さっき自転車を漕ぎながら
街中にいる人の服装が軽くなってきたのを確認し、
そういや先日シースルーの服で
下になにも身につけていない外国の観光客が
道を歩いていたなぁなんてことを思い出し
公序良俗ってなんだろう?って考えてたsachiakiです。
一般的に、人に不快感を与えないように
そしてその国の習慣をもとに時と場所を考えて
身に着けるものを考えるってことが
マナーというものだと思うんですね。
で、その不快なものというものに
下品で粗野であり、その場にそぐわないと
されるものが「良俗」から外れたものとされて
その格好をしているものにアウトですよ!って
いうものがルールだと認識しています。
例えば下半身を露出していて
性的に不快感を与えるということが
悪俗とか不健全ってことになるのだろうと。
だからたくさんの人が往来する場所で
性器を丸出しするようなかっこう、
またそれに準じるようなかっこうは
良くないものとして取り締まられるよーと。
例え人類の乳首が性器(交配のための生殖器)ではなくても
性を想起させ人々を混乱させるものである限り
一般的な公の場では隠さないとならないと私は思っています。
「性器ではない、いやらしいと感じる方が悪い」と
一部の人はそういうけれど、
それはエゴでしかないわけですよね。
そしてそれを見たくないっていうのも
同様にエゴであるとも思います。
でも全てのものっていうのはエゴを内包していて
そのエゴをどの範囲まで認めるか
というのをマジョリティ(多数の層)のもので決めるか
権威のあるもおのが決めるのか
多様性といってすべてをうやむやにするのか
そういったことなんだと思います。
便利ワードなので使ってしまうけれど
多様性だってエゴが細分化されていて
たくさんあって決めつけないってだけなので
やっぱりどこかで譲り合ったりしているんじゃないかな。
自分の持っている意見が依拠する正当性なんて
状況によっていかようにも変わるだけに
エゴであるという認識をどのぐらい持ち得ているかによって
人に対しての許容量とかが変わってくるようにも思います。
大多数の人が認めるはずの
「殺してはいけない」だって
状況次第では変わるのですから。
そんなものなのですよ。
水が川上に流れていく時もあるし、
低い温度で沸騰する液体もあるし、
常識なんてものは驚くほど脆い。
その脆さを抱き止めて
自分はこの道を進む、そしてそれは自分が選んだものだと
自責を持っていれば良いだけのことなのでしょう。
そんなことを考えてました。
さて、今日はスプラのクマフェスです!
頭を切り替えて楽しんできまっす!モイモイ