5日の研修は「発達障害の理解と支援のあり方を見直す」というテーマでした。
発達障害というと・・・知的障害福祉法で支援を受けている人々をイメージしやすいのですが
2005年4月施行の発達障害者支援法でサポートされるようになった知的障害を伴わない発達障害もあります。
*読み書きや計算など、特定の学習にのみ困難がある場合→LD(学習障害)
*注意・記憶・行動の遂行に困難がある場合→ADHD(注意欠陥多動性障害)
*対人関係と社会性に困難がある場合→広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群他)
*その他の類する障害
本人は気がつかないことが多く、周囲もわかりにくいので
「情けない自分」を長い期間責め続けることになるようで切ないことです。
さて「障害」と呼ばれるものは、絶対的な強いイメージがありますが、「特性」にすぎないと考えるのが支援の第一歩。
私は、立つ・歩く・走る・飛ぶなどの身体機能を使う場面では障害者ですが
寝ている間と、座っている間は 障害者ではありません。
先日、車のキーを地面に落としてしまい しゃがんで拾えないので
キーを蹴って車の近くに移動させ、車につかまって拾おうとしました。ところが情けないことに
蹴ろうとして転びそうになり、通りがかった方が拾ってくださり、助かりました。
そんな私の車は、手だけで運転できる改造車です。
パソコンの登場で座ってできる仕事の種類が増え、街や公共の場は、バリアフリーで快適になりました。
障害者であるか、ないかは、社会のありようによって規定されるという考え方が納得できます。
アフガニスタンの女性の識字率は10% ニジェールでは国民の10%しか読み書きができないという社会では
LDの人がいたとしても、みんなと同じでちっとも困らないでしょう。
その子がどこの子か知らなくても 大勢で一緒に遊んだ昔の子供と異なり
遊ぶのは塾のない日 場所は室内 特定で数名の友人と小学生~大学生までグループを維持し
携帯電話のメールに拘束され、今日の味方は明日の敵と疑心暗鬼に怖れつつ ゲームで殺し合い
未来に夢を描けない 対人関係の薄い社会で育ってきたので コミュニケーションが下手です。
人と関わってろくなことがないので、関わろうとしません。 関わらないから、益々下手になります。
対人関係と社会性に困難がある発達障害の人々を支援することは、現代の若者支援になると力説なさいました。
障害者にとって必要な道具やサポートは、健常者にとって便利な道具やサポートになるのだときき
その通りだと感じます。
IQ70以下を知的障害と呼びますが、これば統計上の数値マジックで
実際に、IQ70以下でも 一人暮らしができている方もいます。
特性は変えられなくても、適応行動の問題(障害)は、サポートで変えることが可能です。
発達障害の人たちが どんなことに苦しんでいるのかというと・・・・
周囲の理解が得られないことや失敗の積み重ねで
自尊感情の低下からくる 自信喪失 意欲低下 不適応であり
支援の仕方はどうすればいいかというと・・・・
「ありがとう」と他の人に言われるチャンスを提供すること。
自分は人の役に立つんだと感じさせるチャンスを提供すること。
特別な支援じゃありませんよね。誰もが幸せを感じられそうです。
本日は、あゆみ学園で作業してきました。
職員の皆さんから「ありがとう、助かりました」と言われるたびに、表情がかたい若者達が笑顔になります。
私の一番喜しい瞬間です。