別に私は自然主義とかそういったもんじゃないんですけれど、
鳥避けのエグイ構造物を都外の方が見た時に
ドン引きしていたのを知って
気持ちは分かるが
人が多いとこうなるのも自然の成り行きなのでは?
なんて思ってたんだけどさ
あれ?それって本当に成り行きでそうなってるの?
って自分の考えに疑問符が浮かんだんですよね。
どうも。寝不足が続いている頭では
アホなことしか思いつかないsachiakiです。
なんていうかさ、人間が二人以上揃うと
やっぱ自分じゃない人とは意見が合うのって
なかなかないじゃない?
ごく近しい間柄でも揉めがちなのに
(まぁ家族ってやつは一番揉めるんだけど)
親しい中にも礼儀あり、が通用しない人同士が集まれば
どうやったって個性と個性がぶつかり合いますよね。
ぶつかり合っても協議して合意が得られればそれが一番良いけれど、
人間複雑な思考をするもので
アビリーンのパラドックスなんてのは
よくあるものの一つだったりするんだけど、
都会のものってけっこうこいつの結果であることが
めっちゃいっぱいあるのでは?
なんてことを思ったんです。
以前も勉強していて、なんじゃそりゃって思いつつも
全くないわけじゃないな、
なんてことを思ったりしたんです。
いわく、「良かれと思って」。
私は「良かれと思って」っていうのは
かなり善意であれ悪行だと思っているので
本当にその人が望んでいるのかどうかを
必ず聞くように心がけるようになりました。
「あの人最近頑張ってるから休ませてあげたい」
って思うのは善意だけど、
本人が頑張りどきだと思っていて頑張っている時もあって
休ませるよりも一緒に頑張れる環境を整えてあげたり
時には黙って見守るっていうのも一つの手なんですよね。
そして結果潰れてしまったとしても
その人の頑張りを否定するのではなく
労って再起を待って、帰ってきたら手厚く迎える
っていうのでいいんですよね。
集団だと潰れらるのも効率が悪いので
どうしても「休んでほしい」といった
その人の望んでいるものとは違ったことを
強制してしまったりします。
とはいえ、こういったケースの場合はまだゆるい方で
強制で休んでもらった結果復帰も早くて助かるし
本人も自分の管理について改めることができるかもしれない。
もっとシンドイのは「あの人頑張ってるし」って
本当はどちらも帰りたい時に帰れない
なんていう状況になったり、
全員が「それはどうなの?」って思っている結果に向かっているのに
誰も反論を出さないので「自分が間違っているのかも」って
意見を引っ込めた結果最悪の事態を引き起こす
なんていうのがありますね。
集団リンチがなぜ止まらないのか、
なんていうのも「やりすぎ」って
誰かが言えば止まったかもしれないのに
それができないからこそ最悪の結果に導かれたりしますから。
で、都会の鳥避け対策だったり
ホームレスの方を長時間居座らせないようにする
誰も座れないベンチを作ったり
誰も遊べない公園を作ってしまったりするのって
この「アビリーンのパラドックス」のせいなんじゃないの?
ってはたと思い付いたんですよね。
鳥が人の住居で糞害をもたらすので
防汚対策をしましょうの結果が
果たして鳥が立ち止まれない鋲を打つことなんでしょうか。
ホームレスの方の長期滞在を避けてもらう対策が
果たして誰も座れないベンチだったのでしょうか。
強いリーダーシップを持っている集団での議論では
「グループシンク」といって調和を乱さない方を選ぶ
っていうことが起こりますが、
議会の全てがそういったものでもないと思いますし、
誰もが本当は「それはなんか違うんじゃないの」って思っていたり
「自分は別の意見があるけれど、他の人がそれでいいならいいか」
みたいなことの結果が今のあれやこれを生み出してるんじゃないでしょうか。
人間を大事にする=クレームのこないものにする。
これを最大値の価値にした結果が
全部跳ね返って誰も得しないものができているんじゃないでしょうか。
そんなことを、外から来た人の率直な意見を見て考えていました。
人間至上主義にしてきたのに、誰もが喜ばない未来。
それは恐ろしいことだと思います。
AIが管理することなんかよりも。
と、仕事溜まっているのでこの辺にて。モイモイ(唐突