外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

キリンとサントリーが統合を断念

2010-02-08 17:24:57 | ビジネス
昨年七月に、キリンとサントリーの経営統合の話題を、このブログで取り上げました。
経営統合のトピック

その後、あまり話題になっていなかったのですが、今日になって、両社が経営統合を断念したと報道されました。
経営統合断念のニュース

去年の七月に危惧した通り、財閥系とオーナー会社という企業風土、経営理念の違いが最後まで埋まらなかったのではないかと私は思います。

この両社の決断が10年後にどんな結果となって現われるのか、あるいは代わりとなる経営統合の相手を探し出してくるのか。
当面、両社の動きから目が離せませんね。

ところでサントリーといえば、ラグビーの清宮監督が辞任するとか。

勝負の世界、ましてプロの世界は結果が全て。
人気者の清宮監督でも例外ではありませんでした。
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ラグビー新監督に辻さん

2010-02-08 09:13:13 | 大学ラグビー
今朝のスポーツ紙によれば、ラグビー部の新監督にNECの辻高志さん(茗渓学園-早大-NEC)が内定したようです。
順当な人選だと思います。

現役時代はファイト溢れるハードタックラーでしたから、闘将タイプの指導者になるのではないでしょうか。
どんなコーチ陣を組成するのかも楽しみです。

既に後期試験も終了していますので、一日も早く新体制がスタートできればよいのですが。

サンスポ

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雨が変えた運命

2010-02-07 19:45:27 | 大学野球
「小さな大投手」のトピックで、磐城高校の田村投手が雨のためにコントロールを乱した一球が、決勝戦の勝敗を分けたエピソードをご紹介いたしました。

大会日程に制約のある甲子園では、多少の雨でも試合が強行されがちです。
それが様々なドラマを生み出してきました。

私の高校時代では、その1971年の磐城高校と桐蔭学園の試合、そして怪物・江川が押し出しでサヨナラ負けした1973年の作新学院と銚子商業との雨中決戦が印象に残っています。

最近では、2004年の千葉経大付属と東北高校の雨中延長戦があります。
東北のエースはダルビッシュ投手、そして千葉経大のエースで四番打者は松本啓二朗投手でした。

雨の降る九回裏に、東北高校の三塁手の悪送球で同点に追い付いて息を吹き返した千葉経大は、延長戦10回にダルビッシュから二点を奪って、初出場ながらベスト4に進出したのでした。
(写真は、九回裏に生還した走者を笑顔で迎える迎える松本選手。そして無念の表情でスコアボードを確認するダルビッシュ投手)

あの試合、松本啓二朗選手は、打者として二安打一四球。守備位置も投手-センター-投手と変わる大車輪の活躍をみせ、一躍、全国区の人気球児になりました。

もし東北高校の三塁手の悪送球がなければ、千葉経大はベスト8どまり。
そうなっていたら、その数ヵ月後に松本くんが受験した早稲田の自己推薦入試の合否も、どちらに転んだか分かりませんでした。

確かに、千葉経大の成績がベスト4でも、ベスト8でも、松本くん個人の実力に変わりはありません。
でも、雨の中で起きた逆転劇から、松本くんの運命は大きく変わり始めました。
そして、彼が進学することになった早稲田の野球部でも、その三年後に達成されることになる久し振りの大学日本一に向かって、静かに歯車が動き始めたのでした。

こうして考えると、甲子園の長い歴史の中で、雨によって変えられた勝負と球児たちの運命、そして大学やプロ球団の運命は、数えきれないほどありそうですね。
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岡田彬さん

2010-02-06 17:35:25 | 大学野球
新潟高校のトピックで大越さんを話題させていただいたことで、東大野球部が二度にわたって「赤門旋風」を巻き起こした時の六大学野球の盛り上がりを、懐かしく思い出しました。

