昨日聞いてきた「数学ブックトーク」でも出てきた
「今この瞬間を大切にする」というもの。
それはフランシスコ・バレーラの"Life is so fragile,and present is so rich"から引用したらしく
人生という儚さを手放せば、今この瞬間はとても豊穣である。
というような意訳で話をされていたように思うけれど、
これって社会心理学にも出てきたマインドフルネスの考え方にも通じてて
何かを苦にしている時、その苦を手放せば「今この瞬間」を大事にできるんだって話で面白いなぁと思いました。
例えば「モテたい」という苦悩があった時に
「モテたい」から切り離して世界を見渡した時、自分以外に目を向けて
世界を観察し出すと状況が好転する感じにも似ている気がする。
うーん、ちょっと飛躍してるかな?
どーも、人生楽ありゃ苦もあるさーと歌って適当に生きてるsachiakiです。
仏教では自分の苦にしているものがあったら、それを手放せという話が出たりします。
例えばお金持ちになりたい、という欲が苦しみをもたらすならお金を手放せ。
あらゆるものを食べたい、という欲が苦しみをもたらすなら食べることを控えろ。
そんな感じです。
苦しみは手放せばなくなるってことで、それはその通りだろうと思うけれど
それができるなら誰も苦しみはしない気がする。
なにも持っていない人の方が満たされているというのも
逆説的でありながら真実なんだけどさ。
(お金を失う苦しみからも、土地を奪われる苦しみからも、美味しいものだけ食べたいという苦しみからも
救われるってこと、だと私は思っているけれど、違っていたらごめんなさい)
心理学でも最近はそういう話が広がっているみたいで
苦しみは手放して、今ここにあることに集中しろと言われたりします。
「いまここにあること」に集中するっていうのがどういうことなの?といえば
自分が今息をし、指を動かし、どういう動作で行為をしているのか
そういったことに集中することらしい。
食べるという行為の中でも、フォークでフライドポテトを刺し口を開け、顎の上下の運動で咀嚼をする、嚥下する。
これだけの行為が発生するし、もっと細かく書けば腕の上下運動や唾液の分泌なんかも含まれるんじゃないかな。
そうやって集中すると、他のことを考える隙間が出てくる。
いままでの悩みから解き放たれて、ふっと脳に余裕ができるんだそうだ。
よく悩みにがんじがらめになった時は走ったりすると良いと聞くけれど
走るという行為には他のことをする余裕があまりないからなのかもしれないね。
ランナーズハイにもなるしw
まぁ、なにが言いたいかといえば
悩みがあるなら黙って走ってこい、もしくは行為に集中してこいってこと。
頭脳派な人はジグソーパズルとかでもいいのかも。
あもさんなんかはジグソーパズルをよく作っているけれど、とてもいいことなんだと思います。
日々自分より良い待遇の人を見ては足りないものなどを感じ、
勝手に自分は満たされていないと感じてしまったりするけれど
いまあるものに集中した時、外の世界は消え、自分自身をみつめることができるのかもしれませんね。
と、また昨日に引き続き小難しいことを書いてしまってますなぁ。
イカンイカン。
小難しいことを考えていたって仕方がないのよ。
考えることを放棄するのは良くないことだけど
考え過ぎも立ち止まってしまっていけませんからな。
残りのカレーを食べつつ、いまやるべきことをやっつけて参りますよ。
それではみなさんごきげんよう!モイモイ☆
「今この瞬間を大切にする」というもの。
それはフランシスコ・バレーラの"Life is so fragile,and present is so rich"から引用したらしく
人生という儚さを手放せば、今この瞬間はとても豊穣である。
というような意訳で話をされていたように思うけれど、
これって社会心理学にも出てきたマインドフルネスの考え方にも通じてて
何かを苦にしている時、その苦を手放せば「今この瞬間」を大事にできるんだって話で面白いなぁと思いました。
例えば「モテたい」という苦悩があった時に
「モテたい」から切り離して世界を見渡した時、自分以外に目を向けて
世界を観察し出すと状況が好転する感じにも似ている気がする。
うーん、ちょっと飛躍してるかな?
どーも、人生楽ありゃ苦もあるさーと歌って適当に生きてるsachiakiです。
仏教では自分の苦にしているものがあったら、それを手放せという話が出たりします。
例えばお金持ちになりたい、という欲が苦しみをもたらすならお金を手放せ。
あらゆるものを食べたい、という欲が苦しみをもたらすなら食べることを控えろ。
そんな感じです。
苦しみは手放せばなくなるってことで、それはその通りだろうと思うけれど
それができるなら誰も苦しみはしない気がする。
なにも持っていない人の方が満たされているというのも
逆説的でありながら真実なんだけどさ。
(お金を失う苦しみからも、土地を奪われる苦しみからも、美味しいものだけ食べたいという苦しみからも
救われるってこと、だと私は思っているけれど、違っていたらごめんなさい)
心理学でも最近はそういう話が広がっているみたいで
苦しみは手放して、今ここにあることに集中しろと言われたりします。
「いまここにあること」に集中するっていうのがどういうことなの?といえば
自分が今息をし、指を動かし、どういう動作で行為をしているのか
そういったことに集中することらしい。
食べるという行為の中でも、フォークでフライドポテトを刺し口を開け、顎の上下の運動で咀嚼をする、嚥下する。
これだけの行為が発生するし、もっと細かく書けば腕の上下運動や唾液の分泌なんかも含まれるんじゃないかな。
そうやって集中すると、他のことを考える隙間が出てくる。
いままでの悩みから解き放たれて、ふっと脳に余裕ができるんだそうだ。
よく悩みにがんじがらめになった時は走ったりすると良いと聞くけれど
走るという行為には他のことをする余裕があまりないからなのかもしれないね。
ランナーズハイにもなるしw
まぁ、なにが言いたいかといえば
悩みがあるなら黙って走ってこい、もしくは行為に集中してこいってこと。
頭脳派な人はジグソーパズルとかでもいいのかも。
あもさんなんかはジグソーパズルをよく作っているけれど、とてもいいことなんだと思います。
日々自分より良い待遇の人を見ては足りないものなどを感じ、
勝手に自分は満たされていないと感じてしまったりするけれど
いまあるものに集中した時、外の世界は消え、自分自身をみつめることができるのかもしれませんね。
と、また昨日に引き続き小難しいことを書いてしまってますなぁ。
イカンイカン。
小難しいことを考えていたって仕方がないのよ。
考えることを放棄するのは良くないことだけど
考え過ぎも立ち止まってしまっていけませんからな。
残りのカレーを食べつつ、いまやるべきことをやっつけて参りますよ。
それではみなさんごきげんよう!モイモイ☆