あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

奴隷とはなんだろう

2024-05-28 | from:sachiaki
一般的に奴隷と言われれば
人身売買で人としての権利を剥奪されて
物と同じ価値しかなく
所有者の意思でコキ使われる人のことを
指すのだと思っているんだけど、
ここに「人としての権利」という
比較的微妙なラインの言葉があるなぁ
なんてことを思っていたsachiakiです。

人としての権利っていうのは
人として扱われるべき名誉。
なにかを所有する権利と自由。
このことを指すと思うんだけど、
例えばここに「社畜」は奴隷に入るのか?
と言われると、う〜ん、ちょっと違うんじゃないかな。
なんてことを思ってしまう私です。
洗脳に近いことをされて
自由も名誉も奪われ、
会社のために使役されるって意味では
たしかに奴隷と同じなんだろうけれど、
社員って退職する自由があるというか、
逃げ道があるんですよね。
逃げ道に気づかせないようにしている
って点では限りなく黒に近いグレーなので
それってほぼ奴隷じゃん?
って思わなくもないけれど、
やっぱり厳密な意味では違うと思うし、
社員の権利を主張していくなら
自分達が奴隷であるというよりは
労基をちゃんと守れ!って戦う方が
正しいと思うんですわね。

で、別の方面で「嫁」というものも
奴隷と同じって受け取る方がいるし
たしかに「家」の「女」なので
家の所有物のような価値でしかないだろう
良くない!っていうのも
半分合ってるけれど半分は違うんじゃない?
って思わなくもないです。
国が違えば「嫁」に入ってしまったばかりに
自由が奪われ、家族の名誉を傷つけたと
顔に硫酸をかけられる、
そういうところもあるので
そういった立場の嫁さんは
ほぼ奴隷と言って過言ではないように感じます。
が、翻って日本ではどうだったのでしょうか。
たしかに古い習慣の日本では家父長制なので
家の主人以外は奴隷のようなもので
その中でも嫁の立場が低かった。
というようなことは言えると思います。
けれども嫁は子供を産んで母になり、
母は伴侶となる夫よりも権利が強かったりもした
そういう側面があったと思うんですね。
「母ちゃんに聞いてみねぇとわかんねぇ」
っていうような表現の落語もいっぱいありますし。
なのでやっぱり「奴隷」というには
あまりにも片手落ちな、
一方向の目線しかないように感じてしまいます。

同じような感じで、
子供も家のために自由を犠牲にし
一つの労働力として賄われてきた。
それは虐待であるっていうのも
う〜ん、時代の背景をあまりに無視し過ぎてないかな?
って思ってしまったりするのです。
現代では労働を頑張らなくても
水は水道をひねれば出てくるし、
掃除洗濯だってほぼスイッチ一つだし、
炊飯の類も道具を使えばかなり楽になっていて
労働力っていうのがどんどん小さくなっているので
そこから解放された人たちが
自由な時間を手に入れることができたし
未来の社会のためにも
子供を勉学に励ませる時間的余裕ができた
ってことなだけだと思うんです。
だから現代倫理としての
本来あるべき親の姿=育児をすること。
という意味でで親が義務を放棄して
子供が家事をしたりしていることについては
それは虐待だと言えるし、
家の奴隷だと言えると思うのですが
常に日本では子供は奴隷だった!
っていうには論がには
無茶苦茶過ぎるって思ってしまうのです。

そして、今紛争などで家や土地を失い
難民キャンプで家のために水を汲み
下の兄弟の世話をする子たちを捕まえて
「君たちは奴隷だ!」っていうのは
あまりに残酷なことだと思いませんか?
彼らは国や民族という単位として
人としての権利を奪われたけれど、
奴隷の身分とは違います。
(それよりもっと酷いとも言えますが…)
家族のために自分ができることをしている。
そして彼らは家族を互いに思い遣っている。
古来のあらゆる時代の子供たちも
決して家の奴隷ではなく
家族を思ってできることを
してきたってことなんじゃないでしょうか。
多少押し付けられているところはあると思うし、
時代とはいえ良いことではなかったのもわかるからこそ
現代までいろんな技術が改革し続けて
人を労働から解放しているんだと思います。

そんなことを考えていました。
さて、そろそろお仕事に戻らないとです。
今日明日の飯の種のためにも労働しないとね。
それではまた。モイモイ
コメント
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