人間って自分がいる立ち位置でしか
世の中を見る(知る)ことができない
ってことはあると思うんですけれど……。
「できない人」の可視化って難しいし、
可視化された時って、だいたいネガティブなので
可視化しないようにっていう
圧力があるように感じるsachiakiです。
先日ちょっとしたことがあって
「できない人」っていうのでも
コミュニケーションスキルが高かったりすると
「できない」がなかなか可視化されないことあるよね
ってことがあって、
そんなタイミングで、はてなブログの
とある記事が上がってきていたので
世の中って一定数はそういった
誤魔化し能力で生き延びてきた人がいて
それが全体に混じった時に
大変なことになることがあるよなぁ
なんてことを感じたんですわね。
一見すると爽やかで会話が楽しくて
人当たりがいいから
依頼したことができないってことがあっても
「たまたまかな」「私の伝え方が悪かったかな?」
なんてなるんだけど、
それが何度も重なってくると
さすがにあの人ちょっと問題ありなのでは?
って思い始めるんだけど、
それを周りに問うたところで
人当たりの良さから疑問視する側の人格が問題だ
みたいな論理のすり替えが起こって
疑問視、つまり問題を捉えることができた人が
周りの理解を得ることができなくって
病んでしまうってことがあるんですよね。
これをカサンドラ症候群っていうんですけれど、
なぜか「私はカサンドラで悩んでいる」って
堂々という人に限って問題を抱えている側で
問題が露呈してきて周りが
その人に対してケアをしようとすると
「私が正しいのに周りが私を歪めようとする」
みたいな方向に走るので
これもけっこう厄介なものだよね〜と
過去のあれこれを思い出しながら
頭を抱えたりしています。
まぁ虐待などを見つけた時に
その証拠をかき集めるのが大事なように、
問題が起こった時も「人当たりの良さ」
なんていう曖昧なものを盾にされても
問題の人がやらかしてきたあれこれを
記録に取って本人に自覚させるのが良いんだけど、
誤魔化すのが上手い人って
客観的資料を見せられても
捻じ曲げて解釈してしまうので
自覚させるのが難しいんですよね……。
そもそも自覚できる人なら
「できるように工夫する」という努力があるわけで。。
私だってできないことはいっぱいあるし、
そもそもなにが問題なのかわからないこともある。
だから問題を示された時に
内省できる能力が必要となるんだけど、
内省ができない人もいるんですよね。
ていうか、内省ができないから客観的視力を
受け取ることができないんだと思いますが(´・ω・`)
とりあえず人間はいろんな人がいるね
っていうようなフワッとしたことで
プロジェクトを進める人間関係を理解するんじゃなくて
いろんな人間がいてもコンクリフトしない仕組みが
必要となるってことなんだろうな〜
なんてことをボンヤリと考えていました。
政治だなぁ。
と、文章量がだいぶ多くなってしまったのでこの辺にて。
アイス食べたいのでコンビニ行ってきます。
そんじゃまた。モイモイ。