歴代のメンバーに敬意を表してユニフォームを紹介しています。
こちらは3代目メンバーが2011年に製作したシャツのロゴ。
Tシャツの背中に印刷するバックプリントでしたが
大きな円の中に十文字という不思議なロゴが印象的です。
2011年は東日本大震災が発生した年。
このシャツは震災2ケ月後の5月上旬から着用しました。
初代メンバーの研究方針を引き継いた7名の2代目は2年次から草花と光の研究や
光を使った野菜の硝酸イオン濃度軽減技術の開発などに励んでいました。
ところが間もなく3年生になろうとする3月に震災が発生。
そこで全ての研究を休止して、2年生と地元八戸市の種差海岸に自生する
サクラソウの救出とマイクロバブルによる除塩研究に乗り出しました。
円は日の丸、十字のマークはライフガードをイメージしたもの。
チームレスキューと記されています。
色とりどりのこのシャツを着た3年生たちはまだ震災の爪痕残る5月、
万が一のために種差海岸で人工授粉を行い採種。
絶滅を防ぐために最初にすべきことは「避難」という
セオリーにそって温室に持ち帰り、種の保存に成功しました。
またマイクロバブル発生装置と発電機を被災地の岩手県山田町に持ち込み
なりふり構わず花壇の除塩に取り組んだものです。
それにしてもサクラソウ救出とマイクロバブルによる除塩活動が
同じメンバーにより同時期に同時並行で行われていたとは今考えても驚きです。
「何かしなければならないと思った」
当時のメンバーは自分の利益などまったく考えず
何かに取り憑かれたように休み返上で活動した当時を振り返ってこう話します。
毎日のように日本各地の植物愛好者から届くたくさんの激励の手紙や支援物資。
メディアも飛びつき、彼女たちの活動は世界にも紹介されました。
したがって数あるユニフォームの中でもこれは特別な存在。
今もこのロゴを見ると停電、ガソリン不足、
そして余震に怯えていた当時を今も思い出します。
夏で一段落した彼女たちはそれぞれの研究を再開。
短期間のうちに紫外線で柿の渋を抜く技術や食用菊の
ポリフェノールを大幅に増加させる栽培法など開発しました。
南部町のふるさと納税返礼品にもなっている渋柿のお菓子は
彼女たちの技術をきっかけとして誕生したもの。
努力が形となって今も残ってます。
こちらは3代目メンバーが2011年に製作したシャツのロゴ。
Tシャツの背中に印刷するバックプリントでしたが
大きな円の中に十文字という不思議なロゴが印象的です。
2011年は東日本大震災が発生した年。
このシャツは震災2ケ月後の5月上旬から着用しました。
初代メンバーの研究方針を引き継いた7名の2代目は2年次から草花と光の研究や
光を使った野菜の硝酸イオン濃度軽減技術の開発などに励んでいました。
ところが間もなく3年生になろうとする3月に震災が発生。
そこで全ての研究を休止して、2年生と地元八戸市の種差海岸に自生する
サクラソウの救出とマイクロバブルによる除塩研究に乗り出しました。
円は日の丸、十字のマークはライフガードをイメージしたもの。
チームレスキューと記されています。
色とりどりのこのシャツを着た3年生たちはまだ震災の爪痕残る5月、
万が一のために種差海岸で人工授粉を行い採種。
絶滅を防ぐために最初にすべきことは「避難」という
セオリーにそって温室に持ち帰り、種の保存に成功しました。
またマイクロバブル発生装置と発電機を被災地の岩手県山田町に持ち込み
なりふり構わず花壇の除塩に取り組んだものです。
それにしてもサクラソウ救出とマイクロバブルによる除塩活動が
同じメンバーにより同時期に同時並行で行われていたとは今考えても驚きです。
「何かしなければならないと思った」
当時のメンバーは自分の利益などまったく考えず
何かに取り憑かれたように休み返上で活動した当時を振り返ってこう話します。
毎日のように日本各地の植物愛好者から届くたくさんの激励の手紙や支援物資。
メディアも飛びつき、彼女たちの活動は世界にも紹介されました。
したがって数あるユニフォームの中でもこれは特別な存在。
今もこのロゴを見ると停電、ガソリン不足、
そして余震に怯えていた当時を今も思い出します。
夏で一段落した彼女たちはそれぞれの研究を再開。
短期間のうちに紫外線で柿の渋を抜く技術や食用菊の
ポリフェノールを大幅に増加させる栽培法など開発しました。
南部町のふるさと納税返礼品にもなっている渋柿のお菓子は
彼女たちの技術をきっかけとして誕生したもの。
努力が形となって今も残ってます。