岡田彬さん(戸山高校-東大)は1974-75年の二年間、伝説のスパルタ練習で東大野球部を鍛え上げた鬼監督でした。

当時、野球部OBの中からも「やりすぎだ」「そこまで練習させなくても」と雑音が出るぐらいのスパルタ練習を行なった東大野球部。
そこで逞しくなった選手たちが、怪物江川を倒し、明治に連勝する快挙を成し遂げる第一次赤門旋風を起こしました。

第一次赤門旋風のメンバー

写真は1975年(昭和50年)の秋、明治に連勝した後に立教も破って、6年ぶりにリーグ5位を決めて、ベンチから飛び出してくる岡田監督。
体全体で歓喜の気持ちを爆発させる岡田さんが最高です。

そして、そのメンバーの中から平野、伊藤仁という二人が岡田監督のDNAを引き継ぎ、青年監督として東大を指導して1980年代に第二次赤門旋風を起こしたのです。

当時の東大は本当に強くて、早稲田も痛い目に遭いました。

そう考えると、僅か二年間の在籍でしたが、六大学野球における岡田監督の功績は、間違いなく偉大です。

ちなみに、今季から東大を率いる御手洗(みたらい)監督(戸山高校-東大)も、大学四年生の時に岡田監督に鍛えられた1人で、主戦投手でした。
岡田監督のDNAを、御手洗さんが現在の野球部員たちに植え付けてくださることを期待したいと思います。

岡田さんは、現在、東京都千代田区の観光協会事務局長をされているようで、そこでの講演の模様をご紹介します。

千代田区観光協会へのリンク

今もなお「江川を倒した時の東大の監督だ」と紹介を受けるところからも、あの時代の江川投手の圧倒的なネームバリューと、周囲から一目置かれる東大野球部の存在感が伝わってくるように思いますね。

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サイクルヒット男 百村茂樹選手

2010-02-05 20:01:39 | 大学野球
私が大学四年生の1978年(昭和53年)春季リーグ戦は、サイクルヒットを一度に3人も記録するという、極めて珍しいシーズンでした。

六大学史上、その3人を含めて、現在に至るまで6人しかサイクルヒットは記録されていないのですから、そのシーズンの珍しさが分かるというものです。

まず、法政の居郷肇内野手(倉敷工業)が立教戦で、六大学野球史上初めてのサイクルヒットを放ちました。

すると、堰を切ったように、早稲田の岡田彰布三塁手(北陽高校)も東大戦で記録し、最後は明治の百村茂樹外野手(天理高校)が慶応戦で記録しました。

そのサイクルヒット男・三人衆のうち、百村外野手は、天理高校の四番打者として甲子園で活躍した選手で、当時の明治としては珍しいスラッガータイプの強打者でした。

島岡吉郎さんが監督されていた時代の明治野球は、一言で言えば守りと粘りの野球。
どちらかといえば巧打者を揃えるチームでした。

そんな中で、私の在学中に限ってみると、その百村茂樹選手が、最もパンチ力のある打者だったと私は思います。
その秋にはベストナインにも選ばれました。

写真は、左から豊田誠佑選手(日大三高)、百村選手、柿木孝哉選手(宮崎商業)という当時の明治の主力打者です。

戦後では、1983年(昭和58年)の春秋に二シーズン連続で首位打者を獲得するとともに、歴代本塁打数で18本という記録を残した広澤克己選手(小山高校)が、明治の歴代打者で突出しています。

でも、同じ学生として神宮で観戦した百村選手が、私個人としては当時の明治で最も印象に残るスラッガーです。
体つきも、顔つきもゴツくて、敵ながら良い選手でした。
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新潟高校

2010-02-04 19:10:56 | 大学野球
センバツの21世紀枠入りが期待されていた新潟高校ですが、惜しくも出場権を逃しました。

新潟高校は文武両道の伝統校。
昔から東京六大学、中でも東大野球部に選手を送り込んでいます。

有名なところでは、東大初の日米大学野球出場選手である大越健介投手、女性ながらもリーグ戦に登板した竹本恵投手といったところでしょうか。

大越投手は、東大で、あの市川投手(都立国立高校)の二年先輩にあたり、リーグ戦で8勝を記録しています。
東大での8勝は、大変な価値があります。
東大野球部が強かった時代を代表する選手の1人といって良いでしょう。

