順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「順風ESSAYS」にようこそ

法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
長文記事は「順風Essays Sequel」に移行し、こちらは短文の投稿をします。
最近の記事一覧はこちら 管理人へのメッセージ・お問合せはこちら
 
過去記事からのおすすめ
エッセイ→ぼくはタイガー鶏口症候群成功のための競争背水の陣//小説→切符がくれたもの鉛筆削り未来ニュース//鑑賞録・感想→報道写真について美術鑑賞2009No_Logic天使たちのシーン//その他創作モノ→回文まとめ雪が降る
 

2つの趣味

2009年11月28日 | essay

趣味は2つの種類に分けられると思う。幼少時から続けてきたものと、大人になってから始めたものだ。幼少時から続けてきた趣味はキャリアが長いぶん技術的にも向上していて、誇れるような成果を出すことができる。大人になってからもずっと続けていくことができるのにこしたことはない。しかし一方で、幼少時の趣味は、取り組んでいても本質的な興味に根ざしていると感じられない、心の底から楽しめない場合がありうる。幼少時に何をするか決めるのは両親や先生など大人が主導することが多く、子どもは自分の感覚より大人の希望を先取りして「やりたい」「続けたい」と言ってしまうことも多い。自我が発達し、情報収集力も上がり他にも様々な趣味がありうることがわかると、今まで取り組んできた趣味に情熱があるのか疑問が生じてしまうことがある。

「趣味は何ですか」という質問は広く行われ、履歴書にも書くことが多い。人となりを知る材料になり、初対面での会話のネタにもなるということでよく行われるのだろう。これに答えなくてはならないという圧力があり、上記のような趣味の模索状態が生じている場合には、「自分には趣味がない」という悩みが生じることになる。また、自分が何者かというアイデンティティを形成する上でも、趣味をもっているという感覚は重要なものである。こうした悩みに対する解決法は、(1)まず自分が本当に好きなものをはっきりと意識し、(2)それから趣味は何かと問う他人とうまく適応できるように修正するという作業を行うことであると思う。

(1)本当に好きなものを意識するそのきっかけは、日常から解放される行動をしてみることが一番である。旅行というのがよく用いられ、多くの人から推奨されている。日常から離れることで、日ごろ無意識のうちに囚われていた外からの心理的圧力を減じることができる。「趣味というからには他人より優れたものでなくてはならない」「他人にいいイメージを与えるものでなくてはならない」といった圧力を取っ払って、「趣味というのは責任の伴う仕事とは違って出来不出来関係なく本当に楽しいと思えることを好きにすることでしょう」と自問するのである。出来が悪くて他人から馬鹿にされるようなことがあっても興味自体を失わないものかと考えることもいいだろう。旅行のほかには、メメント・モリ―人生の終わりを意識してその前に何をやりたいかを問うてみること―が役立つ。

(2)このようにして本当に好きなものを見出すことができても、ひとつ問題が出てくる。幼少時に紹介される趣味は、クラッシクだったりスポーツだったり、大抵の場合一般的に印象のいいものである。しかし大人になって自分の内心だけ見つめて出てきた趣味は、他人から偏見をもたれたり、いい印象を与えないものであることがある。自分をそのまま受け入れてくれる人とだけ付き合っていれば何の問題もないが、現代社会ではそういうわけにもいかず、適応という作業が必要である。「他人より優れている」「いい印象を与える」「会話の材料になる」といったことが適応上求められることだ。

この適応の上で大切なのは、幼少時から続けてきた趣味も愛するということである。本当に好きなものはこれだ!と意識した時点では、過去の趣味は偽りで、悩みをもたらした原因で捨てるべきもの、という感覚を抱きがちだ。しかし過去の自分を全て否定してしまっては、かえって空虚になってしまう。ひとつのことに取り組んできたという経験は今の自分を作るために大きな働きをしたものであるし、曲がりなりにも続けてこれたということはプラスの部分もあったはずである。プラスの部分を意識し、過去の趣味があったからこそ今本当に好きな趣味を見つけることができたと思うのである。こうすると、浅い人間関係の中で過去の趣味を語っても自分を裏切っているという感覚は生じなくなるだろう。

私の場合はピアノと吹奏楽が幼少時からの趣味にあたる。ピアノは技術的には本気の趣味の人には全然敵わないが、大学院で華やかな曲を披露して周囲と馴染むきっかけを作るのに役立っているし、思考と身体が一体化して没入するような感覚が得られるのでやっていてよかったと思っている。ひけらかすための音楽の知識を得ようとすることは大嫌いであるが、自分が心地よいと思う曲を探したり作品の背景を探ったりするのは楽しく、コンサートに行くのも嫌いではない。そして現在、大人になってからの趣味は、こうして文章を書くことが本当に好きで、まあ出来はよくなくても続けていきたいと考えている。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村