昨晩はとある友人が心の悲鳴をありったけに叫んでいたので
三連休にちょっと一緒にでかけようか、
なんてことを提案していたsachiakiです。
みんなお疲れ様やよ。
それはそれとして。
先日も絶対の白(善)はない、なんてころを書いたばかりですが、
今朝も子供向け番組にあったシーンに対して物書きの方が怒っていてて
なんだかモニャモニャしておりました。
曰く、子供向け番組で「男の子が女の子に意地悪をしてしまうのは好きの裏返しなんだよ」
っていうやつで、物書きさんがいうには
好意の裏返しなんかじゃなくて、本当に意地悪をしているだけだったら
それはDVと同じようなもので、意地悪された女の子の傷はどうなるのか。
大人にその責任が取れるのか?
という話でした。
「好きな子に意地悪をしてしまう」ことを心理学の用語で
「反動形成」っていうんですけれど、
これって自分の中で抑圧されている感情が意識できるときに
防衛規制として反対の行動として出てしまうというものなのですよね。
一般的には「天邪鬼」と呼ばれるものがそれにあたるかな。
私もものすごい天邪鬼だったので、
(今もその傾向は抱えているからなおさらだけど)
これを否定をされるのはとても辛いものがあるんですよね。
意地悪をしてしまうのはよろしくないことだし、
そうなってしまう要因を取り除いてあげることが急務なんだけど、
天邪鬼の人に振り回される側はそういうのに気づけないんですよね。
男の子に多いとされる上記の傾向は
男の子が感情を表すことをOKとされていない土壌があり、
そのうまく制御できない幼い心では反動となりやすいものがあるのだと思われます。
好きな子には好きだと言って良いのだ、
怖い時は泣いていいし、楽しかったら笑っても良い。
そういったことをストレートに表せられるような環境にいれば
天邪鬼になる必要もないわけですし、
自分の心の動きと行動が一致するので
変にすれたりしなくて済むわけですね。
ちなみに私が小学生の時に同級生の男の子にランドセルをさんざん小突かれ回されて
泣きながら帰宅したことがあって、
うちのママン大激怒しまして、男の子に謝りに来てもらったことがあります。
と、書きながらなんとなく気づいたことは
天邪鬼な子に対しては「それをしてはいけない」という禁則事項を増やすのではなく
「もっと素直に出して良いのだ」と伝えてあげることなんでしょうね。
された側は変な憶測を立てるのではなく
されたことに対して怒り、不当であることを告げて自分を守り、
してしまった側は不当であることを学び(ていうか、知っているんだけど
それを制御するのが難しい。自分が受けれいられないことは自分が悪いからだ
というロジックにしがみついているから)
素直に出して受け入れてもらえるようになることで自己肯定をしてあげる。
こういうことなんじゃろな。
とくに精神がまだ若いうちは自分の心と体の一致がまだできてないことも多いし、
自分の中に生まれた感情に名前がついていなくて不安になったりもしますし。
本を読んでいたり、大人と接する機会が多い子は
なんとなく自分の中に芽生えてきたことなどにも説明ができるんだけど、
そうじゃない子には自分の中のモヤモヤがイラつきになって辛かったりもすると思います。
大人だって常に未完成なんだけど、
常に意識をアプデいきましょう。
難しいけどね。
さて、賞状を買いに行きたいのでおでかけしてきます。
そんじゃーね。モイモイ
三連休にちょっと一緒にでかけようか、
なんてことを提案していたsachiakiです。
みんなお疲れ様やよ。
それはそれとして。
先日も絶対の白(善)はない、なんてころを書いたばかりですが、
今朝も子供向け番組にあったシーンに対して物書きの方が怒っていてて
なんだかモニャモニャしておりました。
曰く、子供向け番組で「男の子が女の子に意地悪をしてしまうのは好きの裏返しなんだよ」
っていうやつで、物書きさんがいうには
好意の裏返しなんかじゃなくて、本当に意地悪をしているだけだったら
それはDVと同じようなもので、意地悪された女の子の傷はどうなるのか。
大人にその責任が取れるのか?
という話でした。
「好きな子に意地悪をしてしまう」ことを心理学の用語で
「反動形成」っていうんですけれど、
これって自分の中で抑圧されている感情が意識できるときに
防衛規制として反対の行動として出てしまうというものなのですよね。
一般的には「天邪鬼」と呼ばれるものがそれにあたるかな。
私もものすごい天邪鬼だったので、
(今もその傾向は抱えているからなおさらだけど)
これを否定をされるのはとても辛いものがあるんですよね。
意地悪をしてしまうのはよろしくないことだし、
そうなってしまう要因を取り除いてあげることが急務なんだけど、
天邪鬼の人に振り回される側はそういうのに気づけないんですよね。
男の子に多いとされる上記の傾向は
男の子が感情を表すことをOKとされていない土壌があり、
そのうまく制御できない幼い心では反動となりやすいものがあるのだと思われます。
好きな子には好きだと言って良いのだ、
怖い時は泣いていいし、楽しかったら笑っても良い。
そういったことをストレートに表せられるような環境にいれば
天邪鬼になる必要もないわけですし、
自分の心の動きと行動が一致するので
変にすれたりしなくて済むわけですね。
ちなみに私が小学生の時に同級生の男の子にランドセルをさんざん小突かれ回されて
泣きながら帰宅したことがあって、
うちのママン大激怒しまして、男の子に謝りに来てもらったことがあります。
と、書きながらなんとなく気づいたことは
天邪鬼な子に対しては「それをしてはいけない」という禁則事項を増やすのではなく
「もっと素直に出して良いのだ」と伝えてあげることなんでしょうね。
された側は変な憶測を立てるのではなく
されたことに対して怒り、不当であることを告げて自分を守り、
してしまった側は不当であることを学び(ていうか、知っているんだけど
それを制御するのが難しい。自分が受けれいられないことは自分が悪いからだ
というロジックにしがみついているから)
素直に出して受け入れてもらえるようになることで自己肯定をしてあげる。
こういうことなんじゃろな。
とくに精神がまだ若いうちは自分の心と体の一致がまだできてないことも多いし、
自分の中に生まれた感情に名前がついていなくて不安になったりもしますし。
本を読んでいたり、大人と接する機会が多い子は
なんとなく自分の中に芽生えてきたことなどにも説明ができるんだけど、
そうじゃない子には自分の中のモヤモヤがイラつきになって辛かったりもすると思います。
大人だって常に未完成なんだけど、
常に意識をアプデいきましょう。
難しいけどね。
さて、賞状を買いに行きたいのでおでかけしてきます。
そんじゃーね。モイモイ