今日は、月初の報告書を片付けるために休日出勤していました。
ネット情報で、慶応が立教に先勝したことを知りました。
慶応は、江藤監督を迎えて勢いがありますね。
オープン戦からチーム状態が良いという情報がファンの間で流れていたので、やはり噂どおりだったなという感じです。
今季のリーグ戦の賜杯争いは、投打のバランスが良い慶応が頭一つ抜け出したと言って良いでしょう。
私の記憶に強く残る慶応といえば、志村亮投手(桐蔭学園-慶応大-三井不動産)が在籍した1985年-1988年(昭和60-63年)の頃です。
いかにも慶応ボーイらしい雰囲気を漂わせる志村投手は、四年間で31勝17敗という素晴らしいピッチングを見せ、特に四年生の春の早慶一回戦から秋の立教戦にかけての5試合連続完封勝利は圧巻でした。
一方、その当時の早稲田は、本当に苦しい時代でした。
この四年間の順位は、2-4-4-5-5-3-3-3。
賜杯は遥か彼方の遠い存在で、応援するファンにとっても辛く苦しい時代。
慶応の志村投手には、何度も痛い目にあいました。
志村投手と同じ学年の早稲田の選手といえば、黒木省一郎主将(高鍋高校)。
1学年下に小宮山投手(芝浦工大柏)、2学年下には水口内野手(松山商業)がいました。
写真は、内野ノックを受ける黒木、水口の両選手です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d5/113fa99f1a184b0c24d17b91245d4d88.jpg)
監督が飯田さんから石井連蔵さんに交代し、安部球場から東伏見に移転したのが、この時期。
そして所沢に人間科学部が新設されて、優れたスポーツ選手の入学先が教育学部体育専修から所沢に移りました。
そう考えると、練習設備の整った東伏見に腰を据えた早稲田の野球部が、新たな栄光の時代に向かってスタートを切る、歴史のターニング・ポイントでしたね。
ネット情報で、慶応が立教に先勝したことを知りました。
慶応は、江藤監督を迎えて勢いがありますね。
オープン戦からチーム状態が良いという情報がファンの間で流れていたので、やはり噂どおりだったなという感じです。
今季のリーグ戦の賜杯争いは、投打のバランスが良い慶応が頭一つ抜け出したと言って良いでしょう。
私の記憶に強く残る慶応といえば、志村亮投手(桐蔭学園-慶応大-三井不動産)が在籍した1985年-1988年(昭和60-63年)の頃です。
いかにも慶応ボーイらしい雰囲気を漂わせる志村投手は、四年間で31勝17敗という素晴らしいピッチングを見せ、特に四年生の春の早慶一回戦から秋の立教戦にかけての5試合連続完封勝利は圧巻でした。
一方、その当時の早稲田は、本当に苦しい時代でした。
この四年間の順位は、2-4-4-5-5-3-3-3。
賜杯は遥か彼方の遠い存在で、応援するファンにとっても辛く苦しい時代。
慶応の志村投手には、何度も痛い目にあいました。
志村投手と同じ学年の早稲田の選手といえば、黒木省一郎主将(高鍋高校)。
1学年下に小宮山投手(芝浦工大柏)、2学年下には水口内野手(松山商業)がいました。
写真は、内野ノックを受ける黒木、水口の両選手です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d5/113fa99f1a184b0c24d17b91245d4d88.jpg)
監督が飯田さんから石井連蔵さんに交代し、安部球場から東伏見に移転したのが、この時期。
そして所沢に人間科学部が新設されて、優れたスポーツ選手の入学先が教育学部体育専修から所沢に移りました。
そう考えると、練習設備の整った東伏見に腰を据えた早稲田の野球部が、新たな栄光の時代に向かってスタートを切る、歴史のターニング・ポイントでしたね。