」の称号を贈られ、沢村栄治と共に第一回野球殿堂入りした函館オーシャンの名捕手・久慈次郎。
全日本軍主将として大リーグチームを迎え撃った久慈は、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ擁する超強力打線を相手に沢村栄治の熱投をリードし、球史に残る“伝説の試合”の立て役者になる。
だが、この後、久慈の野球人生には想像もできない悲劇が待ち受けていた-。
北の大地を愛し、愚直なまでに真っ直ぐな野球道を歩み続けた男の生涯を、当時の資料や関係者の証言をもとに生き生きと再現する。気骨あふれる野球人の足跡をたどりながら、戦前の日本野球の熱気を伝える力作スポーツノンフィクションである。
+++++++
この本の表紙にも使用されている、バットを握るヒゲの久慈次郎さんの写真から漂う凛とした雰囲気は、久慈さんが間違いなく超一流選手であったことを伝えてくれます。
六大学の花形スター選手として巨人軍に入団した水原茂さん、三原修さんたちが150円から180円の月給であった時に、久慈さんには破格の月給500円が提示されていたというのですから、当時の野球界における存在感の大きさが分かるというものです。
ベーブ・ルースとのツーショットは、第二次大戦前の時代において既に、久慈さんが野球を通じて、『異文化力』を存分に発揮されていたことの証です。
函館市内を進む久慈さんの葬儀の列の写真からは、いかに久慈さんの存在が大きいものであったか、そして久慈さんを突然失った市民の悲しみの深さがいかばかりであったかを理解することができるでしょう。
このような偉大な人物を『私の野球部の先輩です』ということができるのですから、早稲田の野球部員たちは本当に幸せですね。
高田馬場駅前から大学まで、応援部リーダーとブラスバンドを先頭に、期待の新人たちが原則としてユニフォーム姿で行進します。
午後一時に高田馬場の駅前をスタートです。
天気も良さそうですから、早稲田界隈は、きっと賑やかな雰囲気に包まれることでしょう。
YouTubeで2008年度の新人パレードの画像がありました。
パレードの雰囲気が判ると思います。
携帯用
バソコン用
さて、今日も外国為替市場が大きく変動し、それに伴い、東京株式市場も大荒れでした。
昨夜から為替相場が気になってしまい、私は朝6時過ぎにオフィスに入り、市場に振り回されっ放しの1日となってしまいました。
経済のグローバル化によって、地球の反対側のできごとに関するニュースが瞬時に世界を駆け巡り、それによって企業や家計の財産が増えたり減ったりする時代です。
また、ごく小規模な会社でも、中国や台湾の企業から、商談が直接舞い込んだりもする時代でもあります。
『異文化力』という言葉があります。
東京大学の江川雅子理事によれば、どのような国や文化の中でもコミュニケーションがとれて、心の平静を保つことのできる能力を指すのだそうです。
しかし、どのようにして異文化力を養うのかと問われて、すぐに答えることのできる人はいないでしょう。例えば私が働く外国銀行の世界に限ってみても、とても英語が堪能なのに仕事で結果を出せない人がいますし、その一方で、さほど英語も上手くないのに、初対面の海外スタッフと円滑に仕事を運ぶことのできる人もいます。
特効薬のような勉強方法はありません。
でも、例えば大学における法律の勉強においても、日本の六法全書や判例集を教材として学ぶばかりではなく、もっと海外の法律を、特に中国、韓国、ロシアなど日本社会と密接な関係にある国の法律を学ぶ時間を多くとって、その勉強を通じて、その根底にある歴史、文化、国民性の違いなどを理解できるような基礎を身につける必要があるような気がします。
国籍や肌の色の違いを乗り越えて理解しあうためには、法律でも、会計でも、あるいは接客技術でも、何かの専門分野の基礎力と応用力を持つ必要があり、その上に語学力が伴えば、グローバルなビジネス社会でも、かなりやれるはずです。
もっとも、かつて法曹を目指す学友の傍らで、ひたすらベースボールマガジンやスイング・ジャーナルを読んでいた私が主張しても、全く迫力がないのですけれど。
(;^_^A
ところで、先日のブログで採り上げた久慈次郎さんについて、表紙の写真を載せていながら、その本のことをご紹介することを全く失念していたことに気がつきました。
申し訳ありませんでした。
『北の球聖 久慈次郎 ・・・大リーガーと渡り合った悲運の名捕手』(草思社、著者:中里憲保)1,680円です。
ぜひお読みになってみてください。
そして、若い世代の方々にも、久慈さんの偉大な足跡を記憶にとどめていただきたいと思います。
この書籍のデータベースをご紹介します。
+++++++
北の大地を駆け抜けた日本野球黎明期のヒーロー。巨人軍「初代主将」の称号を贈られ、沢村栄治と共に第一回野球殿堂入りした函館オーシャンの名捕手・久慈次郎。
全日本軍主将として大リーグチームを迎え撃った久慈は、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ擁する超強力打線を相手に沢村栄治の熱投をリードし、球史に残る“伝説の試合”の立て役者になる。
だが、この後、久慈の野球人生には想像もできない悲劇が待ち受けていた-。
北の大地を愛し、愚直なまでに真っ直ぐな野球道を歩み続けた男の生涯を、当時の資料や関係者の証言をもとに生き生きと再現する。気骨あふれる野球人の足跡をたどりながら、戦前の日本野球の熱気を伝える力作スポーツノンフィクションである。
+++++++
この本の表紙にも使用されている、バットを握るヒゲの久慈次郎さんの写真から漂う凛とした雰囲気は、久慈さんが間違いなく超一流選手であったことを伝えてくれます。
六大学の花形スター選手として巨人軍に入団した水原茂さん、三原修さんたちが150円から180円の月給であった時に、久慈さんには破格の月給500円が提示されていたというのですから、当時の野球界における存在感の大きさが分かるというものです。
ベーブ・ルースとのツーショットは、第二次大戦前の時代において既に、久慈さんが野球を通じて、『異文化力』を存分に発揮されていたことの証です。
函館市内を進む久慈さんの葬儀の列の写真からは、いかに久慈さんの存在が大きいものであったか、そして久慈さんを突然失った市民の悲しみの深さがいかばかりであったかを理解することができるでしょう。
このような偉大な人物を『私の野球部の先輩です』ということができるのですから、早稲田の野球部員たちは本当に幸せですね。