あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

改めて暗渠散策してきたってお話

2015-05-11 | from:sachiaki
昨日はうっかりお散歩の後にグッテりしてしまってアカン状態になり
せっかくテンション上げ上げでお散歩してきたことをアップもできずに
ただただ申し訳ねぇ……となったsachiakiです。

満員電車こわい。

と、昨日の病弱日記を上げてもループなので置いておいてっと。
暗渠ですよ暗渠。
暗渠ってなぁに?っていうところからなのですけれど、
辞書的なところからは>地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路。暗溝。byコトバンク

だそうで、私が巡ってきたところについては
「もともと自然の川や用水路、排水路だった場所を覆ってしまい
時の移ろいとともに忘れられてしまった川」と置き換えられて説明されてきました☆浪漫☆

ちなみ探訪してきたのは西荻にあった今はもうない幻の松庵川です。
そりゃ長い事杉並区に在住していれば婆ちゃんやママンから
なんとなく昔の地形なんかも聞いているし、自分もチャリンコでかけまわっている地域なので
思わずテンションも上がってしまうってもんですよ。
なんていうのかな。ある意味自分探し的な?3級は保持してるっしょ的な??
私の一番親しみのある場所は玉川上水で、こちらも暗渠になると知った時は驚いてみたり。
たしかに地下に潜ってしまったあとの水ってどこに出るんだろ?とは思っていたし、
地図を見てなんとなく「ここらへんに出るのかな」なんて自転車で行ってみたりもしましたw
もう覚えてないからもっかいちゃんと見てきたいな。

そんなわけで埋められてしまった川の流れが知りたいなら
昔は地図に載ってたんじゃないの?というわけで古地図登場です。

うひょーい。涎でちゃう☆

住居と住居の間に流れていたらしい水路の片鱗は
やたらと細い路地なんかに現れているそうで……。

言われてみれば細すぎて、なんでこの上にも建物ないんだろう?って疑問に思ったりしてた。
でも細い道大好きだからそれ以上になにも考えたことなかったw

この上の写真には車止めもないから分かりにくいけれど、目印としてこういうのがあるって↓。

これは杉並区の場合です。地区によって違うらしいよ。
ちょっと写真がボロいから、後で別のところで撮ってきたのも上げてみようw

そして暗渠マニア垂涎なのがこういった場所だそうで↓

溝がちゃんと残っているのが珍しいのだそうです。
マニアは溝を見る為に冬の草が枯れた頃が一番良いと言うらしいよ☆

また、こんなふうになっているとより川だったことが分かるんじゃないかな?

歩道のコンクリートがデコボコとしてるうえに橋の面影も残っているという。
その昔この足下には水が流れていたのかと思うと胸熱です。

ちなみにコレなんだか分かります?

これは川を暗渠化する際に余ったコンクリートの缶をもらって作られた池なのです。
高井戸第四小学校で見られます。日曜日は学校解放しているから見られるんだよ☆

こんな感じで今はもうない松庵川の流路を追いかけながら
この土地に住んでいたという文化人たちの影も追っかけてきましたよ。
住所が今では「西荻窪南」となっているところも「大宮前」だったりして
それが表札に残っていたりするから「ほぉ~」って感心してしまったり。
戦後のヤミ市で栄えたのが荻窪なら、そのヤミ市の喧噪を嫌がって出来た飲み屋街が西荻窪で
そんな飲み屋に管を巻くように集まったという文筆家や絵描きに音楽家たち。
中井英夫、寺山修司、瀬越憲作、呉清源、阿部合成(なを)、太宰治、田村泰次郎、前田夕暮…と
色んな人たちが住んでいたんだなぁ。

そして執着地点は荻窪の川南にある与謝野晶子(鉄幹)夫妻が住んでいた場所が公園になったという
与謝野公園で与謝野晶子・鉄幹の歌碑を見ながら散歩の総括をしてお別れをしてきました。
あ、公園のそばにはこんなところもあったですよ。
サロンがふとん屋さんってのも奥深い。


うちの近所もさっき上げた輪留めをよく見るのと
たしかに川があったんだろうなって思う土地の高低差があるので
ちょっと気をつけながら歩いてみようと思ったり。

みなさんのご近所にもきっと跡があると思いますよ。
こういった浪漫を追うのも楽しいですよね。

てことで昨日の踏破距離は10km弱。
まぁまぁだったかな。

今日はゆっくり休む事にします。
そんじゃーね。モイモイ☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする