さて、私は、大きな扉の前に立っている。
まずは、扉の前に立ち、扉の中の人に「こんにちは~」と呼びかける。
返事がないので、自分であけてみようとする。
押しても駄目なら 引いてみる
引いても駄目なら 横にスライドさせる
横も駄目なら 上に引き上げる
上も駄目なら その場でウロウロ 変な動きで感知させる
自動ドアでなかったら スイッチをONするのかも
スイッチが駄目なら カードを挿入
カードが駄目なら 暗証番号入力
暗証番号が駄目なら 眼底・指の認証
いつのまにか、扉一つ開くにも、たくさんの技術が実用化されました。
ドアを開けるという一つのゴールのために、手段は年々増える一方で
このドアがどの手段で開くかを いちいち確認しなくてはなりません。
先日は、お寿司屋さんの木製のドアを閉めようと、ドアをひっぱる母が
「閉まらん~」というので、「自動ドアよ、お母ちゃん」と二人で笑いました。
手段が多すぎるというのは、便利なようで混乱も生じさせます。
今の時代の価値観・ルールの多さもまた、便利なようで不便なようで
私の常識は、あなたの非常識であると思っておいたほうがいいかもしれませんが
どこかで おりあえないか 丁寧に探っていくしかありません。