Virtual Insanityは1996年の曲で
日清カップヌードルのCMであったこと
当時のMVがめちゃくちゃかっこよくて
どう撮影されたのかどうかも
ものすごく話題になったものなので
当時を知っている人なら
あの曲ねってすぐに思い浮かべることができると思う。
ジャミロクワイの帽子もかわいくて
高校生の頃憧れていたsachiakiです。
知らない人に説明すると
漫画・アニメのワンピースでチョッパーが被ってるような
ああいう帽子です。
似合うのがすげぇなと。
で、そんな古い曲になんで今更感じるものがあるかって?
ここのところ、いやずっと考え続けていることの
一つとして歌詞がバチコンとハマッたってことがあるのかな。
古い曲なのに何度も歌詞を検索されるからか
公式が歌詞付きのMVをYoutubeにアップしているので
どれだけの人が気にかけているかが察せられるものです。
Virtual Insanityは直球に和訳すると仮想の狂気。
この曲では"自分達が生きている世界は
誰かがいった言葉で世界が仮定されて
それを鵜呑みにして出来上がってしまっている。
ちっぽけなことを大きなことのように扱い
いろんな物事が誇張されているって歌ってる。
未来は作られているんだ。
事実上、実在している狂気によって、
そしてその世界は愛で統治されているように見えている。"
地下で生きているって歌詞だけど、
私としては下層で生きているってことで
誰かに決めつけられたものの下で生きているって解釈が
私的にはシックリくる。
"今では母親は自分の子供の肌の色を選べちゃう
自然じゃないよね"、についてはデザインチルドレンが
もうこの頃から大金持ちの間で
それなりに当然のように出ていた問題なのだと思う。
2025年の現在、やっとデザインチルドレンについて
倫理に物申す人が増えてきたけれど、
1996年の歌詞にこうあるんだから、
もうだいぶ根を張っているんだと思う。
そしてその歌詞の後ろに
子供の肌の色を選べるなんて自然じゃないなんて
昨日まで言ってた彼らがそういうことを選んでいるなんて!
という絶望感の後に
"祈ることしか残されていない
思うんだ、そろそろ新しい宗教をみつけなきゃって"
"あぁ、正気の沙汰じゃないよ。他の血統を合わせるなんて!
こんな未来にも、僕らが教わるべき何か良いことがあるはず"
というのに肌の色を選ぶように
自然じゃない行いと同じように
なにかの宗教になにかの宗教を掛け合わせて
新しい宗教を作るなんてムリィ!っていうような叫び。
話は逸れるんだけど、先日の「チ。」で
神(自然・動かし難い運命)を信じるか否かという問いがあって
今章の主人公が信じないといい、
そしてその主人公が信じているものがお金ということで
まさに現代人の始まりを見た感じがあるんです。
ここのところ自分のオンライン読書会でしている
「テクノリバタリアン」でも取り上げている
IT億万長者が考える未来について
かなり歪な世界を彼らが作ろうとしているし、
そしてその歪さは平等さを排除していくような
そんな仕組みになりつつあり、
それに賛同したものが生存できるような
そんな生き方を強いられそうな気配がするんです。
私はテクノロジーは平等を作るためにあると信じているので
ひどい裏切りだと感じているんですけれど、
かといって自然信仰で人が死ぬのが当たり前だとか
そういったことに回帰するのは絶対に違うって思っているので
この「新しい宗教が必要だ」には
大いに賛同するものがあるし、
かといって、「神」を作るのはもう無理っていうものもあり、
あぁどうしたら良いんでしょうね?
って気持ちになってるところで
この曲がバカ刺さったって感じです。
いやもう、ほんとうどうしたら
良い未来をつかみ取れるんでしょうね……。
そんなことを考えてました。
書いたらちょっと気分が落ち着いたわ。
それでは作業に戻ります。モイモイ
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