卒業後はNHKに就職し、政治部あるいは海外での勤務が長かったのですが、春からは夜9時の「ニュースウォッチ・ナイン」でメイン・キャスターを務めると発表されています。
ニュースへのリンク

一方、竹本投手は、在学中は明治の小林千尋投手との女性対決で注目を集め、卒業後は「バイクで各地を回りたい」と海外へ渡航。
三年間ほど海外で生活してから帰国し、現在は東大の大学院で勉強しているそうです。

このようにみると、二人とも国際派で、さすが東大という活躍ぶりです。

それにしても、大越投手の在学中のチョビ髭姿(撮影は二年生の晩秋ごろ)は、ちょっと笑えますねぇ。

正直なところ、あまり格好良いという感じはしません。
ワシントン駐在も務めた腕利き政治記者というよりは、途上国の道ばたで餃子の屋台でも曳いているような…
(*^_^*)

今となっては、ご本人も「写真を撮られる時ぐらい、ちゃんと髭を剃っておけば良かったなあ」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。

ともあれ、神宮の星であった大越投手も48歳になりました。

神宮の仲間として、彼のキャスターとしての活躍を、大いに期待いたしましょう。
スポーツ畑出身の青山祐子アナウンサーと、きっと息の合った良いコンビになりますよ!

3月29日(月曜日)からの登場です。
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深層「空白の1日」

2010-02-03 22:12:35 | 大学野球
先日、日本ハムのコーチ・小林繁さんが急逝されて、怪物・江川投手にまつわる騒動の極めつけ、「空白の1日」という大事件を振り返る報道が、久し振りにメディアを駆け巡りました。

『「深層「空白の1日」』(ベースボールマガジン社。780円)の著者である坂井保之さんは、法政の大エース・江川投手をドラフト一位で指名したクラウンライター・ライオンズの当時の球団代表であり、一年後の「空白の1日」の場面では球団身売り先の西武ライオンズの球団代表として、混乱の渦中にいらっしゃった方です。

クラウンが江川を一位指名したものの、入団交渉は暗礁に乗り上げました。
その頃、本拠地の福岡は深刻な水不足になりました。
福岡の水がめは、その名も江川ダム。
ダムの名前が悪いと、九州の人達はボヤいたそうです。

また、浪人を決めて渡米した江川投手は、三菱系商社マンの住居に身を寄せていまして、スカウトの接触を拒絶し続けました。

球団買収という形で江川との交渉権を得た西武の堤オーナーは、西武バス、西武タクシー、西武運輸の車両を一手に納入していた三菱自動車の経営陣を介して、商社マンに協力を求めました。
しかし、あっさり断られてしまい、怒った堤オーナーは西武グループと三菱自動車との取引を全面停止するという騒動にも発展しました。


さて、本題の「空白の1日」です。
なんでも、ドラフト会議前日は、翌日の選手指名の準備で多忙を極めるため、会議の前々日をもって前年度のドラフト指名に基づく交渉権を終了させるというのが野球協定の趣旨であり、従来からそのように各球団に説明されていたそうです。

巨人は、その申し合わせ事項が協定に明記されていない点を突いて、強引に江川投手と契約して、翌日のドラフト会議を欠席。
阪神が江川を一位指名したのですが、巨人は欠席球団のいるドラフト会議は無効だと主張し、この意見が通らなければ、リーグを脱退すると表明。
プロ球界は大混乱に陥りました。

騒動の最後は、巨人のエース小林繁投手が阪神に交換トレードに出されるという荒技で、無理やり収拾が図られました。


なんといっても江川投手のアマチュアでの実績が別格であったことから複数のプロ球団がなりふり構わず獲得に動いた一方、彼の母校である作新学院と縁が深い大物政治家とその辣腕秘書が舞台裏で活発に動き回ったことなどが、話を複雑怪奇にしたように思います。

そして、マスコミもヒステリックになって巨人と江川を激しく批判し続けました。

難攻不落の怪物・江川投手が、グラウンド以外の場所でメッタ打ちされる姿をみて、私は本当に悲しい気持ちになったものです。

もっとも、江川本人は、トレード先の巨人で、一年のブランクがあっても春から先発ローテーション入りするのは当然と、騒動の間も揺るがぬ自信を持っていたようですから、やはり別格の大投手でした。
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週べ今週号

2010-02-02 23:15:53 | 大学野球
昨夜は、丸の内ホテルに宿泊しました。

天気予報が積雪の可能性を伝えていましたし、それ以上に金融当局宛て提出資料の作成に昨日から忙殺されているためです。

お部屋は、写真の通り素晴らしい設備でして、傘をささずにオフィスに数分で着くという立地。
仕事に専念できるので助かりますが、その分、勤務時間が長くなり、体の芯までドーンと疲れます。

なお、ツインの部屋ですが、1人で泊まりましたので念のため。
(/_\;)

さて、週刊ベースボール今週号は、今秋のドラフト予想、横浜の松本啓二朗外野手のインタビュー、そしてセンバツの出場校紹介など、なかなか楽しめる内容です。
中でも、前橋工業の小暮監督(25歳。前橋高校-早大)が早稲田のラクロス出身というのは興味深いです。

なお、週べに書かれることではありませんが、松本くんは、同期の細山田くんと一緒に、先週金曜日に東伏見で自主トレしていたようです。


ところで私、個人的には、これから約1ヶ月、当局対応に日々追われることになります。
したがって、早稲田ネタ、野球部ネタの収集が少々疎かになりますので、あらかじめお詫びしておきます。

ブログの更新も遅れる日があるかも知れませんが、その時はご容赦ください。
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小さな大投手

2010-02-01 18:19:40 | スポーツ全般
私が高校に入学したのは1971年(昭和46年)。

それまで、高校野球は、年上のお兄さんたちがやるものと思って観ていました。
しかし、自分自身が高校生になったことで、新しい視点で同世代の球児たちの躍動する姿を観るようになりました。

その年の夏の甲子園で、大活躍したのが福島の磐城高校。
日大一高に1対0、静岡学園に3対0、郡山高校に4対0と三試合連続の完封勝ちで、あれよあれよという間に決勝戦に進出。
その快進撃を、私はテレビに噛りついて夢中になって観ていました。

その快進撃の原動力となったのは、身長165センチの田村隆寿投手。
抜群の制球力とシンカーを武器に次々と強豪校を完封する田村投手は、いつの間にか新聞やテレビで「小さな大投手」と呼ばれるようになっていました。

また、地元から甲子園に向かう大応援団を乗せたバスの車列を激励しようと、市街地でも水田地帯でも沿道を延々と人々が埋め尽くし、「ガンバレ~!」「応援、頼んだぞ~」と声援がかけられたという、微笑ましいエピソードも残っています。

さて、注目の決勝戦は、お互いに一歩も譲らずに0対0で迎えた七回裏、急に降り始めた夕立の影響で、決め球のシンカーを投げようとした田村投手の指先が滑りました。

そこを桐蔭打線が見逃さず痛打し、三塁から土屋捕手(現・桐蔭学園監督)が生還して虎の子の先取点。

そして、試合は0対1のまま終了し、磐城高校は惜しくも優勝を逃しました。

高校一年生の夏に、この熱戦によって高校野球の醍醐味を味わった私は、二年生の時には日大桜ヶ丘や津久見の活躍に、三年生では怪物・江川と試合巧者・広島商業の活躍に胸を踊らせました。

小学生の頃から六大学野球を時々観戦していましたが、大学生になってから本格的にどっぷり浸かることになったのは、間違いなく磐城高校の大健闘に始まる高校三年間の感動の蓄積があったからだと思います。



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